壬生城栃木県下都賀郡

秋の壬生城1 秋の壬生城2 秋の壬生城3 秋の壬生城4 秋の壬生城5 秋の壬生城6 秋の壬生城7 秋の壬生城8 秋の壬生城9 秋の壬生城10
  • 壬生氏によって築かれた平城
  • 江戸時代には壬生藩の藩庁となった城
  • 現在は壬生町城址公園として整備

壬生城とは、栃木県壬生町にあった中世から近世にかけての城である。壬生氏によって築かれ、江戸時代には壬生藩の藩庁として機能した。徳川将軍家の日光社参の際には宿館としても使われ、壬生の政治・交通の中心となった城である。現在は本丸跡が壬生町城址公園として整備され、土塁や堀、復元された二の丸門などが城跡の面影を伝えている。

壬生城の特長
目的 壬生氏の居城、壬生藩の藩庁、日光社参時の宿館
特長 平城、土塁と堀、復元二の丸門、城址公園として整備された城跡
他の城との違い ・天守を中心に見せる城ではない
・石垣ではなく、土塁と堀を中心とした平城である
・徳川将軍家の日光社参の際に宿館として使われた歴史を持つ
壬生城の石垣・土塁
石垣 復元
土塁 一部復元
種類 土塁、堀、平城、復元門
石材 不明
特長 壬生城は石垣を主体とする城ではなく、土塁と堀を中心に構成された平城である。現在の壬生町城址公園では、公園南側を中心に土塁や堀が整備され、それに合わせて門や石垣が復元されている。復元された二の丸門や堀、土塁により、壬生城の城郭らしい雰囲気を感じることができる。
壬生城DATA
別称 馬蹄城
所在地 栃木県壬生町
築城 1462年
築城者 壬生綱重
住所 栃木県下都賀郡壬生町本丸1丁目8-33
電話番号 0282-81-1844
開園時間 壬生町城址公園は見学自由
休園日 なし
入園料 無料
備考 現在は壬生町城址公園として整備されている。園内には復元された二の丸門、土塁、堀のほか、壬生町立歴史民俗資料館、壬生町立図書館、城址公園ホールがある。
壬生城への交通アクセス
東武宇都宮線「壬生」駅から徒歩で15分。

HISTORY 日光東照宮を参拝する将軍の宿泊所でもあった壬生城

壬生城は栃木県下都賀郡壬生町にあった平城です。室町時代に壬生氏が建築し、4代将軍徳川綱吉の時代まで日光東照宮に参拝する際の宿泊所の役目も担っていました。 そんな壬生城の歴史を紐解いていきましょう。

壬生城の歴史
1462年 壬生綱重により壬生城が築かれたとされる
戦国時代 壬生氏の居城として、壬生周辺の支配拠点となる
1590年 豊臣秀吉の小田原攻め後、壬生氏が没落する
江戸時代 壬生藩の藩庁として機能し、城主がたびたび交代する
江戸時代前期 徳川将軍家の日光社参の帰路に、壬生城が宿館として使われる
1712年 鳥居忠英が壬生城主となり、以後、鳥居氏が幕末まで壬生を治める
1871年 廃藩置県により壬生藩が廃止される
明治時代 壬生城が廃城となり、城内の建物や堀・土塁の多くが失われる
現在 本丸跡が壬生町城址公園として整備され、復元二の丸門や土塁・堀が見られる
江戸時代以前の壬生城
下野宇都宮氏の家臣で壬生氏の始祖といわれている壬生胤業が寛政3年(1462年)に建築した館が壬生城の前身といわれています。この館の跡は壬生古城とも呼ばれています。二代目当主壬生綱重は館を改築し、城としての体裁が整ったようです。
壬生氏は、5代当主壬生義雄まで壬生の地を治めていました。しかし、天正18年(1590年)に豊臣秀吉が小田原征伐を行った際、後北条氏に味方して小田原城に立てこもり、最後の当主壬生義雄は病死して壬生家は途絶えました。
その後、壬生の地は徳川家康の次男である結城秀康の所領となります。
江戸時代の壬生城
壬生城は、天守閣も櫓もない簡素な作りの城だったと伝えられています。しかし、日光東照宮が徳川家光によって現在の形に調えられると、江戸から日光東照宮まで参拝のために「日光道中」が整備されました。壬生城は日光道から枝分かれした壬生道[美末1]に位置しています。壬生道は日光道中から日光東照宮までの近道であり、庶民が主に参拝に利用しました。そして、壬生城は日光東照宮に参拝する際の将軍の宿泊所でもあったのです。
そのため、壬生城の御殿は大変豪華な造りでした。
現在の壬生城跡に[美末2]は復元された模型の写真が飾られていますが、城というより壮麗な館のように見えます。
壬生城は壬生藩の藩庁として明治まで機能しました。
明治以降の壬生城
明治を迎えると、壬生城は本丸を残して堀や土塁は埋め立てられたり壊されたりして宅地や農地に転用されました。残された本丸(鳥居家の別邸)も昭和2年(1927年)に落雷で焼失しています。 その後、壬生城跡は公園として整備される計画がありましたが結局は中学校や図書館、公民館、歴史資料館等の公共施設となり、建築に併せてかろうじて残っていた土塁や堀も亡くなりました。
現在は最後に残された土塁と堀が石垣風に整備されて残っているだけです。城址公園も作られましたが、城が建っていた頃の面影はほとんどありません。
鹿沼市と小山市の民家に城から移築された城門が残っています。
まとめ
壬生城は天守閣も櫓もない館のような城だったため、明治時代に大部分の建物が取り壊され、跡地は中学校などの公用施設に転用されました。そのため、現在の壬生上跡は一部の堀と土塁を残して、当時の面影を偲べるものはありません。壬生城跡にある歴史資料館には、復元された御殿の模型などを見ることができます。

壬生城を藩庁とする、壬生藩の歴史

壬生藩将軍の宿泊場所でもあった
壬生藩は栃木県下都賀郡壬生町にあり、壬生城を藩庁とした藩です。壬生藩は日根野吉明が開藩し、しばらく治める家がめまぐるしく変わった後、江戸時代半ばより幕末まで鳥居家が治めました。壬生藩は、江戸時代初期ま
壬生藩DATA
藩庁 壬生城
旧地域 下野国都賀郡壬生
石高 3万石
譜代・外様 外様・譜代
主な藩主 日根野家、阿部家、三浦家、松平家、加藤家、鳥居家