湯築城跡愛媛県松山市

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  • 伊予国守護・河野氏が約250年にわたり本拠とした城
  • 二重の堀と土塁をめぐらせた中世の平山城
  • 現在は道後公園として整備され、武家屋敷や資料館を見学できる

湯築城跡とは、愛媛県松山市の道後公園内にある中世城郭跡である。南北朝時代に伊予国守護・河野氏が築いたとされ、戦国時代末期まで約250年にわたり河野氏の居城として機能した。中央の丘陵部を中心に、内堀と外堀、土塁をめぐらせた平山城で、城内には河野氏の居住空間や家臣団の屋敷地があった。天正13年(1585)、豊臣秀吉の四国攻めにより小早川隆景に包囲され、河野通直が降伏したことで城としての役割を終えた。現在は道後公園として整備され、土塁、堀、復元武家屋敷、湯築城資料館、展望台などから中世伊予の城を学ぶことができる。

湯築城跡の特長
目的 伊予国守護河野氏の居城、伊予国支配の拠点、道後周辺の政治・軍事中心
特長 河野氏、二重の堀、土塁、平山城、武家屋敷、土塁展示室、湯築城資料館、道後公園、日本100名城
他の城との違い ・伊予国守護河野氏の本拠として長く機能した中世城郭である
・近世城郭の天守や高石垣ではなく、二重の堀と土塁、城内居住区を中心に構成されている
・現在は道後温泉近くの都市公園として整備され、復元武家屋敷や資料館で中世城館の姿を理解できる
湯築城跡の石垣・土塁
石垣 なし
土塁 現存・復元整備
種類 土塁、内堀、外堀、曲輪、武家屋敷、平山城、中世城館
石材 該当なし
特長 湯築城跡は、石垣を主体とする近世城郭ではなく、土塁と堀によって防御した中世の平山城である。城域は中央の丘陵部を中心に二重の堀と土塁で囲まれ、内側には河野氏の居住空間や家臣団の屋敷地があった。発掘調査により、武家屋敷、土塀、溝、井戸、排水施設などが確認されており、城内で生活と政治が行われていた様子が分かる。現在は土塁展示室で土塁の断面を見学でき、復元武家屋敷とあわせて中世守護の城館構造を体感できる。
湯築城跡DATA
別称 湯月城、湯築城
所在地 愛媛県松山市
築城 14世紀前半、建武年間頃と推定
築城者 河野通盛と伝わる
住所 愛媛県松山市道後公園
電話番号 089-941-1480
開園時間 道後公園は常時開園。展示施設は9時~17時
休館日 展示施設は月曜日、祝祭日の場合は翌平日、12月29日~1月3日
入館料 無料
備考 湯築城跡は国指定史跡で、日本100名城にも選定されている。道後公園として整備され、湯築城資料館、復元武家屋敷、土塁展示室、展望台などを見学できる。日本100名城スタンプは湯築城資料館に設置されており、休館日は資料館玄関外に置かれる。伊予鉄道市内電車「道後公園」電停からすぐ。
湯築城跡への交通アクセス
JR予讃線「松山」駅から「道後温泉行き」市内電車、「道後公園駅」下車すぐ。

HISTORY 湯築城跡について

湯築城跡の歴史
14世紀前半 伊予国守護・河野氏が道後の地に湯築城を築いたと考えられる
建武年間 河野通盛の時代に、河野氏の本拠が風早郡河野郷から道後へ移ったと推定される
南北朝時代 河野氏が伊予国守護として勢力を持ち、湯築城が政治・軍事の中心となる
室町時代 河野氏は周辺勢力との戦いや一族内の争いを繰り返しながら、湯築城を本拠とする
戦国時代 湯築城は河野氏の居城として、伊予国支配の中心であり続ける
1585年 豊臣秀吉の四国攻めにより、小早川隆景が伊予へ進軍する
1585年 河野通直が小早川隆景に降伏し、湯築城は開城する
1587年 河野通直が死去し、河野氏は大名としての地位を失う
江戸時代 城跡は松山藩の管理下に置かれ、道後の景勝地としても意識される
1988年 湯築城跡の発掘調査が始まる
2002年 湯築城跡が国の史跡に指定される
2006年 日本100名城に選定される