徳島城徳島県徳島市

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  • 蜂須賀家政が築いた徳島藩の本拠
  • 阿波の青石を用いた石垣が残る平山城
  • 現在は徳島中央公園として整備され、徳島城博物館と表御殿庭園を見学できる

徳島城とは、徳島県徳島市にある安土桃山時代から近世にかけての城跡である。天正13年(1585)に阿波国の領主となった蜂須賀家政が、吉野川河口に近い猪山、現在の城山に築城を始めた。城地は豊臣秀吉の意向により選ばれたとされ、徳島城は阿波一国支配の拠点として整備された。江戸時代には蜂須賀家14代の居城となり、徳島藩の政庁として機能した。現在は徳島中央公園として整備され、石垣、堀、旧徳島城表御殿庭園、徳島城博物館、復元された鷲の門などから往時の姿をたどることができる。

徳島城の特長
目的 阿波国支配の拠点、徳島藩の政庁、吉野川河口と城下町の支配拠点
特長 蜂須賀家政、蜂須賀氏、阿波の青石、結晶片岩、石垣、旧徳島城表御殿庭園、鷲の門、徳島城博物館、日本100名城
他の城との違い ・蜂須賀家が明治まで約280年にわたり治めた徳島藩の本拠である
・徳島産の結晶片岩、通称「阿波の青石」を用いた石垣が大きな特徴である
・建物はほとんど残らないが、石垣と国指定名勝の旧徳島城表御殿庭園が城の個性を伝えている
徳島城の石垣・土塁
石垣 現存
土塁 一部あり
種類 野面積、打込接、石垣、天守台、曲輪、水堀、平山城
石材 結晶片岩、通称「阿波の青石」など
特長 徳島城の石垣は、徳島産の結晶片岩を多く用いている点が大きな特徴である。青緑色を帯びた石材は「阿波の青石」とも呼ばれ、徳島城ならではの景観をつくっている。石垣には野面積をはじめ、時代や場所によってさまざまな積み方が見られる。建物は明治初年の解体などによりほとんど残らないが、城山の山上部と山麓部に残る石垣、堀、表御殿庭園をあわせて見ることで、徳島城が蜂須賀氏の本城であったことを理解できる。
徳島城DATA
別称 渭山城、渭津城
所在地 徳島県徳島市
築城 1585年
築城者 蜂須賀家政
住所 徳島県徳島市徳島町城内1ほか
電話番号 088-656-2525
開館時間 徳島中央公園は見学自由。徳島城博物館は9時30分~17時。入場は16時30分まで
休館日 徳島中央公園はなし。徳島城博物館は月曜日、祝日の場合は開館、祝日の翌日、年末年始12月28日~1月2日、館内燻蒸作業日、特別展開催準備日など
入館料 徳島中央公園は無料。徳島城博物館は一般300円、高校生・大学生200円、中学生以下無料。特別展は別料金
備考 徳島城跡は国指定史跡で、日本100名城にも選定されている。旧徳島城表御殿庭園は国指定名勝で、徳島城博物館の入館者は庭園も見学できる。鷲の門は復元建物である。JR徳島駅から徒歩約10分でアクセスできる。
徳島城への交通アクセス
JR「徳島」駅から徒歩約10分。

HISTORY 庭園と石垣が往年の面影を残す徳島城

徳島城は徳島県徳島市にあった平城です。蜂須賀家政が築城し、以後明治を向かえるまで蜂須賀家が城主となって治めました。城内の建物は残っていませんが、庭園と石垣が往年の面影を残しています。 そんな徳島城の歴史を紐解いていきましょう。

