一宮城徳島県徳島市

冬の一宮城1 冬の一宮城2 冬の一宮城3 冬の一宮城4 冬の一宮城5 冬の一宮城6 冬の一宮城7 冬の一宮城8 冬の一宮城9 冬の一宮城10
  • 徳島県内最大規模を誇る阿波の山城
  • 三好氏・長宗我部氏・蜂須賀氏が関わった城
  • 本丸に阿波九城中最大規模とされる野面積の石垣が残る

一宮城とは、徳島県徳島市一宮町にある中世から近世初頭にかけての山城跡である。鮎喰川南岸、四国山地から伸びる尾根上に築かれた徳島県内最大規模の山城で、南北朝時代に小笠原氏、のちの一宮氏によって築かれたと伝わる。戦国時代には三好氏と長宗我部氏の攻防の舞台となり、天正13年(1585)には豊臣秀吉の四国平定に対する長宗我部方の防衛拠点となった。その後、阿波に入国した蜂須賀家政の最初の居城となり、徳島城完成後は阿波九城のひとつとして機能した。現在は曲輪、堀切、竪堀、土塁、本丸石垣などが残る。

一宮城の特長
目的 阿波国西部の支配拠点、鮎喰川流域の交通監視、長宗我部氏の防衛拠点、蜂須賀氏の初期居城
特長 一宮氏、三好氏、長宗我部氏、蜂須賀家政、阿波九城、本丸石垣、才蔵丸、明神丸、小倉丸、貯水池跡、続日本100名城
他の城との違い ・徳島県内最大規模の山城である
・本丸には、阿波九城中最大規模とされる野面積の石垣が残る
・中世山城の曲輪群と、蜂須賀氏入国後に整備された近世的な本丸石垣をあわせて見られる
一宮城の石垣・土塁
石垣 現存
土塁 現存
種類 野面積、石垣、土塁、堀切、竪堀、空堀、曲輪、山城
石材 自然石など
特長 一宮城跡には、本丸を中心に石垣・土塁・堀切・竪堀・空堀・曲輪が残る。特に本丸の石垣は、阿波九城段階のものとみられる野面積の石垣で、阿波九城中最大規模とされる。城域は標高144メートルの本丸を中心に、東西約800メートル、南北約500メートルの範囲に広がり、才蔵丸、明神丸、小倉丸、椎丸、水ノ手丸などの曲輪、倉庫跡、畑跡、貯水池跡が見られる。高石垣を主役とする近世城郭ではないが、山城の土の遺構と野面積の本丸石垣が組み合わさる点が大きな特徴である。
一宮城DATA
別称 一宮城跡
所在地 徳島県徳島市
築城 1338年と伝わる
築城者 小笠原長宗と伝わる
住所 徳島県徳島市一宮町西丁ほか
電話番号 088-621-5419
開館時間 見学自由
休館日 なし
入館料 無料
備考 一宮城跡は徳島県指定史跡で、続日本100名城にも選定されている。続日本100名城スタンプは、一宮城登山口説明板横に設置されていると案内されている。徳島駅から徳島バスで「一の宮札所前」下車すぐ。登山口から本丸までは山道を歩くため、歩きやすい靴での見学が望ましい。
一宮城への交通アクセス
JR「徳島」駅からバス約37分、徒歩約5分。

HISTORY 一宮城について

一宮城の歴史
1338年 小笠原長宗により一宮城が築かれたと伝わる
南北朝時代 小笠原氏、のちの一宮氏が阿波国の有力勢力として一宮城を本拠とする
戦国時代 一宮氏が阿波国の国人領主として活動し、一宮城が鮎喰川流域の支配拠点となる
戦国時代後期 三好氏と長宗我部氏の攻防の舞台となる
1582年 長宗我部元親が阿波を占拠し、一宮城に兵を配置する
1585年 豊臣秀吉の四国平定に際し、一宮城が長宗我部方の防衛拠点となる
1585年 阿波に入国した蜂須賀家政が、最初の居城として一宮城に入る
1586年 蜂須賀家政が徳島城の築城を進め、拠点を徳島城へ移す
江戸時代初期 一宮城は徳島城の支城である阿波九城のひとつとなる
1615年 一国一城令により廃城になったとされる
1954年 一宮城跡が徳島県史跡に指定される
2017年 続日本100名城に選定される

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一宮城、長宗我部元親が拠点とした、石垣が残る阿波の山城

徳島県徳島市にある一宮城は、続日本100名城にも選ばれた山城です。天正13年(1585年)の豊臣秀吉の四国征の際は、秀吉と長曾我部元親の激戦の舞台にもなりました。現在は石垣や曲輪が残されています。

