- 宇都宮藩江戸100藩の一つに数えられた
- 宇都宮藩は、下野国宇都宮(現:栃木県宇都宮市)に存在した藩です。この地は北関東の交通の要所であるばかりでなく、日光東照宮へ将軍が詣でる際の中継地でもありました。藩庁である宇都宮城には日光東照宮に将軍が
宇都宮城とは、栃木県宇都宮市にあった中世から近世にかけての城である。宇都宮氏の本拠として発展し、江戸時代には譜代大名の居城となった。本多正純の時代には城と城下町の大改造が行われ、日光社参の際には将軍の宿泊所としても使われた。戊辰戦争で建物の大半を焼失し、現在は宇都宮城址公園として、清明台・富士見櫓・土塀・土塁などが復元整備されている。
| 目的 | 宇都宮氏の本拠、宇都宮藩の政庁、日光社参時の将軍宿泊所 |
|---|---|
| 特長 | 平城、土塁と堀、清明台、富士見櫓、御成御殿 |
| 他の城との違い | ・天守や石垣を見せる城ではない ・江戸時代には日光社参の将軍宿泊所として重要視された ・現在は市街地の中に、復元された土塁・櫓・土塀が整備されている |
| 石垣 | なし |
|---|---|
| 土塁 | 復元整備 |
| 種類 | 土塁、堀、平城、櫓、土塀 |
| 石材 | 該当なし |
| 特長 | 宇都宮城は石垣を主体とする城ではなく、土塁と堀を中心に構成された平城である。戊辰戦争後に建物の多くが失われ、堀や土塁も市街地化の中で姿を消したが、現在の宇都宮城址公園では土塁・堀・土塀が復元整備され、清明台と富士見櫓が城跡の姿を伝えている。 |
| 別称 | 亀ヶ岡城 |
|---|---|
| 所在地 | 栃木県宇都宮市 |
| 築城 | 平安時代後期 |
| 築城者 | 藤原宗円と伝わる |
| 住所 | 栃木県宇都宮市本丸町、旭1丁目周辺 |
| 電話番号 | 028-632-2529 |
| 開園時間 | 宇都宮城址公園は見学自由。清明台・富士見櫓は9時~19時 |
| 休館日 | 清明台・富士見櫓は年末年始など休館日あり |
| 入館料 | 無料 |
| 備考 | 現在は宇都宮城址公園として整備されている。清明台・富士見櫓・土塀・土塁が復元され、園内には宇都宮城ものしり館がある。清明台1階は展示スペースとして公開されている。 |
宇都宮城は、栃木県宇都宮市にあった平城です。関東七名城の1つに数えられ、将軍が日光東照宮に参拝する際は、宿舎としても使われました。また、宇都宮の藩庁でもありました。そんな宇都宮城の歴史を紐解いていきましょう。
| 平安時代後期 | 藤原宗円が宇都宮城を築いたと伝わる |
|---|---|
| 鎌倉時代 | 宇都宮氏の本拠として発展する |
| 1597年 | 宇都宮氏が改易され、宇都宮城は豊臣政権下の城となる |
| 江戸時代初期 | 譜代大名の居城となり、宇都宮藩の政庁として機能する |
| 1619年 | 本多正純が宇都宮城主となり、城と城下町の大改造を行う |
| 江戸時代 | 日光社参の際、将軍の宿泊所となり、本丸に御成御殿が建てられる |
| 1868年 | 戊辰戦争で宇都宮城の建物の大半が焼失する |
| 明治時代 | 堀や土塁が次第に埋め立てられ、城跡の多くが市街地化する |
| 2007年 | 宇都宮城址公園として、清明台・富士見櫓・土塀などが復元公開される |
| 藩庁 | 宇都宮城 |
|---|---|
| 旧地域 | 下野国宇都宮 |
| 石高 | 7万7000石 |
| 譜代・外様 | 譜代 |
| 主な藩主 | 宇都宮氏、本多氏、奥平氏、戸田氏 |
| 推定人口 | 6万人(明治元年) |
多くの藩主家が入転封を繰り返した後、戸田氏が入封。本多正純の「宇都宮城釣天井事件」が知られる。
栃木県宇都宮市の宇都宮城は、平安時代から続く名家・宇都宮氏の本拠地にあった平城です。現在は宇都宮城址公園として整備され、復元された清明台や富士見櫓、土塁、堀等が見学できます。公園は4種類の桜が咲く桜の名所としても有名です。