徳島城の歴史
1585年 蜂須賀家政が阿波国の領主となり、猪山、現在の城山で徳島城の築城を始める
1586年 徳島城が完成したとされる
安土桃山時代 蜂須賀家政が徳島城を本拠に、阿波一国の支配体制を整える
1600年 関ヶ原の戦い後、蜂須賀氏が徳島藩主として存続する
江戸時代 蜂須賀家が代々徳島藩を治め、徳島城が藩政の中心となる
江戸時代 徳島城を中心に城下町が発展し、阿波藍や吉野川水運などを背景に徳島が栄える
1875年 陸軍省により、徳島城の建物が解体される
明治時代以降 城跡は公園として整備され、石垣・堀・庭園が残される
1941年 旧徳島城表御殿庭園が国の名勝に指定される
1989年 鷲の門が復元される
1992年 徳島市立徳島城博物館が開館する
2006年 徳島城跡が国の史跡に指定され、日本100名城にも選定される
徳島城築城まで
徳島は、鎌倉時代より伊予国地頭の河野氏が治めていましたが、至徳2年(1385年)に室町幕府の2代目管領であった細川頼之が南朝方の勢力を討ち、渭山城・寺島城の2城を築きます。
戦国時代になると徳島は多くの武将が支配権を巡って争いましたが、天正10年(1582年)に土佐の長宗我部元親が徳島の地を平定し、支配下に治めました。
しかし、その3年後の天正13年(1585年)豊臣秀吉が四国を征伐し、長宗我部元親から阿波・讃岐・伊予の3カ国を割譲されます。その後、阿波(徳島)は四国攻めで勲功のあった蜂須賀家政に与えられました。この蜂須賀家政が渭山城を半ば建て直す形で徳島城を築城します。
徳島城は、渭山に本丸を築き東と西の二の丸が直線に並んでいる「連郭式」です。山裾には、東南に三の丸、西に二の丸が築かれました。天守閣は築城当時には本丸にありましたが、江戸初期に解体されて西の丸に移築されています。
徳島城は天正14年(1586年)に完成しました。このとき、蜂須賀家政の石高は18万6000石でした。その後、蜂須賀家政の嫡男、至鎮が大坂夏の陣で功績を挙げたため淡路7万1千石が加増され、25万石7千石となります。この石高は江戸時代を通してかわらず、蜂須賀家は徳島藩主として明治維新まで徳島の地を治め続けました。
明治以降の徳島城
明治を向かえると、徳島城は廃城令に基づいて敷地内の建物がほとんど解体されます。その後、明治38年(1905年)に日露戦争に勝利をした記念として翌明治43年(1910年)に城址が「徳島公園」として整備され、広く市民に開放されました。
昭和16年(1941年)には表御殿庭園が国の名勝に指定されます。なお、当時は庭園のほか石垣・堀・鷲之門が残っていましたが、昭和20年(1945年)の徳島空襲により、鷲之門が消失してしまいました。
その44年後の平成元年(1989年)鷲之門が復元され、平成18年(2006年)には日本100名城(76番)に選定されます。
まとめ
徳島城は明治以降ほとんどの建物が取り壊され、往年を偲べるものは庭園と石垣のみです。なお、公園内には博物館もあり、蜂須賀家縁の品を見学できます。徳島駅からもほど近い場所にあるので、地元の方の憩いの場となっているほか、観光名所にもなっています。特に春は桜の名所としても有名です。

徳島城を藩庁とする、徳島藩の歴史

徳島藩戦国末期から蜂須賀家が治める
島藩は、江戸時代を通して徳島県と淡路島を治めた藩です。戦国末期、四国征伐の功績によって豊臣秀吉よりこの地を与えられた蜂須賀家政を祖とし、そのまま明治維新まで蜂須賀家が治め続けたという珍しい藩です。そん
徳島藩DATA
藩庁 徳島城
旧地域 阿波国
石高 25万7000石
譜代・外様 外様
主な藩主 蜂須賀家
推定人口 71万人(明治元年)

徳島城、阿波青石の石垣が輝く蜂須賀氏の居城

徳島県徳島市にある徳島城は、蜂須賀氏の居城として知られる、標高約61mの城山に築かれた平山城です。阿波の青石(緑色片岩)で築かれた独特な色合いの石垣で知られています。平成18年(2006年)には日本100名城に選ばれました。

