唐沢山城跡栃木県佐野市

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  • 佐野氏の居城として知られる関東有数の山城
  • 関東では珍しい高石垣が残る城跡
  • 本丸跡には唐澤山神社が鎮座する

唐沢山城跡とは、栃木県佐野市にある中世から近世初頭にかけての山城跡である。佐野氏の居城として知られ、唐沢山一帯に曲輪・土塁・堀・石垣などを備えた大規模な城郭が広がっていた。現在は本丸跡に唐澤山神社が鎮座し、山上部には関東では数少ない織豊期の高石垣が残る。戦国時代の北関東の攻防を伝える、東日本有数の山城である。

唐沢山城跡の特長
目的 佐野氏の居城、北関東支配の拠点、防御拠点
特長 山城、高石垣、曲輪、土塁、堀、根小屋地区の館跡群
他の城との違い ・関東では数少ない織豊期の高石垣が残る
・山頂の本丸を中心に、広大な城域を持つ山城である
・山麓には城主や家臣の生活空間と考えられる根小屋地区の館跡群が残る
唐沢山城跡の石垣・土塁
石垣 現存
土塁 現存
種類 高石垣、土塁、堀、曲輪、虎口
石材 不明
特長 唐沢山城跡には、本丸周辺を中心に関東では数少ない織豊期の高石垣が残る。山頂部には曲輪・土塁・堀・虎口などの防御遺構が広がり、石垣と土造りの遺構が組み合わさった山城の姿を伝えている。本丸南西側には高さ8メートルを超える高石垣も見られ、関東の山城としては非常に貴重な石垣遺構である。
唐沢山城跡DATA
別称 根古屋城、栃本城、牛ヶ城
所在地 栃木県佐野市
築城 15世紀後半頃
築城者 佐野氏
住所 栃木県佐野市富士町1409周辺
電話番号 0283-25-8520
開館時間 見学自由
休館日 なし
入館料 無料
備考 現在、本丸跡には唐澤山神社が鎮座している。唐沢山城跡は国指定史跡で、続日本100名城にも選定されている。続日本100名城スタンプは唐澤山神社社務所に設置されている。
唐沢山城跡への交通アクセス
東武佐野線「田沼」駅から徒歩約50分。

HISTORY 唐沢山城跡について

唐沢山城跡の歴史
15世紀後半頃 史料上、唐沢山城の存在が確認される
戦国時代 佐野氏の居城として、北関東の交通要衝を押さえる拠点となる
戦国時代 関東管領上杉氏や古河公方足利氏、後北条氏などの抗争の舞台となる
1590年 豊臣秀吉の小田原合戦後、佐野氏が豊臣政権と関係を深める
16世紀末頃 本丸周辺に高石垣が整備されたと考えられる
1602年 佐野氏が山麓の佐野城へ移り、唐沢山城は廃城となる
1883年 本丸跡に唐澤山神社が創建される
2014年 唐沢山城跡が国の史跡に指定される
2017年 続日本100名城に選定される

