一柳家の家紋「丸に釘抜」
川之江城とは、愛媛県四国中央市川之江町にある中世から戦国時代にかけての城跡である。別名を仏殿城といい、南北朝時代の延元2年、建武4年(1337)に、伊予の河野氏が讃岐方面からの侵攻に備え、土肥義昌に命じて築かせたと伝わる。川之江は伊予・讃岐・阿波・土佐を結ぶ交通の要衝に位置し、戦国時代には周辺勢力の争奪の舞台となった。現在は城山公園として整備され、模擬天守、涼櫓、櫓門、隅櫓などが建つ。これらの建物は史実上の天守や櫓を復元したものではなく、昭和期に整備された城郭風建築である。
| 目的 | 伊予東部の防衛拠点、讃岐・阿波・土佐方面への交通監視、川之江地域の支配拠点 |
|---|---|
| 特長 | 仏殿城、河野氏、土肥義昌、城山公園、模擬天守、涼櫓、櫓門、燧灘の眺望 |
| 他の城との違い | ・伊予国の東端、讃岐・阿波・土佐にも近い境目の城である ・現在の天守や櫓は史実上の復元ではなく、城山公園整備により建てられた模擬建築である ・標高約62メートルの城山から、川之江市街地や燧灘を一望できる |
| 石垣 | 一部現存・復元整備 |
|---|---|
| 土塁 | 一部痕跡あり |
| 種類 | 石垣、堀切、竪堀、曲輪、山城、模擬天守 |
| 石材 | 自然石など |
| 特長 | 川之江城は、標高約62メートルの城山に築かれた山城である。城跡は近代以降の整備により改変されており、現在見られる天守・櫓・櫓門・石垣の多くは昭和期の城山公園整備によるものである。史跡としての旧状は、本丸付近の石垣にわずかに残るとされる。城郭ページでは、現在の模擬天守を史実上の復元建物として扱うのではなく、境目の城としての立地、残存する石垣の名残、城山からの眺望を中心に紹介するのが自然である。 |
| 別称 | 仏殿城 |
|---|---|
| 所在地 | 愛媛県四国中央市 |
| 築城 | 1337年と伝わる |
| 築城者 | 土肥義昌と伝わる |
| 住所 | 愛媛県四国中央市川之江町1087-4 |
| 電話番号 | 0896-28-6267 |
| 開館時間 | 9時~16時 |
| 休館日 | 月曜日。月曜日が祝祭日の場合は翌日。10月15日、12月29日~1月3日 |
| 観覧料 | 大人100円、小人、小・中学生50円。30名以上の団体は個人料金の2割引 |
| 備考 | 現在の天守閣は、旧川之江市制施行30周年記念事業として昭和61年(1986)に本丸跡に完成した模擬天守である。涼櫓、櫓門、隅櫓、控塀なども城山公園整備事業により順次整備された。史実上の天守を復元したものではないため、城郭ページでは「現在の模擬天守」と「中世の川之江城跡」を分けて扱うのが望ましい。 |
| 1337年 | 河野氏が讃岐方面からの侵攻に備え、土肥義昌に命じて川之江城を築かせたと伝わる |
|---|---|
| 南北朝時代 | 伊予東部の境目の城として、讃岐方面への備えとなる |
| 戦国時代 | 伊予・讃岐・阿波・土佐を結ぶ交通の要衝として、周辺勢力の争奪の舞台となる |
| 1585年 | 豊臣秀吉の四国平定により、川之江周辺の支配が再編される |
| 安土桃山時代 | 小早川氏、福島氏、池田氏、小川氏など、領主が相次いで替わる |
| 江戸時代初期 | 加藤嘉明の時代に、川之江城は最終的に廃城となったとされる |
| 1636年 | 一柳直家が川之江藩2万8,600石の領主となり、城山に城を築こうとする |
| 1642年 | 一柳直家が病没し、領地が没収され、川之江藩は短期間で終わる |
| 1984年 | 旧川之江市制施行30周年記念事業として、城山公園整備事業が始まる |
| 1986年 | 本丸跡に現在の模擬天守が完成する |
| 1988年 | 涼櫓、櫓門、隅櫓、控塀などを含む城山公園整備事業が完了する |
一柳家の家紋「丸に釘抜」
| 藩庁 | 川之江城 |
|---|---|
| 旧地域 | 伊予国 |
| 石高 | 2万8000石 |
| 譜代・外様 | 外様 |
| 主な藩主 | 一柳家 |