五稜郭北海道函館市

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冬の五稜郭1 冬の五稜郭2 冬の五稜郭3 冬の五稜郭4 冬の五稜郭5 冬の五稜郭6 冬の五稜郭7 冬の五稜郭8 冬の五稜郭9 冬の五稜郭10
  • 日本初の本格的な西洋式城郭
  • 星形の縄張りを持つ稜堡式城郭
  • 箱館戦争の最終局面の舞台

五稜郭とは、北海道函館市にある江戸時代末期に築かれた西洋式城郭である。星形五角形の縄張りを持つ稜堡式城郭で、箱館奉行所を移転するために築かれた。幕末の北方防衛と蝦夷地支配の拠点であり、のちに箱館戦争の舞台として歴史に名を刻んだ。

五稜郭の特長
目的 北方防衛、箱館奉行所の移転
特長 星形五角形の西洋式城郭、土塁と水堀による防御
他の城との違い ・天守を中心とする城ではない
・日本の伝統的な城郭ではなく、西洋の稜堡式城郭を取り入れている
・戦国期の山城や近世城郭とは異なり、大砲戦を意識した構造を持つ
五稜郭の石垣
石垣 現存
種類 切石積み、一部にはね出し石垣
石材 安山岩
特長 五稜郭は土塁を主体とする西洋式城郭だが、郭内への出入口となる本塁などには石垣が築かれている。正面側の石垣上部には、敵がよじ登りにくいよう石を張り出させた「はね出し」が見られる。
五稜郭DATA
別称 亀田御役所土塁、柳野城
所在地 北海道函館市
築城 1864年
築城者 江戸幕府
設計 武田斐三郎
住所 北海道函館市五稜郭町44番地
電話番号 0138-31-5505
開園時間 郭外は常時。郭内は4月~10月が5時~19時、11月~3月が5時~18時
休園日 なし
入園料 無料
備考 復元された箱館奉行所は別途入館料が必要。一般500円、学生・生徒・児童250円、未就学児無料。
五稜郭への交通アクセス
函館市電「五稜郭公園前」停留場から徒歩15分。

HISTORY 五稜郭について

五稜郭の歴史
1857年 五稜郭の築造が始まる
1864年 五稜郭の竣工、箱館奉行所が移転
1866年 五稜郭が完成
1868年 旧幕府軍が五稜郭を占拠
1869年 箱館戦争が終結し、旧幕府軍が降伏
1914年 五稜郭公園として一般開放
1952年 国の特別史跡に指定
2010年 箱館奉行所が復元公開

五稜郭と関連する事件を読む

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五稜郭、箱館戦争の激戦地となった日本初の西洋式城郭

北海道函館市にある五稜郭は日本初の西洋式城郭で、5つの角(=稜)を持つ星の形をしています。新撰組副長・土方歳三の最期でも知られる箱館戦争の激戦地として有名な場所で、現在は国の特別史跡に指定されています。春は桜の名所としても人気です。

