仙台城宮城県仙台市

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仙台城DATA
別称 青葉城、五城楼
築城 1601年
住所 宮城県仙台市青葉区川内1

仙台城は日本100名城の一つ。本丸跡から仙台市内を一望できる。

仙台城への交通アクセス
JR東北本線・東北新幹線「仙台」駅からバス約22分。

HISTORY 伊達政宗が築いた天守閣を持たなかった城、仙台城

仙台城は、宮城県仙台市にあった平城です。江戸時代になって築城されたので、石垣がほとんどなく土塁と堀を巡らせた城で、天守閣も最初から作られませんでした。また、幾度も火災に見舞われた城としても知られています。そんな仙台城の歴史を紐解いていきましょう。

関ヶ原の戦いの後に建てられた城
仙台城は慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いの後で築城が開始されました。築城者は最も有名な戦国武将のひとり、伊達政宗です。伊達政宗は現在の宮城県大崎市に築かれていた岩出山城を居城としていましたが、徳川家康の許しを得て築城に着手します。
これは、岩出山城が豊臣秀吉により一方的にさだめられた居城であったことや徳川家康が伊達政宗に『100万石のお墨付き』を与えたので、より政治がしやすい場所に居城を求めたことが理由と考えられています。
なお、100万石のお墨付きは後年、「伊達政宗が一気を扇動した」という疑いがかかったことで反故にされてしまいました。
伊達政宗は慶長7年(1602年)に本丸と西の丸を築き、慶長8年(1603年)に仙台城に入城します。このとき、天守台は築かれましたが天守は築かれませんでした。すでに徳川家康が天下を取った時代、天守を作らない城は時代遅れです。しかし、広瀬川を防衛線とした城は堅牢で籠城にも適しており、徳川家康を警戒させたと伝えられています。そして、寛永15年(1638年)二代目伊達忠宗が西の丸を増築し、仙台城は完成しました。
なお、伊達政宗が作った本丸には御殿もあって政務も執れるようになっていましたが、山の上にあって行き来に不便ということで二の丸が政務の中心になりました。なお、時期は不明ですがその後仙台城本丸が築かれている青葉山の麓に三の丸が築かれ、仙台藩の政務は完全に二の丸、三の丸で行なわれるようになります。
江戸時代の仙台城
江戸時代、仙台城は仙台藩の藩庁であり、仙台藩を治める伊達家の居城で在り続けました。また、仙台城はたびたび火災や地震に遭っていますがその都度修理をされ、幕末まで存続し続けます。特に、文化元年(1806年)に発生した火災は被害が大きく、二の丸がほぼ全焼し。建て直すまで6年の歳月を要しました。
また、幕末になると仙台藩は奥羽越列藩同盟に加わり、旧幕府軍とともに明治政府軍と戦います。しかし、仙台が戦場になることなく、要塞として最高の機能を持った仙台城は一度も戦争に使われることなく明治を迎えました。
明治以降の仙台城
明治6年(1873年)、廃城令が政府より出され、全国の城は解体されたり軍の施設として再利用されたりするようになりました。仙台城は「現存」とされましたが、それに先駆けて東北鎮台が仙台城を本営にして駐屯しており、本丸は破壊されて軍の兵舎などに建材が流用されていました。
その後、明治天皇が明治9年(1876年)に行幸するなどしましたが、明治15年に二の丸より火災が発生し、ほとんどの建物が尚逸してしまいます。このとき、焼け残ったのは大手門、脇櫓、虎ノ門などのごく一部でした。
昭和6年(1931年)大手門と脇櫓が国宝に指定されます。しかし、昭和20年(1945年)の仙台空襲により、国宝に指定された大手門や脇櫓はすべて焼失してしまいました。
そして戦後、仙台に進駐したアメリカ軍が二の丸跡地に「キャンプセンダイ」を設立、三の丸巽門が破却され、江戸時代の遺構は全てなくなりました。
なお、キャンプセンダイは昭和32年(1957年)に日本に返却され、二の丸跡地は東北大学の川内キャンパスになり、現在に至ります。
現在の仙台城跡地
現在の仙台城跡地は「青葉山公園」として観光名所の一つになっています。仙台城跡地は、滝廉太郎作曲の「荒城の月」のモデルになったことから、定期的に作詞者土井晩翠の銅像の前で荒城の月のメロディが流れています。
また、本丸跡地や出土された仙台城の遺物を展示する博物館、さらに伊達政宗像などがあり、伊達政宗ファンの「聖地」としても親しまれています。
なお、仙台城跡は遺構こそありませんが、日本百名城の1つに数えられています。

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慶長遣欧使節伊達政宗の外交団、スペインとローマ
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仙台城を藩庁とする、仙台藩の歴史

仙台藩伊達家が治め続ける
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仙台藩DATA
藩庁 仙台城
旧地域 陸奥国宮城郡
石高 62万5000石
譜代・外様 外様
主な藩主 伊達氏
推定人口 69万9334人(文政11年)

初代藩主は伊達政宗。仙台を奥羽一の城下町へ発展させ、産業の育成に励む。

仙台城、伊達政宗が築いた青葉城

宮城県仙台市の仙台城は、初代仙台藩藩主の伊達政宗により築城された山城です。「青葉城」の別名でも知られており、現在は石垣が残っています。城跡一帯は青葉城公園となっており、公園内の伊達政宗公騎馬像は仙台市のシンボル的存在です。

