土浦城茨城県土浦市

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  • 「亀城」と呼ばれる水堀の平城
  • 関東地方唯一の現存櫓門が残る城
  • 復元された東櫓・西櫓が城跡の姿を伝える

土浦城とは、茨城県土浦市にある中世から近世にかけての城跡である。霞ヶ浦に近い低地に築かれた平城で、本丸が水に浮かぶ亀の姿に似ていたことから「亀城」と呼ばれた。江戸時代には土浦藩の政庁として機能し、現在は本丸・二の丸跡が亀城公園として整備されている。関東地方で唯一現存する櫓門や、復元された東櫓・西櫓が、往時の城の姿を伝えている。

土浦城の特長
目的 土浦藩の政庁、霞ヶ浦周辺の支配拠点、城下町形成の中心
特長 水堀をめぐらせた平城、現存櫓門、復元東櫓・西櫓、亀城公園
他の城との違い ・関東地方で唯一現存する櫓門が残る
・本丸が水に浮かぶ亀の姿に似ていたことから「亀城」と呼ばれる
・石垣を主体とせず、堀と土塁を中心に構成された平城である
土浦城の石垣・土塁
石垣 一部あり
土塁 一部現存
種類 土塁、水堀、曲輪、櫓門、櫓
石材 不明
特長 土浦城は石垣を主体とする城ではなく、水堀と土塁を中心に構成された平城である。本丸・二の丸跡は現在の亀城公園として整備され、堀や土塁の名残をたどることができる。関東地方で唯一現存する櫓門に加え、東櫓・西櫓が復元され、水堀に囲まれた城の雰囲気を今に伝えている。
土浦城DATA
別称 亀城
所在地 茨城県土浦市
築城 室町時代
築城者 若泉氏と伝わる
住所 茨城県土浦市中央一丁目13
電話番号 029-824-2928
開園時間 亀城公園は見学自由。土浦城東櫓は9時~16時30分
休館日 土浦城東櫓は月曜日。祝日の場合は開館。祝日の翌日、年末年始、展示替えに伴う臨時休館あり
入館料 土浦城東櫓は一般200円、高校生以下無料
備考 現在は本丸・二の丸跡が亀城公園として整備されている。園内には現存する櫓門、復元された東櫓・西櫓、本丸広場、県指定天然記念物のシイの木などがある。土浦城東櫓は土浦市立博物館の附属展示館として公開されている。
土浦城への交通アクセス
JR常磐線土浦駅西口(亀城公園口)より徒歩15分。

HISTORY 土浦城について

土浦城の歴史
室町時代 若泉氏により土浦城が築かれたと伝わる
戦国時代 小田氏の支配下に入り、霞ヶ浦周辺の拠点となる
1590年 豊臣秀吉の小田原攻め後、土浦城は徳川氏の支配下に入る
江戸時代 松平氏・西尾氏・朽木氏・土屋氏などが城主となり、土浦藩の政庁として機能する
1687年 土屋政直が土浦城主となり、以後、土屋氏が長く土浦を治める
1871年 廃藩置県により土浦藩が廃止される
明治時代 城内の多くの建物が失われる
1952年 土浦城跡が茨城県指定史跡となる
1990年代 東櫓・西櫓が復元される
2017年 続日本100名城に選定される

土浦城を藩庁とする、土浦藩の歴史

三つ石

土屋家の家紋「三つ石」

土浦藩DATA
藩庁 土浦城
旧地域 常陸国新治郡
石高 3万5000石
譜代・外様 譜代
主な藩主 若泉氏・小田氏・松平氏・西尾家・朽木家・土屋家

藤井松平家の松平信一が3万5000石で立藩。その後、西尾家・朽木家を経て、老中の土屋和直が入封。一時大河内松平家に代わるも、武田家旧臣の土屋家が再封。幕末まで在封した。水戸藩との繋がりも深い。

土浦城、関東に現存する貴重な櫓門と水堀のある「亀城」

茨城県土浦市にある土浦城は、鎌倉時代末期に建てられた平城です。いくつもの堀に囲まれていること、水害の際に土浦城が水に浮かびあがった姿が亀の甲羅のように見えたことから「亀城」の別名を持ちます。現在は本丸と二の丸南側が亀城公園として整備されており、江戸時代に建てられた櫓門などが現存しています。平成29年(2017年)には続日本100名城にも選ばれました。

