- 加賀藩外様の名門前田家が治める
- 加賀藩は、江戸時代を通して前田利家を祖とする前田家によって治められました。1つの家が江戸時代を通して1つの藩を治めるのは、とても珍しいことです。前田利家は織田信長・豊臣秀吉に仕え、外様大名でありながら
金沢城とは、石川県金沢市にある中世から近世にかけての城跡である。もとは加賀一向一揆の拠点・金沢御堂があった場所で、天正11年(1583)に前田利家が入城して以後、加賀藩前田家の居城として発展した。現在は金沢城公園として整備され、石川門、三十間長屋、鶴丸倉庫などの現存建造物に加え、菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓・河北門などが復元されている。城内には時代や場所によって異なる石垣が残り、「石垣の博物館」とも呼ばれる。
| 目的 | 加賀藩前田家の居城、加賀百万石の政庁、北陸支配の拠点 |
|---|---|
| 特長 | 石垣の博物館、菱櫓、五十間長屋、橋爪門続櫓、石川門、河北門、玉泉院丸庭園 |
| 他の城との違い | ・加賀百万石を治めた前田家の居城である ・戸室石を用いた多彩な石垣が残り、積み方の変遷を見比べられる ・天守は残らないが、櫓・長屋・門・石垣・庭園が復元整備され、城郭全体の広がりを体感できる |
| 石垣 | 現存 |
|---|---|
| 種類 | 野面積、打込接、切込接、布積、落し積、亀甲石を含む意匠的な石垣など |
| 石材 | 戸室石 |
| 特長 | 金沢城の石垣には、城の南東にある戸室山周辺で産出する戸室石が主に用いられている。戸室石には青灰色系と赤色系の石があり、場所によって色合いや加工の違いを楽しめる。城内には、自然石を積む野面積、割石を用いる打込接、加工石を整然と積む切込接など、時代ごとの技術の変化が見られる。玉泉院丸庭園周辺の色紙短冊積石垣や、六角形の亀甲石を組み込んだ石垣など、意匠性の高い石垣も金沢城ならではの見どころである。 |
| 別称 | 尾山城 |
|---|---|
| 所在地 | 石川県金沢市 |
| 築城 | 1583年頃 |
| 築城者 | 佐久間盛政、前田利家 |
| 住所 | 石川県金沢市丸の内1-1 |
| 電話番号 | 076-234-3800 |
| 開園時間 | 金沢城公園は3月1日~10月15日が7時~18時、10月16日~2月末日が8時~17時。菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓・橋爪門は9時~16時30分。最終入館は16時 |
| 休園日 | 金沢城公園は年中無休。菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓・橋爪門も年中無休 |
| 入園料 | 金沢城公園は無料。菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓・橋爪門は大人320円、小人100円、未就学児無料 |
| 備考 | 金沢城公園内には、石川門、三十間長屋、鶴丸倉庫などの現存建造物が残る。菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓・橋爪門、河北門、鼠多門などは復元整備された建造物である。兼六園と隣接しており、兼六園との共通券も用意されている。 |
「加賀百万石」と呼ばれた加賀藩。その藩政の中心にあったのが金沢城です。前田利家が築城し、明治時代になるまで藩政の中心であり続けました。その一方で何度も天災で焼失するという悲劇に見舞われた城でもあります。この記事では、金沢城の歴史をひもといて行きましょう。
| 1546年 | 加賀一向一揆の拠点として金沢御堂が建てられる |
|---|---|
| 1580年 | 佐久間盛政が金沢御堂を攻め落とし、金沢城の前身となる城を築く |
| 1583年 | 前田利家が金沢城に入城し、加賀藩前田家の居城となる |
| 1592年 | 金沢城が修築され、石垣が完成する |
| 1602年 | 落雷により天守が焼失し、以後再建されない |
| 江戸時代 | 加賀百万石の政庁として、前田家が金沢城を整備する |
| 1759年 | 宝暦の大火により城内の多くの建物が焼失する |
| 1881年 | 火災により城内の建物の多くが焼失する |
| 2001年 | 菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓が復元される |
| 2010年 | 河北門が復元される |
| 2015年 | 橋爪門と玉泉院丸庭園が復元整備される |
| 2020年 | 鼠多門と鼠多門橋が復元される |
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| 藩庁 | 金沢城 |
|---|---|
| 旧地域 | 加賀国石川郡 |
| 石高 | 102万石 |
| 譜代・外様 | 外様 |
| 主な藩主 | 前田家 |
| 推定人口 | 55万4352人(享保6年) |
加賀藩3代目前田利常が藩政の基礎を固める。徳川将軍家からの警戒を避けるため馬鹿殿を演じたことで知られる。
石川県金沢市にある金沢城は、加賀百万石の祖・前田利家の居城として知られる平山城です。約30ヘクタール、東京ドーム約6.4個分の広さを誇る城は明治時代に一部をのぞいてほぼ焼失しましたが、その後櫓や門などが復元されています。とにかく広いのでポイントを押さえて巡りましょう。