- 今治藩今治タオル生産の基礎を築いた
- 今治藩は今治城を藩庁に愛媛県今治市一帯を治めていた藩です。今治といえば「今治タオル」が有名ですが、今治は江戸時代より木綿の栽培が盛んでした。今治藩を治めた久松松平氏は藩の産業として木綿栽培を推奨し、そ
今治城とは、愛媛県今治市にある江戸時代初期の城である。慶長7年(1602)に築城の名手・藤堂高虎が築城を始め、慶長9年(1604)に普請が完成し、慶長13年(1608)頃に城全体が完成したとされる。瀬戸内海に面した三角州に築かれ、内堀・中堀・外堀に海水を引き入れた海城であった。現在は吹揚公園として整備され、内堀、石垣、再建天守、御金櫓、山里櫓、鉄御門、武具櫓などを見学できる。
| 目的 | 伊予半国支配の拠点、瀬戸内海交通の監視、今治藩の政庁、港町・城下町形成の中心 |
|---|---|
| 特長 | 藤堂高虎、海城、海水堀、内堀、石垣、犬走り、再建天守、鉄御門、吹揚公園 |
| 他の城との違い | ・海水を引き込んだ広い堀を持つ海城である ・藤堂高虎の築城思想がよく表れた、方形で実用的な近世城郭である ・現在の天守は昭和55年(1980)に建てられた再建建物で、史実上の天守を完全に復元したものではない |
| 石垣 | 現存 |
|---|---|
| 土塁 | 一部痕跡あり |
| 種類 | 野面積、石垣、海水堀、犬走り、平城、海城、枡形虎口 |
| 石材 | 自然石など |
| 特長 | 今治城の石垣は、自然石をそのまま積む野面積を基調とし、直線的な勾配を持つ点が特徴である。かつては一辺約600メートルの方形の城域に、本丸・二の丸・三の丸を置き、幅約50メートルの内堀に加えて中堀・外堀をめぐらせ、海水を引き入れていた。石垣下部の水際には幅4~5メートルの犬走りが設けられており、海城ならではの水辺構造を確認できる。現在残る主な遺構は、内堀と本丸・二の丸・三の丸の石垣である。 |
| 別称 | 吹揚城、吹上城 |
|---|---|
| 所在地 | 愛媛県今治市 |
| 築城 | 1602年着工、1604年普請完成、1608年頃完成 |
| 築城者 | 藤堂高虎 |
| 住所 | 愛媛県今治市通町3丁目1-3 |
| 電話番号 | 0898-31-9233 |
| 開館時間 | 9時~17時。入館は16時30分まで。史跡公園、吹揚公園は24時間入園可 |
| 休館日 | 12月29日~12月31日。そのほか展示替えなど、運営上必要なとき |
| 観覧料 | 一般520円、学生260円、高校生以下または18歳未満無料、高齢者65歳以上420円。20名以上の団体は一般420円、学生210円 |
| 備考 | 今治城跡は愛媛県指定史跡で、日本100名城にも選定されている。現在の天守・多聞櫓・武具櫓などは1980年に再建され、御金櫓は1985年、山里櫓は1990年、鉄御門は2007年に復元・再建された。観覧料は天守、御金櫓、山里櫓、鉄御門、武具櫓の共通料金である。 |
今治城は、愛媛県今治市に築かれていた海城です。築城の名手藤堂高虎が建築し、香川県の高松城、大分県の中津城と並んで日本三大水(海)城の1つに数えられています。そんな今治城の歴史を紐解いていきましょう。
| 1600年 | 藤堂高虎が関ヶ原の戦いで東軍に属し、戦後に伊予半国20万石を領する |
|---|---|
| 1602年 | 藤堂高虎が今治城の築城を始める |
| 1604年 | 今治城の普請、土木工事が完成する |
| 1608年頃 | 今治城がすべて完成したとされる。藤堂高虎は伊勢・伊賀へ転封される |
| 1608年 | 藤堂高吉が今治2万石の城代となる |
| 1635年 | 藤堂高吉が伊勢へ移り、松平定房が今治藩3万石の領主となる |
| 江戸時代 | 松平久松氏が代々今治を治め、今治城が今治藩の政庁となる |
| 1869年 | 版籍奉還により、松平定法が今治藩知事となる。今治城は廃城となる |
| 1871年 | 廃藩置県により今治藩が廃される |
| 1953年 | 主郭部跡と内堀が愛媛県指定史跡となる |
| 1980年 | 天守閣・多聞櫓・武具櫓などが再建される |
| 1985年 | 御金櫓が再建される |
| 1990年 | 山里櫓が再建される |
| 2006年 | 日本100名城に選定される |
| 2007年 | 鉄御門が復元される |
今治城と関連する人物記を読む
| 藩庁 | 今治城 |
|---|---|
| 旧地域 | 伊予国 |
| 石高 | 3万5000石 |
| 譜代・外様 | 譜代 |
| 主な藩主 | 藤堂家、松平家 |
| 推定人口 | 7万5000人(明治元年) |
愛媛県今治市にある今治城は藤堂高虎が手がけた平城で、香川県の高松城や大分県の中津城と並ぶ「日本三大水城」の一つです。瀬戸内の防衛のため、瀬戸内海に面した砂が吹き上げられてできた「吹揚の浜」に作られたことから「吹揚城(ふきあげじょう)」とも呼ばれます。現在の天守は昭和55年(1980年)に再建された模擬天守です。