水戸藩(1/2)徳川御三家のひとつ

水戸藩

徳川家の家紋「三つ葉葵」

記事カテゴリ
藩史
藩名
水戸藩(1602年〜1871年)
所属
茨城県
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水戸藩は、紀伊徳川家、尾張徳川家と同様、徳川家の「分家」にあたる水戸徳川家が明治維新まで治めた藩です。
この3つの家を併せて「御三家」と呼ばれました。
将軍に近い家柄のため、歴史の表舞台にたびたび城主が登場します。
そんな水戸藩の歴史を紐解いていきましょう。

水戸藩の成立

豊臣秀吉が関白として武士の頂点に立っていた時代、水戸の地は佐竹氏が治めていました。
慶長5年(1600年)に関ヶ原の戦いが起こった際、領主であった佐竹義宣は東軍にも西軍にも与せず中立を貫いたので、江戸幕府成立後に出羽久保田21万石に転封されてしまいまいした。

その後、徳川家康の五男である武田信吉が水戸に入りますが、翌年に後継がいないまま急死したため、今度は徳川家康の十男にあたる徳川頼宣が水戸の地が与えられました。
ちなみに、このとき徳川頼宣はわずか2歳であり、8歳のときに今度は紀州藩主となり、紀伊徳川家の祖となります。

この時代、政務は財政面を蘆沢信重が、行政面を関東郡代伊奈忠次という人物が行っていましたが、藩の役人と村人の行き違いにより「生瀬村」という村の住民が惨殺される、「生瀬騒動」という事件が起きたという伝承が残っています。
徳川頼宣が紀州藩主となると、頼宣の同母弟である家康の十一男で当時6歳の徳川頼房が下総下妻藩より移封され、彼が水戸徳川家の祖となりました。

水戸藩は、徳川御三家の中でも唯一参勤交代を行わない江戸定府の藩でした。これは、将軍に万が一のときがあったときに代わりを務める将軍目代の役目を担っていたから、といわれています。
水戸藩の石高は3代目藩主徳川綱條の時代に、「新田開発を行うもの」として35万石になりましたが、実際の石高は20万石台後半でした。
水戸藩は城主と一部の家臣団が江戸で生活する費用と、国元で実務を取る家臣団の生活費が二重に必要だったうえ、何事も35万石の格式を求められるので、内実はかなり苦しかったようです。

2代目藩主から明治時代までの水戸藩

水戸藩の祖である徳川頼房は、江戸で生涯を過ごして水戸の地を踏むことはありませんでした。
水戸で誕生した初めての城主は、2代藩主の水戸光圀です。
お供を従えて諸国漫遊をした、というフィクションが大変有名な人物ですが、史実の水戸光圀は儒学を奨励し、彰考館を設けて『大日本史』を編纂し、水戸学の基礎をつくりました。

水戸光圀は父、徳川頼房と正式な側室ではない女性との間に生まれた三男で、当初堕胎の命が出されていましたが、母が命令に背いて出生をしたという逸話が残っています。

水戸光圀は学者肌の藩主で、「快風丸」をという船を作り、三度にわたる蝦夷地探検を命じてもいます。
史実の光圀は関東近郊を行ったり来たりするだけで、それ以外の土地には生涯おもむく事はありませんでしたが、人を使わせて全国をフィールドワークしています。
これが、フィクションの土台になったのかもしれません。

このほか、亡命してきた明の儒学者・朱舜水を招聘して教えを請い、水道事業を行うなど多くの功績を残しています。
また、5代将軍徳川綱吉の時代には幕政に影響も持っていました。
その一方で、大日本史の編集には多大な費用がかかり、藩の財政を圧迫し、藩内の村は逃散が絶えなかったという負の一面もありました。

3代目藩主徳川綱條は、傾いた財政を建て直そうと宝永の新法と呼ばれる財政改革を行いますが、結局失敗し藩の財政はますます悪化しました。
政治の手腕は今ひとつで、熱心でもありませんでしたが徳川光圀と同じ学者肌であったようで、『鳳山文稿』、『鳳山詠草』などの著作を多く残しています。

4代目藩主徳川宗堯は聡明な人物でしたが26歳で早世、5代目藩主徳川宗翰は1歳で藩主となり成長してからは藩政改革を試みますが失敗、挫折して政治への関心を失ってしまいます。

6代目藩主徳川治保の時代に水戸藩の財政はますます悪化します。そんな中、彼は天明7年(1787年)、紀伊藩、尾張藩の藩主や御三卿一橋家当主・徳川治済とともに、田沼意次一派の粛清と松平定信の老中就任を推進し、田沼時代の幕引きのきっかけを作ります。

また、産業を奨励し、商品作物の耕作を試み、藩の財政を建て直そうとしますがうまくいきませんでした。
その一方で、文人としては優れた功績を残し、『文公文集』や『尚古閣雑録』など著書を多数残しています。
また、町人だった藤田幽谷や農民の長久保赤水など学識豊かな人物を藩士として取り立てています。

7代藩主徳川治紀は藤田幽谷や長久保赤水と共に藩政改革を乗り出しますが、目立った成果は上げられませんでした。

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AYAME
執筆者 (ライター) 江戸時代を中心とした歴史大好きライターです。 趣味は史跡と寺社仏閣巡り、そして歴史小説の読書。 気になった場所があればどこにでも飛んでいきます。 最近は刀剣乱舞のヒットのおかげで刀剣の展示会が増えたことを密かに喜んでいます。
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