HISTORY
幕末に築城された北海道唯一の城郭、松前城
松前城は、北海道松前町松城に建っていた平城です。正式な名前を福山城といいますが、備前福山城との混乱を避けるために、築城当時から「松前城」の通称で呼ばれていました。
安政元年(1855年)に築城された北海道唯一の日本式城郭です。
そんな松前城の歴史を紐解いていきましょう。
- 幕末に築城された城
- 松前城は、江戸幕府が海防強化のため松前藩へ命じて築城させた城です。
松前藩は領内に米の生産がないことから、「藩」としながら大名格付けはされておらず、大名の最末席に位置づけられていましたが。
しかし、文政4年(1821年)に幕府より蝦夷地一円の支配を戻されたのをきっかけに、それまで居城としていた「福山館」を拡張する形で松前城を築城し、晴れて城持ちの大名になったのです。
嘉永2年(1849年)に築城を開始し、安政元年(1855年)に完成しました。
長崎県五島市にあった石田城と並んで江戸時代最後期に建築された、北海道唯一の日本式城郭です。
- 箱館戦争と松前城
- 松前城は、明治元年(慶応4年・1868年)から翌明治2年(1869年)にかけて、起こった箱館戦争の舞台にもなりました。
函館戦争は「五稜郭の戦い」や「己巳の役」とも呼ばれ、旧幕府軍と新幕府軍がぶつかった最後の戦闘でもあります。
このとき、旧幕府軍を率いていた将の1人が土方歳三です。
松前藩は戊辰戦争勃発前から、新政府に従う意思を示す一方で奥羽越列藩同盟にも加わるなど日和見を続けていましたが、尊王派の正義隊によるクーデターによって松前藩は正式に新政府軍に味方することを公言します。
そのため、土方歳三が旧幕府軍の彰義隊・額兵隊・衝鋒隊などを含む総勢700名を率いて松前城に出陣しました。
このとき藩主の松前徳広が内陸の館城に移動しており、松前城には少数の兵士かおらず、搦手門から旧幕府軍に攻め込まれた兵達は数時間で城を放棄し、城下に火を放ち、江差方面へ敗走したのです。
しかし、箱館戦争は結果的に新政府の勝利で終り、土方歳三は五稜郭で命を落とすことになりました。
- 明治維新後の松前城
- 幕末に築城されながら戦争の舞台になった松前城は、明治4年(1871年)には家臣俸禄維持のために、銅瓦など価値のある部分から解体されて売却されるようになります。
さらに、明治6年(1873年)に漁業税改正反対の漁民一揆が発生したことを受け、旧藩士の反乱を防ぐために松前城の解体が決定します。
このとき、天守閣の銅板は開拓使札幌本庁舎の屋根に転用されました。
本丸御殿の建物も福山出張所として使用しようとしましたが老朽化が激しく断念、翌明治8年(1874年)には、「天守」「本丸表御殿」「本丸御門以外」を残しそれ以外の建物の解体を開始します。
さらに、石垣も撤去して堀を埋め立てて更地としました。このときにでた廃材は、役所など公共の建物の建築材料に再利用されたり民間に売却されたりしました。
そして、松前城の石垣を再利用して作られたのが「松前波止場」です。
松前波止場は現在の松前港が整備されるまで船着き場として使われ、平成26年(2014年)には土木学会によって「土木学会選奨土木遺産」にも認定されています。
昭和10年(1935年)には、城跡が国の史跡に指定され、翌年には天守、本丸御門、本丸御門東塀が旧国宝保存法に基づいて国宝に指定されました。
それでも、経年劣化による天守閣は損傷が激しく太平洋戦争が終った昭和20年(1945年)には、白壁が崩れ落ちて骨組みばかりの姿になっていたと記録に残されています。
昭和24年(1949年)、やっと資金の捻出がかなって天守閣の修繕をはじめようとした矢先に火災が発生し、本丸御門を除いた天守をはじめとする現存していた建物の大半が焼失しました。
昭和32年(1956年)、当時の町長であった松本隆氏が「松前城再建期成会」を結成して募金を開始し、昭和34年(1958年)より松前城再建工事が始まります。
昭和36年(1960年)に鉄筋コンクリート構造の松前城が復元されました。内部は資料館になっており、外観はできる限り焼失前の姿を再現した作りです。
なお、現在は再建された松前城の老朽化が激しくなったため、平成30年(2018年)より令和17年(2035年)完成を目指して木造による復元計画が立ち上げられました。
- その後
- 現在、本丸御殿が国の重要文化財、本丸表御殿玄関が北海道の有形文化財に指定され、松前の観光地として多くの人々が訪れています。
特に、毎年5月におこなわれる「松前さくらまつり」には20万人の人手があつまる盛況ぶりです。
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