- 赤穂藩騒動がたびたび起こった
- 赤穂藩は、現在の兵庫県赤穂市、相生市、上郡町に当たる播磨国赤穂郡を治めていた藩です。赤穂藩といえば、ドラマや映画でおなじみの「忠臣蔵」の舞台となった藩ですが、それ以外でも赤穂藩は藩主や重臣による騒動が
赤穂城とは、兵庫県赤穂市にある江戸時代初期の城跡である。浅野長直が慶安元年(1648)から13年をかけて築いた近世城郭で、瀬戸内海に面した海岸平城として整備された。赤穂藩浅野家の居城として知られ、元禄14年(1701)の浅野内匠頭長矩による江戸城松の廊下刃傷事件、赤穂義士の討ち入りへとつながる「忠臣蔵」ゆかりの城でもある。現在は赤穂城跡として整備され、本丸門、大手門、大手隅櫓、天守台、本丸御殿跡、庭園、石垣、水堀などが城の姿を伝えている。
| 目的 | 赤穂藩の政庁、瀬戸内海沿岸の防御拠点、赤穂浅野家の居城 |
|---|---|
| 特長 | 海岸平城、変形輪郭式、本丸御殿跡、本丸庭園、二之丸庭園、天守台、石垣、水堀 |
| 他の城との違い | ・瀬戸内海に面した海城として築かれた ・本丸は輪郭式、二之丸と三之丸は梯郭式という珍しい変形輪郭式の縄張りを持つ ・天守台は築かれたが、天守は建てられなかった |
| 石垣 | 現存・復元整備 |
|---|---|
| 土塁 | 一部あり |
| 種類 | 打込接、切込接、石垣、水堀、天守台、枡形、海岸平城 |
| 石材 | 花崗岩など |
| 特長 | 赤穂城は、石垣と水堀を組み合わせて築かれた近世城郭である。本丸周辺には石垣、天守台、本丸門の枡形が残り、復元整備された大手門・本丸門とあわせて城郭の構造を理解できる。天守台は築かれたものの天守は建てられず、城の象徴は天守ではなく、本丸御殿・庭園・石垣・水堀にある。海に面した城として、水辺の立地と複雑な縄張りをあわせて見るのが赤穂城の大きな特徴である。 |
| 別称 | 加里屋城、大鷹城 |
|---|---|
| 所在地 | 兵庫県赤穂市 |
| 築城 | 1648年 |
| 築城者 | 浅野長直 |
| 住所 | 兵庫県赤穂市上仮屋 |
| 電話番号 | 0791-43-6962 |
| 開館時間 | 赤穂城跡は見学自由。本丸門内部公開は日程により異なる |
| 休館日 | 赤穂城跡はなし。本丸門内部公開は公開日以外休館 |
| 入館料 | 無料 |
| 備考 | 赤穂城跡は国指定史跡で、日本100名城にも選定されている。旧赤穂城庭園、本丸庭園・二之丸庭園は国指定名勝である。現在は本丸門、大手門、大手隅櫓などが復元整備され、本丸御殿跡では間取り表示により御殿の規模を確認できる。 |
赤穂城は、兵庫県赤穂市にあった平城です。「忠臣蔵」で有名な赤穂藩の藩庁でもありました。明治時代に城郭の建物はほとんど取り壊されましたが、現在は三之丸大手門などが復元され、本丸庭園と二之丸庭園は名勝に指定されています。また、時代劇のロケ地としてもたびたび利用されています。そんな赤穂城の歴史を紐解いていきましょう。
| 1645年 | 浅野長直が常陸国笠間から赤穂へ入る |
|---|---|
| 1648年 | 浅野長直により赤穂城の築城が始まる |
| 1661年 | 約13年の歳月をかけて赤穂城が完成する |
| 江戸時代前期 | 赤穂藩浅野家の居城として機能する |
| 1701年 | 浅野内匠頭長矩が江戸城松の廊下で刃傷事件を起こし、浅野家が改易される |
| 1701年 | 永井直敬が赤穂城主となる |
| 1706年 | 森長直が赤穂城主となり、以後、森家が明治維新まで赤穂を治める |
| 1873年 | 廃城令により赤穂城が廃城となる |
| 1971年 | 赤穂城跡が国の史跡に指定される |
| 2002年 | 旧赤穂城庭園、本丸庭園・二之丸庭園が国の名勝に指定される |
| 2006年 | 日本100名城に選定される |
赤穂城と関連する事件を読む
| 藩庁 | 赤穂城 |
|---|---|
| 旧地域 | 播磨国赤穂郡 |
| 石高 | 2万石 |
| 譜代・外様 | 外様 |
| 主な藩主 | 池田氏・浅野氏・永井氏・森氏 |
元姫路藩池田家の所領で小笠原忠真が10万石で立藩。譜代が続いた後、親藩の越前松平家が入封。
兵庫県赤穂市にある赤穂城は、江戸時代には赤穂藩の藩庁として機能した平城です。特に元禄15年(1702年)の赤穂事件、いわゆる「忠臣蔵」ゆかりの城として広く知られており、三の丸には大石神社があります。日本百名城にも選ばれており、現在は赤穂城跡公園として整備されています。