五稜郭
五稜郭の歴史
五稜郭が建てられたのは幕末のこと。幕府は嘉永7年(1854年)に米国と日米和親条約を結び、その際に下田(現静岡県下田市)と箱館(函館市)の開港が条約に盛り込まれました。なお、その後幕府は同様の条約を英国・ロシア・オランダと結んでいます。
開港に伴い幕府は外国との交渉と蝦夷地(北海道)の防衛のため、享和2年(1802年)から文政4年(1821年)まで対ロシアのために設置していた箱館奉行を再び蘇らせます。箱館山のふもと、現在の元町公園付近に奉行所を置きましたが、市街地にあり港に近いことから寒さが厳しいことや、艦船から砲撃の標的になる可能性があるなどの防衛上の理由もあり、港から約3km離れた丘陵地に移転を決めました。新たな奉行所を守るため、四方に土塁を巡らし、さらに周囲を水堀で囲んだ城郭、つまり五稜郭が建てられたのです。
五稜郭では箱館奉行のもとで働いていた蘭学者の武田斐三郎が設計しました。斐三郎は箱館に入港していたフランス軍艦から得た情報をもとに、ヨーロッパの城郭都市をモデルにした5つの稜堡(角の部分)を持つ星形の城郭を考え出したのです。工事は安政4年(1857年)に始まり、元治元年(1864年)に五稜郭が完成しました。
明治元年(1868年)、明治政府は箱館府を置いて蝦夷地の支配と開拓の役割を担わせます。その半年後の8月、旧幕府軍海軍副総裁の榎本武揚が旧幕府軍の主力艦隊8隻とともに品川沖を脱走して北上。元新選組副長・土方歳三を含む旧幕府陸軍と仙台で合流。10月に蝦夷地に上陸し、幕府の拠点だった五稜郭を占拠し、蝦夷地全域を制圧しました。そして箱館政権、いわゆる「蝦夷共和国」を樹立し、明治新政府軍と戦います。これが戊辰戦争の最終決戦・箱館戦争です。
明治2年(1869年)に入って新幕府軍が箱館に攻めてくると、旧幕府軍は苦戦。最終的に五稜郭に立てこもり奮戦しましたが、5月11日の箱館総攻撃で陸軍の中心人物だった土方歳三が戦死し、箱館市街は新政府軍が制圧します。結局旧幕府軍は5月18日に降伏し、新政府軍に五稜郭を明け渡しました。
その後五稜郭は明治政府の兵部省の所管となり、箱館奉行所は明治4年(1871年)に解体されました。跡地は練兵場として利用されたほか、水堀を使った採氷事業などにも活用されました。大正3年(1914年)には市民の要望を受ける形で公園として一般公開。このとき5000本の桜が植樹されており、その後も桜の寄贈・植樹が続いたことで桜の名所になり、現在も1500本の桜が残ります。大正11年(1922年)には国指定史跡、昭和27年(1952)には国特別史跡に指定され、平成22年(2010年)には史料や発掘調査をもとに箱館奉行所が復元されました。
五稜郭の見どころ①五稜郭タワー
五稜郭の特徴でもある「星形」。これはどの方向から攻めても稜堡の2方向から銃撃で反撃できるよう、死角をなくした設計でした。また、当初は5ヶ所計画されていたものの、予算の関係から正面の1ヶ所のみとなった三角形の土塁「半月堡」が稜堡を援護しています。
非常に特徴的な形をしている五稜郭の全景は、五稜郭公園に隣接する「五稜郭タワー」の展望台から見ることができます。五稜郭タワーは昭和39年(1964年)の開業で、現在のタワーは平成18年(2006年)にオープンした2代目です。展望台はカフェや売店のある高さ86mの1階と、五稜郭の復元模型や歴史を学べるパネル展示のある高さ90mの2階に分かれており、窓からは五稜郭に加え函館山や津軽海峡などの美しい景色が望めます。
五稜郭の見どころ1 五稜郭の見どころ2 五稜郭の見どころ3
五稜郭の見どころ②箱館奉行所
箱館奉行所は平成22年(2010年)、建物の約3分の1が復元されました。かつてと同じ場所に当時と同様の設計・工法・サイズで建てられており、建物の下には当時の遺構が残されています。
奉行所の内部には、役人別の詰め所や仕事部屋などを文献資料などをもとに忠実に再現した「再現ゾーン」に加え、五稜郭や奉行所の歴史を解説した「歴史発見ゾーン」、復元工事を紹介した「建築復元ゾーン」等に分かれています。映像シアターでは古建築の技法で奉行所が復元されていく様子が映像で学べます。
このほか稜郭内には箱館奉行所以外にもさまざまなスポットがあります。一の橋を渡ると半月堡に入ることが可能。二の橋を渡った先には武者返しの石垣が残されています。兵糧庫や大砲の展示などもありますよ。
五稜郭の見どころ4 五稜郭の見どころ5 五稜郭の見どころ6
五稜郭のフォトスポット
五稜郭の全景を撮影するなら五稜郭タワーへ。春の桜の時期は五稜郭がピンクに染まり、水堀には桜の花びらによる花筏が出現します。冬の夜には五稜郭が星形に浮かび上がるイルミネーションイベントがあるのでこちらもおすすめ。また、箱館奉行所は復元の際に重要な役割を果たしたという、古写真と同じアングルで撮影するのがおすすめ。比較すると復元の精度に感動します。
五稜郭の見どころ7 五稜郭の見どころ8 五稜郭の見どころ9
栗本 奈央子
執筆者 栗本 奈央子(ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。