竹生島・宝厳寺滋賀県長浜市

夏の竹生島・宝厳寺1 夏の竹生島・宝厳寺2 夏の竹生島・宝厳寺3 夏の竹生島・宝厳寺4 夏の竹生島・宝厳寺5
  • 神亀元年(724)に聖武天皇の勅願を受けた行基が開基したと伝わる竹生島の寺院
  • 大弁才天を本尊とし、日本三弁才天の一つに数えられる弁才天信仰の聖地
  • 西国三十三所第三十番札所、国宝唐門、観音堂、舟廊下で知られる琵琶湖の信仰の島

竹生島・宝厳寺とは、滋賀県長浜市の琵琶湖に浮かぶ竹生島にある真言宗豊山派の寺院である。山号は巌金山で、本尊は大弁才天、観音堂の本尊は千手千眼観世音菩薩であり、西国三十三所観音霊場第三十番札所として知られる。社寺が一体となった竹生島の信仰空間の中心に位置し、都久夫須麻神社とともに島全体の歴史を伝えている。寺伝では、神亀元年(724)、聖武天皇の夢枕に天照皇大神が現れ、琵琶湖の小島に弁才天の聖地として寺院を建立するよう告げたことから、僧・行基が勅使として遣わされ、堂塔を開いたことに始まる。行基は弁才天像を本尊として安置し、翌年には観音堂の建立を発案したと伝わる。その後、伝教大師最澄、弘法大師空海なども来島して修行したとされ、竹生島は弁才天信仰、観音信仰、水神信仰が重なる聖地となった。戦国時代から安土桃山時代には豊臣秀吉・秀頼との関係が深く、国宝の唐門、重要文化財の観音堂・舟廊下には桃山文化の華やかな意匠が残る。明治時代の神仏分離により都久夫須麻神社と分かれたが、宝厳寺は廃寺を免れ、現在も琵琶湖に浮かぶ巡礼と祈りの寺として多くの参拝者を迎えている。

竹生島・宝厳寺の特長
目的 大弁才天への信仰、弁才天信仰の聖地、西国三十三所観音霊場第三十番札所としての巡礼、千手千眼観世音菩薩への祈り、国家安泰、五穀豊穣、万民豊楽、芸能上達、財運招福、諸願成就、琵琶湖の水上交通守護
特長 竹生島、宝厳寺、巌金山、真言宗豊山派、大弁才天、日本三弁才天、西国三十三所第三十番札所、千手千眼観世音菩薩、聖武天皇、行基、伝教大師最澄、弘法大師空海、豊臣秀吉、豊臣秀頼、片桐且元、唐門、観音堂、舟廊下、三重塔、宝物殿、法華経序品、竹生島経、都久夫須麻神社、かわらけ投げ、琵琶湖、長浜港、今津港、彦根港
他の寺院との違い ・琵琶湖に浮かぶ竹生島にあり、船で渡って参拝する水上の聖地である
・本尊の大弁才天は、江島、厳島とともに日本三弁才天の一つに数えられる
・観音堂は西国三十三所観音霊場第三十番札所であり、弁才天信仰と観音信仰が重なる寺院である
・唐門は豊国廟から移築された桃山建築で、豊臣大坂城極楽橋の遺構とも考えられている
・観音堂から都久夫須麻神社へ続く舟廊下により、神仏習合時代の竹生島信仰のつながりを体感できる
竹生島・宝厳寺DATA
別称 竹生島宝厳寺、竹生島観音、弁天さま、西国第三十番札所
正式名称 巌金山宝厳寺
所在地 滋賀県長浜市竹生島
創建 神亀元年(724)。聖武天皇の勅願を受け、僧・行基が堂塔を開基したと伝わる
開基 行基
勅願 聖武天皇
宗派 真言宗豊山派
山号 巌金山
本尊 大弁才天。観音堂の本尊は千手千眼観世音菩薩
札所 西国三十三所観音霊場第三十番札所
主な関係者 聖武天皇、行基、伝教大師最澄、弘法大師空海、平経正、豊臣秀吉、豊臣秀頼、片桐且元
主な建築 本堂、唐門、観音堂、舟廊下、三重塔、宝物殿
主な見どころ 本堂、大弁才天、弁天様の幸せ願いダルマ、唐門、観音堂、舟廊下、三重塔、宝物殿、琵琶湖の眺望、都久夫須麻神社
文化財指定 唐門は国宝。観音堂、舟廊下は国指定重要文化財。宝物殿には国宝「法華経序品(竹生島経)」などの寺宝を収蔵
住所 滋賀県長浜市早崎町竹生島1664
電話番号 0749-63-4410
拝観・納経時間 9時30分~16時30分。観光船の就航時間に基づく
休館日 なし。ただし、船舶の欠航、天候、行事等により参拝できない場合あり
拝観料 竹生島への乗船料とは別に入島料が必要。宝物殿拝観料は大人300円、小人250円
アクセス 長浜港、今津港、彦根港から竹生島行きの観光船を利用。所要時間は各港から約25分~40分
備考 竹生島・宝厳寺は、琵琶湖に浮かぶ竹生島にある寺院である。竹生島は国の名勝・史跡に指定され、日本遺産「琵琶湖とその水辺景観」の構成文化財にも含まれる。宝厳寺は大弁才天を祀る日本三弁才天の一つであり、観音堂は西国三十三所第三十番札所である。唐門は慶長8年(1603)に豊臣秀頼が片桐且元を普請奉行として移築したとされ、現存する桃山時代唐門の代表的遺構である。舟廊下は観音堂から都久夫須麻神社へ続く渡廊で、豊臣秀吉の御座船「日本丸」の船櫓を利用して造られたと伝わる。島内は急な石段が多く、船の発着時間にあわせて参拝する必要がある。
竹生島・宝厳寺への交通アクセス
長浜・彦根・今津の各港より、汽船約25分~40分。

