一宮城とは、徳島県徳島市一宮町にある中世から近世初頭にかけての山城跡である。鮎喰川南岸、四国山地から伸びる尾根上に築かれた徳島県内最大規模の山城で、南北朝時代に小笠原氏、のちの一宮氏によって築かれたと伝わる。戦国時代には三好氏と長宗我部氏の攻防の舞台となり、天正13年(1585)には豊臣秀吉の四国平定に対する長宗我部方の防衛拠点となった。その後、阿波に入国した蜂須賀家政の最初の居城となり、徳島城完成後は阿波九城のひとつとして機能した。現在は曲輪、堀切、竪堀、土塁、本丸石垣などが残る。
| 目的 | 阿波国西部の支配拠点、鮎喰川流域の交通監視、長宗我部氏の防衛拠点、蜂須賀氏の初期居城 |
|---|---|
| 特長 | 一宮氏、三好氏、長宗我部氏、蜂須賀家政、阿波九城、本丸石垣、才蔵丸、明神丸、小倉丸、貯水池跡、続日本100名城 |
| 他の城との違い | ・徳島県内最大規模の山城である ・本丸には、阿波九城中最大規模とされる野面積の石垣が残る ・中世山城の曲輪群と、蜂須賀氏入国後に整備された近世的な本丸石垣をあわせて見られる |
| 石垣 | 現存 |
|---|---|
| 土塁 | 現存 |
| 種類 | 野面積、石垣、土塁、堀切、竪堀、空堀、曲輪、山城 |
| 石材 | 自然石など |
| 特長 | 一宮城跡には、本丸を中心に石垣・土塁・堀切・竪堀・空堀・曲輪が残る。特に本丸の石垣は、阿波九城段階のものとみられる野面積の石垣で、阿波九城中最大規模とされる。城域は標高144メートルの本丸を中心に、東西約800メートル、南北約500メートルの範囲に広がり、才蔵丸、明神丸、小倉丸、椎丸、水ノ手丸などの曲輪、倉庫跡、畑跡、貯水池跡が見られる。高石垣を主役とする近世城郭ではないが、山城の土の遺構と野面積の本丸石垣が組み合わさる点が大きな特徴である。 |
| 別称 | 一宮城跡 |
|---|---|
| 所在地 | 徳島県徳島市 |
| 築城 | 1338年と伝わる |
| 築城者 | 小笠原長宗と伝わる |
| 住所 | 徳島県徳島市一宮町西丁ほか |
| 電話番号 | 088-621-5419 |
| 開館時間 | 見学自由 |
| 休館日 | なし |
| 入館料 | 無料 |
| 備考 | 一宮城跡は徳島県指定史跡で、続日本100名城にも選定されている。続日本100名城スタンプは、一宮城登山口説明板横に設置されていると案内されている。徳島駅から徳島バスで「一の宮札所前」下車すぐ。登山口から本丸までは山道を歩くため、歩きやすい靴での見学が望ましい。 |
| 1338年 | 小笠原長宗により一宮城が築かれたと伝わる |
|---|---|
| 南北朝時代 | 小笠原氏、のちの一宮氏が阿波国の有力勢力として一宮城を本拠とする |
| 戦国時代 | 一宮氏が阿波国の国人領主として活動し、一宮城が鮎喰川流域の支配拠点となる |
| 戦国時代後期 | 三好氏と長宗我部氏の攻防の舞台となる |
| 1582年 | 長宗我部元親が阿波を占拠し、一宮城に兵を配置する |
| 1585年 | 豊臣秀吉の四国平定に際し、一宮城が長宗我部方の防衛拠点となる |
| 1585年 | 阿波に入国した蜂須賀家政が、最初の居城として一宮城に入る |
| 1586年 | 蜂須賀家政が徳島城の築城を進め、拠点を徳島城へ移す |
| 江戸時代初期 | 一宮城は徳島城の支城である阿波九城のひとつとなる |
| 1615年 | 一国一城令により廃城になったとされる |
| 1954年 | 一宮城跡が徳島県史跡に指定される |
| 2017年 | 続日本100名城に選定される |
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