徳島城
徳島城の歴史
徳島城は阿波国(現在の徳島県)を治めた蜂須賀氏の居城で、江戸時代を通じて阿波藩25万石の政治・軍事の中枢を担いました。もとは至徳2年(1385年)に細川頼之が四国の南朝方を討伐して城山に渭山城を築いたのが始まりとされています。
戦国時代に入ると土佐国(高知県)の長曾我部元親が四国統一に取り組みますが、天正13年(1585年)、豊臣秀吉の四国征伐により四国は平定されます。その功から秀吉は蜂須賀正勝に阿波国(現徳島県)18万6000石を与えようとしますが、正勝は辞退。代わって息子の蜂須賀家政が阿波国を治めることとなりました。家政は当初、近隣にあった一宮城に入城しましたが、新たな拠点として渭山城の大規模修築・改修を開始。天正14年(1586年)に城山を中心とした平山城として徳島城を完成させました。
城は本丸、東二の丸、西二の丸、西三の丸が並んだ連格式の山城と、山の麓にある御殿から成り立っていました。なお、「徳島」と命名したのは家政です。城はその後も拡張が続けられており、元和・寛永期(1615年〜1644年)に完成した部分もあることが調査から分かっています。
江戸時代が終焉を迎えるまで、蜂須賀氏は徳島藩を治め続けました。明治維新を迎えたのち、徳島城は明治6年(1873年)の廃城令により在城処分となります。その後建物は鷲之門をのぞいて廃棄されました。
明治39年(1906年)には「徳島公園」として整備され、昭和52年(1977年)に現在の徳島中央公園に改称されました。なお、鷲之門は昭和20年(1945年)、第2次世界大戦の徳島大空襲で焼失していますが、平成元年(1989年)に市政100周年を記念して復元されています。平成4年(1992年)には徳島市立徳島城博物館がオープンしています。平成18年(2006年)には日本100名城に選定されました。
徳島城の見どころ①阿波青石の石垣
徳島城の大きな特徴は「阿波青石」と呼ばれる緑色片岩を用いた石垣です。青みがかった灰色の石垣は全国的にも珍しく、徳島城独自の景観を形成しています。なお、石垣には五輪塔などの転用石も残されています。
また、石垣には「紅簾片岩」と呼ばれる美しいピンク色の石も使われており、阿波青石の対比が美しいのも特徴です。
石垣の時代はさまざまで、本丸東端には築城当初の野面積みの古い石垣が残るほか、北側には文禄・慶長期の石垣があり、算木積みが見られます。このほか、城山南西麓の石垣は天保14年(1843年)の際に作られたものと推察される、切込ハギの布積みのもの。さまざまな時代の石垣を見ることができるのも、徳島城の特徴です。
さらに、徳島市立徳島城博物館の西側、太鼓櫓近くにある寺島川沿いの石垣には「舌石」と呼ばれる全国的に珍しい遺構が残っています。舌石は敵を攻撃するために設置された折れ曲がった屏風塀の柱を支える台石で、現在6ヶ所が確認できます。
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徳島城の見どころ②旧徳島城表御殿庭園
徳島中央公園内には表御殿に設けられた国の名勝に指定された庭園「旧徳島城表御殿庭園」があります。江戸時代初期に茶人武将の上田宗箇の築庭と伝わる、枯山水と築山泉水庭からなる回遊式の庭園です。 枯山水には阿波青石が使われており、なかでも枯池にかかる青石の石は、長さ10.5m、重さおよそ13トン。蜂須賀家政の長男で初代徳島藩主の蜂須賀至鎮が踏んで割ったという伝説が伝わります。
徳島城の見どころ③徳島県立徳島城博物館
徳島城の山のふもとにあった御殿跡に建てられた「徳島県立徳島城博物館」では、徳島城と徳島藩、蜂須賀家に関する歴史史料を見学できます。常設展は「藩政の変遷」「大名のくらしと文化」「城の構え」「城下町のくらし」「阿波水軍の活躍」の5つのテーマに分かれています。
鎧や刀などの展示品に加え、縮尺50分の1の徳島城御殿の復元模型や、最古の和船として重要文化財に指定された鯨船・千山丸など、見どころがたっぷりです。
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徳島城のおすすめ撮影スポット
徳島城のフォトスポットとして知られるのが、徳島城の正門にあたる復元された鷲之門(薬医門)。当時をしのばせるスポットです。このほか、現在も残る阿波青石石垣の連なりは徳島城のシンボル的な存在。大手門枡形などにある、紅簾片岩と阿波青石が並ぶ石垣はフォトスポットとなっています。旧徳島城表御殿庭園の美しい風景も写真映えします。
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栗本 奈央子
執筆者 栗本 奈央子(ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。