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唐沢山城跡
唐沢山城跡の歴史
唐沢山城は、伝承によれば天慶5年(942年)に藤原秀郷が築いたとされています。近年の研究によれば、秀郷の子孫で平安時代末期から佐野庄を治めた佐野氏が15世紀頃、本格的に築き始めたという説が有力です。築城当時は「佐野城」と呼ばれていたと推察されています。
同地は関東の交通の要衝で、戦国時代には北条氏と上杉氏の勢力圏の狭間にあり、両勢力の間で揺れ動きました。有名なのは第15代当主の佐野昌綱で、両陣営を行き来しながら勢力を保ち続けました。永禄年間(1558年〜1570年)にかけて、上杉謙信は関東支配を目指し、およそ10回にわたり唐沢山城を攻撃します。しかし昌綱は何度も謙信を防ぎ、降伏や和睦を繰り返し、佐野家を守り続けました。謙信は唐沢山城について、書状で「とても険しいところであり、懸命に攻めた」と記しています。なお、この戦いで城は一度も落城していません。
息子の佐野宗綱の時代に入ると、天正12年(1584年)に「沼尻の合戦」が起こります。北条氏と佐竹氏による、北関東を二分する大規模な合戦の際、佐野氏は佐竹方につきましたが、宗綱の死後は北条氏康の六男・氏忠が養子として佐野氏に入り、北条氏につきました。この際、佐竹方だった宗綱の弟の佐野房綱は出奔し、後に秀吉に仕えています。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉による小田原征伐の際は、氏忠のもとで北条氏側にいたとも、房綱が城を奪還したことで秀吉側にいたとも言われています。北条氏が滅びた後、房綱は秀吉に仕えます。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは跡を継いだ養嗣子の佐野信吉が徳川家康方につき、戦後佐野藩3万5000石が成立しました。佐野氏は時世を見てどちらにつくかを上手く見極め、江戸時代まで生き残りました。
唐沢山城は数々の籠城戦に耐え抜いたことから「関東随一の山城」として知られるようになります。また、幾多の改修・増築を得て、城の規模は山頂から山麓へと山全体に拡大し、数々の曲輪を持つ巨大な山城となりました。
慶長7年(1602年)、麓に佐野城が築かれたことで、唐沢山城は役目を終え廃城となりました。これは、江戸を見下ろせる位置に唐沢山城があったこと、江戸で火事が起きた際、佐野家がすぐさま駆けつけて消火活動に従事した様子を見た家康が、佐野氏を危険視した、という説があります。なお、その後、佐野信吉自身は他の要因などもあり改易されています。
明治維新後は明治16年(1883年)に本丸跡に唐沢山神社が建立され、昭和40年(1965年)に一体が栃木県立自然公園となりました。平成26年(2014年)3月には国の史跡に指定されています。
唐沢山城跡のアクセス
唐沢山は山頂や本丸近くまで車で移動できます。本丸付近は整備されているため歩きやすいのが特徴です。ただし、本丸以外の周辺の登山道などは岩場や滑りやすい場所があるので、歩きやすい靴で登城するのがおすすめです。
唐沢山城の見どころ①本丸の高石垣
唐沢山城の特徴は山城でありながら本格的な石垣を持つ点です。中世の土づくりの城からスタートし、石垣づくりの近世の城に改修されたためで、本丸南西には長さ40m、高さ8mを超える高石垣が残ります。研究によれば秀吉時代に西日本を中心とする技術の導入によって築かれたもので、関東では珍しい石垣遺構です。
唐沢山城跡の見どころ1 唐沢山城跡の見どころ2 唐沢山城跡の見どころ3
唐沢山城の見どころ②山全体に広がる城の構造
唐沢山城は山全体に曲輪群が広がっており、山頂付近では、各方面に延びる尾根上に曲輪がまっすぐに配置されています。本丸跡を中心に、くい違いの枡形(虎口とも)や土塁や堀等が残っており、多くの見どころがあります。
南城方面と帯曲輪を分断する堀切は「四つ目堀」と呼ばれており、古地図によれば幅5間(約9m)、深さは2間(約3.6〜4m)に及びます。現在は神橋がかかっていますが、かつては使わないときは引き上げられる「曳橋」を置き、外敵に備えていました。
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唐沢山城の見どころ③唐沢山神社
本丸には藤原秀郷公を祀った唐沢山神社があります。神社は猫スポットとしても知られ、猫とのふれあいも魅力の一つです。また、築城の際に厳島大明神に祈願したところ霊夢を見たため、従って掘ると水が湧き出たと伝わる「大炊井」も注目したいところです。深さ9m、直径8mの井戸は現在も水をたたえています。
唐沢山城跡の見どころ7 唐沢山城跡の見どころ8 唐沢山城跡の見どころ9
唐沢山城跡のおすすめ撮影スポット
唐沢山城の一番のフォトスポットは、本丸高石垣です。下から石垣を見上げ、上の本丸の神社社殿を入れる構図がおすすめ。また、大手虎口にある天狗岩は絶景スポットとして有名で、かつては物見櫓があったと伝わっており、関東平野を一望できる見晴らしのよさは写真撮影スポットにも適した場所です。天気が良ければ富士山や東京スカイツリーなどを見ることができます。このほか、唐沢山は桜や紅葉の名所としても名高いので、春や秋の訪問がおすすめです。
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栗本 奈央子
執筆者 栗本 奈央子(ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。