一宮城
一宮城の歴史
一宮城は、南北朝時代に阿波国守護の子孫・小笠原長宗が築いたと伝えられています。場所は、鮎喰川南岸、東竜王山の北東に延びた尾根で、本丸は標高約144メートルの山上に位置しています。城は本丸のある北城と南城からなり、山麓には居館がありました。
小笠原長宗の後、城の城主は代々小笠原氏の子孫である一宮氏が務めましたが、一宮氏は細川氏に敗れて傘下に下ります。続いて阿波国を三好氏が治めると、一宮氏は三好氏の家臣となりました。
その後、天正年間(1573年~1592年)に長宗我部元親が勢力を拡大して阿波国に進出すると、一宮氏は長宗我部氏について三好氏と戦います。天正10年(1582年)には織田信長に降った三好康長が一宮城を攻略しますが、本能寺の変で信長が亡くなると長宗我部元親が阿波国を平定。その際、一宮氏は敵方に通じたとして粛清されました。また、この時元親は一宮城に通称「南城」と呼ばれる曲輪群を新たに増築しています。
天正13年(1585年)、豊臣秀吉の四国征伐の際、一宮城は長宗我部方の重要拠点として激しい攻防戦の舞台となりました。しかし、豊臣秀長軍4万の圧倒的な兵力の前に、一宮城の1万の兵は持ちこたえられずに落城しました。
四国征伐の結果、長宗我部元親が降伏すると、秀吉は阿波国を蜂須賀家政に与えます。家政は阿波支配の拠点として一宮城の石垣などの整備を行いますが、天正14年(1586年)に新築された徳島城に移ります。その後、一宮城には家臣が入り、阿波九城の1つとして重要な拠点であり続けましたが、江戸時代に入ると、寛永15年(1638年)の一国一城令により廃城となりました。
その後、一宮城は昭和29年(1954年)に県史跡の指定を受け、平成29年(2017年)に続日本100名城に選ばれました。現在は本丸を中心に明神丸、才蔵丸、小倉丸などの曲輪やそれらを防御する竪堀、土塁などが残されています。
一宮城のアクセス
一宮城は山城のため、一宮神社近くの登山口から山を登って本丸に行く必要があります。本丸までは約650m、およそ30分程度。北側の登山道が整備されているとはいえ、南側から西側は自然のままとなっており、足元が悪い場所もあります。山歩きしやすい靴を準備して登りましょう。
一宮城の見どころ①本丸石垣と山頂部の構造
一宮城の中心となる本丸には石垣が残されています。一宮城は山城でありながら石垣を用いている点が特徴で、自然地形を活かしながら防御力を高めています。石垣は蜂須賀時代のもので野面積みです。徳島県産の「阿波青石」こと緑色片岩が使われています。石垣は阿波九城中最大規模を誇ります。このほか、本丸には小笠原長宗から11代の城主を祀る若宮神社と、城の炊事場の跡である「釜床跡」があります。
また、本丸からの美しい景色も見どころの一つ。尾根の最も高い位置にあるため、鮎喰川や徳島市の市街地を眼下に収めることができます。
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一宮城の見どころ②尾根に連なる曲輪や堀
一宮城は尾根筋に沿って複数の曲輪が配置されています。敵が一気に本丸へ攻め込むことを防ぎ、段階的に防御する構造です。実際に歩くと、尾根筋を断ち切るように掘られた本丸付近の大きな堀切をはじめ、空堀、竪堀などさまざまな堀が見学でき、山城ならではの工夫が実感できます。
また、小倉丸の西側にある土塁は見ごたえがあります。このほか、才蔵丸や明神丸からの美しい眺望も見どころの一つです。
一宮城の見どころ4 一宮城の見どころ5 一宮城の見どころ6
一宮城の見どころ③一宮神社と四国霊場13番札所の大日寺
一宮城に向かう登山口付近には、阿波藩主の産宮である「一宮神社」と四国霊場13番札所である「大日寺」があります。一宮神社は平安時代から続く歴史ある神社で、もともと阿波国一の宮だった「上一宮大粟神社」が参拝に不便な場所にあったことから、平安時代後期に「下一宮」として参拝しやすいように現在の地に分祀されたものと伝わっています。
一宮氏の初代は神社の神職も兼ねており、一宮城ゆかりの神社として知られています。神社では蜂須賀家政が奉納した太鼓橋が見学できます。
また、神社の向かいにある大日寺は一宮神社の別当を務めていた寺で、あわせて参拝するのもおすすめです。
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一宮城のおすすめ撮影スポット
一宮城でぜひ撮影したいのが、本丸の石垣です。ごつごつとした苔むした阿波青石が野面積みで高く積みあがっている様子はとても美しいですよ。このほか、各曲輪からの見晴らしの良い景色もおすすめです。
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栗本 奈央子
執筆者 栗本 奈央子(ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。