土浦城
土浦城の歴史
土浦城は、鎌倉時代末期の永享年間(1429年〜1441年)頃に、霞ヶ浦と桜川によってできた自然の堤防に豪族の若泉三郎が築いたとされます。平将門が砦を築いたのが始まり、という伝説もあります。
その後、戦国時代に入ると常陸守護の小田氏の命で、家臣の菅谷氏が土浦城を奪取します。菅谷氏は以後、土浦城で小田氏の拠点である小田城を支えていきます。戦国最弱の武将として知られる小田氏15代にして最後の当主・小田氏治の時代には、佐竹氏や結城氏、上杉謙信などと戦うなか、小田城は何度も落城しました。氏治はそのたびに土浦城に避難し、体制の立て直しを図りました。しかし、氏治は永禄12年(1569年)の手這坂の戦いで大敗したことで弱体化し、天正11年(1583年)、ついに佐竹氏に降伏しました。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原攻めにより関東が平定されると、土浦城には徳川家康の次男・結城秀康の家臣である松平信一が入りました。以後は藤井松平氏、西尾氏、朽木氏と城主が変わります。朽木氏の時代には本丸の表門の改築などが行われました。
寛文9年(1669年)には老中・土屋数直が4万5千石で入城し、城を大改修しました。このとき馬出しや新しい曲輪等が設けられています。その後、土屋氏は天和2年(1682年)、土屋正直の時に駿河国田中に国替えとなりますが、代わって入った松平信興が大坂城代になり移封されたため、再び政直が土屋藩に入ります。なお、信興の時代には本丸の霞門の改築や、虎口の改良などが実施されました。
その後、土屋氏は3度にわたって加増を受け、土浦藩は9万5000石の大名となりました。そして明治維新を迎えるまで、土屋氏が土浦藩を統治し続けていくこととなります。
明治6年(1873年)になると土浦城は廃止され、堀や塀などが取り壊されました。本丸御殿は新政府の役所として利用されましたが、明治17年(1884年)の火事で焼失。昭和24年(1949年)の台風で建物に大きな被害があり、取り壊された建物もありました。しかし、西櫓は復元を条件に解体・保存され、平成4年(1992年)に木造復元されました。
平成10年(1998年)には東櫓が土浦市立博物館の附属展示館として木造復元されています。このほか、平成16年(2004年)から翌年にかけて、本丸土塀、約49.3mが復元されています。
平成23年(2011年)3月11日の東日本大震災で建物に大きな被害を受けましたが、翌年6月には修復工事が終了しています。
土浦城の見どころ①現存する櫓門(太鼓門)
土浦城最大の見どころは、江戸時代から現存する門です。本丸表門の櫓門は明暦2年(1656年)、朽木氏の時代の改築と伝わる太鼓門で、木造本瓦葺きの入母屋造りです。関東地方で唯一現存する本丸の櫓門として、土浦城のシンボルとなっています。
櫓門は階上に太鼓を置き、時報の代わりに鳴らしていたことから「太鼓櫓」とも呼ばれています。太鼓は東櫓内で見学できます。
このほか、松平時代に建てられたと伝わる裏門の霞門、二の丸と外丸の間に移築された旧前川口門も江戸時代のものです。
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土浦城の見どころ②復元された東櫓・西櫓
土浦城の本丸には東櫓と西櫓が復元されています。当時は両方とも物見櫓としての役割に加え、土屋氏歴代当主の遺品や武具、幕府からの拝領品などをしまう保管庫として利用されていました。
このうち東櫓は現在土浦市立博物館の附属展示館となっており、内部では土浦城発掘当時の出土品や建造物の復元方法などを紹介しています。
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土浦城の見どころ③土浦市立博物館
亀城公園に隣接する土浦市立博物館では、土浦城の変遷や城主であった土屋氏に関する資料を中心に、武具や古文書、土浦城のジオラマなどが展示されています。なかでも刀剣のコレクションは充実しており、博物館で所蔵している83口を適宜入れ替えて紹介しています。毎年10月上旬には国宝・重要文化財の刀剣が展示されます。
土浦城のおすすめ撮影スポット
土浦城でまず押さえたいのが、シンボル的存在の櫓門です。復元された東櫓は、水堀と組み合わせて撮影するのが定番です。水堀越しに櫓や土塁を広く取り込んで、「亀城」らしさを出すのも面白いですよ。
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栗本 奈央子
執筆者 栗本 奈央子(ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。