- 水戸藩徳川御三家のひとつ
- 水戸藩は、紀伊徳川家、尾張徳川家と同様、徳川家の「分家」にあたる水戸徳川家が明治維新まで治めた藩です。この3つの家を併せて「御三家」と呼ばれました。将軍に近い家柄のため、歴史の表舞台にたびたび城主が登
水戸城とは、茨城県水戸市にある中世から近世にかけての城跡である。那珂川と千波湖にはさまれた台地上に築かれ、馬場氏、江戸氏、佐竹氏の拠点を経て、江戸時代には水戸徳川家の居城となった。天守や石垣を持たず、土塁と堀を主体とした構造が大きな特長で、現在は水戸城跡として、大手門、二の丸角櫓、土塁、堀などが整備されている。
| 目的 | 水戸徳川家の居城、水戸藩の政庁、領国支配の拠点 |
|---|---|
| 特長 | 土塁と堀を主体とする平山城、大手門、二の丸角櫓、三の丸空堀 |
| 他の城との違い | ・天守や石垣を持たない城である ・御三家のひとつ、水戸徳川家の居城である ・現在も市街地の中に大規模な土塁と堀の痕跡が残る |
| 石垣 | なし |
|---|---|
| 土塁 | 現存 |
| 種類 | 土塁、空堀、堀、曲輪、虎口 |
| 石材 | 該当なし |
| 特長 | 水戸城は石垣を主体とする城ではなく、土塁と堀で構成された城である。外観に石垣は見られず、平成18年の法面修復工事に伴う調査では、土塁が粘土などで強く突き固めて構築されていたことが確認されている。本丸跡・二の丸虎口・三の丸西辺には土塁と堀が残り、石垣を持たない巨大城郭としての特徴を伝えている。 |
| 別称 | 馬場城、水府城 |
|---|---|
| 所在地 | 茨城県水戸市 |
| 築城 | 鎌倉時代初期 |
| 築城者 | 馬場資幹 |
| 住所 | 茨城県水戸市三の丸周辺 |
| 電話番号 | 029-232-9189 |
| 開館時間 | 水戸城跡は見学自由。水戸城二の丸角櫓は9時30分~16時 |
| 休館日 | 水戸城二の丸角櫓は12月29日~1月3日 |
| 入館料 | 無料 |
| 備考 | 現在は水戸城跡として、大手門、二の丸角櫓、土塀などが復元されている。二の丸角櫓の内部では、水戸城に関する展示を見学できる。水戸城跡二の丸展示館も無料で見学可能。 |
水戸城は、茨城県水戸市に建てられていた平城で、日本最大級の「土作りの城」としても有名です。水戸黄門こと水戸光圀が生まれた城でもあり、徳川御三家のひとつ、水戸徳川家の居城としても知られています。そんな水戸城の歴史を紐解いていきましょう。
| 鎌倉時代初期 | 常陸大掾氏の一族・馬場資幹が台地上に館を築いたとされる |
|---|---|
| 15世紀前半 | 江戸氏が河和田城から進出し、水戸城を支配する |
| 16世紀末 | 佐竹義宣が江戸氏を滅ぼし、水戸城を拡張する |
| 1602年 | 佐竹氏が秋田へ移封され、水戸城は徳川氏の支配下に入る |
| 1609年 | 徳川頼房が初代水戸藩主となり、水戸城を拡張する |
| 江戸時代 | 水戸徳川家の居城、水戸藩の政庁として機能する |
| 1871年 | 廃藩置県により水戸藩が廃止される |
| 1945年 | 戦災により二の丸の三階櫓などが焼失する |
| 1967年 | 水戸城跡の土塁と堀が茨城県指定史跡となる |
| 2020年 | 水戸城大手門が復元公開される |
| 2021年 | 水戸城二の丸角櫓および土塀が復元公開される |
| 藩庁 | 水戸城 |
|---|---|
| 旧地域 | 常陸国茨城郡水戸 |
| 石高 | 35万石 |
| 譜代・外様 | 親藩 |
| 主な藩主 | 徳川家 |
茨城県水戸市にある水戸城は、水戸徳川家が居城とした連郭式の平山城です。石垣を用いず、土で築城された日本最大級の「土の城」として知られ、日本百名城にも選ばれました。現在は藩校弘道館や薬医門が残るほか、大手門や二の丸角櫓等が復元されており、往時をしのばせます。