仙台城
仙台城の歴史
伊達政宗が仙台城の築城を開始したのは慶長5年(1600年)9月の関ヶ原の戦い後のことでした。徳川家康の許可を得た政宗は、岩出山城(現宮城県大崎市)から仙台に拠点を移すことになったのです。12月に城の縄張りが行われ、翌慶長6年(1601年)から本格的に築城工事がスタート。慶長7年(1602年)に一応の完成をみたとされています。
仙台城は青葉山の標高約130mの高所に位置。東は広瀬川を望む断崖、南は竜ノ口渓谷の崖、西は「御裏林」と呼ばれる山林に囲まれており、自然の地形を巧みに利用し守りやすく攻めにくいように建てられました。
城は本丸と西の丸からなり、本丸には政庁・藩主の居館として「千畳敷」と呼ばれる大広間が建造されました。内部には狩野派の絵師による豪華絢爛な桃山様式の障壁画や襖絵が描かれていたようです。本丸には崖にせり出すように建てられた「懸造り」と5つの櫓が設けられました。天守は建設されませんでしたが、これは家康に警戒されないよう配慮したからだと言われています。
続く2代藩主の伊達忠宗は寛永16年(1639年)に二の丸を整備し、政庁を二の丸に移します。その後、幕末まで二の丸は政治の中心でした。なお、正確な時期は不明ですがこのころ三の丸も整備されています。その後、仙台城は江戸時代に起こった地震や火事により何度も改修されました。
明治に入ると勤政庁や東北鎮台(後の仙台鎮台)が置かれ、その際本丸の石材や木材が兵舎に流用されました。明治15年(1882年)には二の丸で火災が起き、残っていた建物がほぼ消失。本丸の跡地に招魂社(現宮城縣護國神社)が建てられました。
その後、城跡は「青葉山自然公園」として整備され、大正14年(1925年)にオープンします。この時点では大手門などがまだ残っていましたが、昭和20年(1945年)、第2次世界大戦の仙台空襲により焼失。戦後は二の丸跡には連合軍が進駐しますが、後に返還され東北大学のキャンパスになりました。三の丸跡には仙台郷土博物館(後の仙台市博物館)が建てられました。
昭和28年(1953年)、仙台市が管理する「青葉山公園」が整備され、平成15年(2003年)には「青葉城址」が国の史跡に指定されています。
仙台城の見どころ①伊達政宗騎馬像
仙台城の本丸跡におかれた伊達政宗公騎馬像は、仙台市のシンボル的存在です。もとは昭和10年(1935年)に政宗公没後300年を記念して建立されましたが、第二次世界大戦中に金属類回収令により撤去されました。現在本丸跡にあるものは昭和37年(1962年)に再建された騎馬像です。
撤去されたものは第二次世界大戦中に武器生産に利用されて姿を消した…と言いたいところですが、昭和20年(1945年)、郷土史家が塩釜市の金属集積場所で胸から上の部分のみ発見!こちらは青葉神社に寄贈され、現在は青葉山公園内の仙臺緑彩館に展示されています。
仙台城の見どころ1 仙台城の見どころ2 仙台城の見どころ3
仙台城の見どころ②本丸の石垣
仙台城の本丸の北側と北西部には石垣が残っています。このうち本丸の北壁石垣は最大17mの高さを誇る切込ハギ・布積みの石垣です。さらに平成に入っておこなわれた解体修復工事により、野面積みの第一期(築城期)、元和2年(1616年)の地震で第一期の石垣が被災した後に築き直された第二期、寛文8年(1668年)の地震の跡に築き直された第三期(現在のもの)と、石垣が三期に渡って重複して築かれていることが分かっています。こちらは本丸跡にあるガイダンス施設「仙台城見聞館」の横にモデルが展示されています。
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仙台城の見どころ③再建された脇櫓
仙台城の入り口にある大手門跡の横には、昭和42年(1967年)に再建された大手門脇櫓(隅櫓)があり、往時の城門を思い起こさせます。また、大手門北側に残る土塀は現在仙台城に残る唯一の建造物です。
なお、大手門は復元に向けて市が発掘調査等を実施しているところ。仙台空襲で焼失する以前は国宝に指定された門だけあって、仙台市は政宗の没後400年にあたる2036年を目標に復元をめざしています。
仙台城の見どころ④青葉城本丸会館
宮城県護國神社の正面大鳥居の横にある「青葉城本丸会館」には青葉城について深く学べる「青葉城資料展示館」が併設されています。CGを活用した展示は見ごたえばっちり。仙台城の各スポットでVRを活用したパノラマ画像を堪能できる「仙台城VRゴー」の貸出スポットもこちらです。
仙台城のフォトスポット
伊達政宗騎馬像のある本丸跡からは、仙台市の美しいパノラマが楽しめます。また、仙台城跡は日本夜景遺産に認定されており、夜には騎馬像と本丸北壁石垣などが美しくライトアップされます。
仙台城の見どころ7 仙台城の見どころ8 仙台城の見どころ9
栗本 奈央子
執筆者 栗本 奈央子(ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。