HISTORY 竹生島・宝厳寺について

竹生島・宝厳寺の歴史
神代・古代 竹生島は、古くから琵琶湖に浮かぶ神の島として信仰され、島名は「神を斎く島」に由来するとも伝わる
724年 神亀元年、聖武天皇が夢枕に立った天照皇大神のお告げを受け、僧・行基を勅使として竹生島へ遣わし、堂塔を開基させたと伝わる
724年 行基は弁才天像を本尊として安置し、竹生島宝厳寺の信仰が始まったとされる
725年 行基が観音堂の建立を発案したと伝わる。後年、その遺志を継いだ浅井の大領が千手千眼観世音菩薩像を安置したとされる
奈良時代 竹生島は国家安泰、五穀豊穣、万民豊楽を祈る霊場として信仰を集める
平安時代 伝教大師最澄、弘法大師空海などが来島し、修行したと伝わる
平安時代後期 西国三十三所観音巡礼が風習化し、竹生島宝厳寺は観音霊場として知られるようになる
1184年 寿永3年、一ノ谷の戦いを前に、平経正が竹生島に参詣し、琵琶を奏でて戦勝を祈願したと『平家物語』に描かれる
鎌倉時代 竹生島は弁才天信仰、観音信仰、水神信仰が重なる霊場として、武家や庶民の参詣を集める
室町時代 宝厳寺観音堂は西国三十三所観音霊場第三十番札所として定着する
室町時代 謡曲『竹生島』などの芸能作品にも、竹生島の神秘的な景観と信仰が取り上げられる
戦国時代 竹生島は豊臣秀吉との関係を深め、多くの書状や宝物が寄進されたと伝わる
1602年 慶長7年、豊臣秀吉の遺命により、豊臣秀頼が京都東山の豊国廟から観音堂や唐門などを竹生島へ移す事業を進める
1603年 慶長8年、豊臣秀頼が片桐且元を普請奉行として、唐門と観音堂を移築したとされる。唐門はのちに国宝となる
江戸時代 宝厳寺は竹生島弁才天信仰と西国札所信仰の寺として、多くの参拝者を集める
江戸時代 竹生島は琵琶湖を往来する船の安全を守る水の聖地としても信仰される
1868年 明治元年、神仏分離令が出され、竹生島の神仏習合のあり方が大きく変化する
1871年 明治4年、大津県庁より宝厳寺を廃寺として神社に改めるよう命令が出される
明治時代前期 全国の信者の強い要望により宝厳寺は廃寺を免れるが、本堂の建物は都久夫須麻神社へ引き渡される
明治時代 宝厳寺と都久夫須麻神社は分かれ、竹生島には寺院と神社が並び立つ現在の形が整えられる
1901年 明治34年、宝厳寺唐門が旧国宝、現在の重要文化財に相当する指定を受ける
1942年 昭和17年、明治以降仮安置となっていた大弁才天を祀る現在の本堂が再建される
1953年 昭和28年、宝厳寺唐門が国宝に指定される。宝厳寺宝物殿も建立され、寺宝の収蔵・公開が進められる
2000年 平成12年、三重塔が約350年ぶりに復元される
2013年 平成25年、国宝唐門、重要文化財観音堂、舟廊下の保存修理事業が始まる
2016年 平成28年、竹生島が日本遺産「琵琶湖とその水辺景観」の構成文化財として認定される
2019年 令和元年、西国三十三所観音巡礼が日本遺産に認定され、宝厳寺は第三十番札所としてその構成文化財となる
2020年 令和2年、唐門、観音堂、舟廊下の保存修理事業が完了し、桃山建築の彩色や装飾がよみがえる
2024年 令和6年、竹生島宝厳寺開創1300年を迎え、記念行事や秘仏御開扉が行われる
現在 竹生島・宝厳寺は、大弁才天を祀る日本三弁才天の寺、西国三十三所第三十番札所、国宝唐門を伝える湖上の信仰の寺として、多くの参拝者を迎えている