勝連城沖縄県うるま市

  • 阿麻和利の居城として知られる琉球王国時代のグスク
  • 太平洋を望む丘陵上に築かれた世界遺産の城跡
  • 琉球石灰岩の曲線的な城壁が美しいグスク

勝連城とは、沖縄県うるま市勝連南風原にある琉球王国時代のグスクである。沖縄本島中部、勝連半島の根元に位置する丘陵上に築かれ、自然の地形を巧みに利用しながら琉球石灰岩の城壁をめぐらせている。15世紀には有力按司・阿麻和利の居城として栄え、海外交易によって繁栄した城として知られる。阿麻和利は中城城の護佐丸を滅ぼしたのち、首里王府と対立して敗れた。現在は世界文化遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の構成資産として保存され、一の曲輪からは金武湾、うるま市の離島、知念半島、久高島、中城城跡方面まで望むことができる。

勝連城の特長
目的 勝連按司の居城、勝連半島周辺の支配拠点、海上交通・交易の監視、祭祀空間
特長 阿麻和利、グスク、世界遺産、琉球石灰岩、曲線的な城壁、一の曲輪、玉ノミウヂ御嶽、あまわりパーク
他の城との違い ・本土の近世城郭ではなく、琉球王国時代のグスクである
・自然の断崖と琉球石灰岩の城壁を組み合わせて築かれている
・軍事拠点であると同時に、御嶽などの祭祀空間を含む聖域としての性格を持つ
勝連城の石垣・土塁
石垣 現存・復元整備
土塁 なし
種類 琉球石灰岩の城壁、切石積み、曲輪、石段、城門跡、御嶽、グスク
石材 琉球石灰岩
特長 勝連城の城壁は、琉球石灰岩を用いた石垣によって構成されている。城は北西の最高部から一の曲輪、二の曲輪、三の曲輪、四の曲輪へと階段状に下がり、地形に沿って優美な曲線を描く城壁が続く。文化遺産オンラインでは、三の丸・二の丸・本丸に珊瑚性石灰岩の石垣がめぐると説明されており、発掘調査では門、石段、各曲輪の構造が明らかになっている。石垣は本土城郭の高石垣とは異なり、自然地形、祭祀空間、眺望、曲輪構成を一体化させたグスクの城壁として見るのが自然である。
勝連城DATA
別称 勝連城跡、勝連グスク
所在地 沖縄県うるま市
築城 13世紀前後にさかのぼると考えられる
築城者 不明。15世紀には阿麻和利の居城となる
住所 沖縄県うるま市勝連南風原3807-2
電話番号 098-978-2033
開館時間 9時~18時。最終受付は17時30分
休館日 年中無休。ただしメンテナンス等による臨時休館あり
観覧料 勝連城跡・常設展は大人、高校生以上600円、小人、中学生以下400円。6歳未満無料。常設展のみは高校生以上400円、中学生以下200円
備考 勝連城跡は国指定史跡で、世界文化遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の構成資産である。現在はあまわりパークと一体で整備され、歴史文化施設、常設展示、ライブパフォーマンスなどを通して阿麻和利と勝連城の歴史を学べる。駐車場あり。
勝連城への交通アクセス
那覇空港自動車道路から沖縄自動車道へ合流し「沖縄北IC」。

HISTORY 勝連城について

勝連城の歴史
13世紀前後 勝連半島の丘陵上に、自然地形を利用したグスクが築かれ始めたと考えられる
琉球王国時代 勝連城が勝連地域を支配する按司の拠点として発展する
15世紀 阿麻和利が勝連城主となり、海外交易などを背景に勢力を拡大する
1458年 阿麻和利が中城城主・護佐丸を滅ぼす
1458年 阿麻和利が首里王府と対立し、敗れて滅ぼされる
阿麻和利滅亡後 勝連城は政治的拠点としての役割を失い、次第に廃城となったと考えられる
1965年 琉球政府文化財保護委員会による発掘調査が始まり、各曲輪や門、石段などの構造が明らかになる
1972年 勝連城跡が国の史跡に指定される
2000年 世界文化遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の構成資産として登録される
2021年 あまわりパーク歴史文化施設が開館し、勝連城跡の展示・体験施設として整備される

勝連城跡、阿麻和利が住んだ難攻不落の世界遺産

沖縄県中部のうるま市にある「勝連城(かつれんぐすく)跡」は、首里城などとともに「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界文化遺産に登録されたグスク(城)です。勝連を反映させ、琉球王朝に反旗を翻した城主・阿麻和利(あまわり)の居城としても知られています。

勝連城
沖縄の「グスク」とは
沖縄の「グスク」は首里「城」のように「城」と表記されますが、正確には北海道や本州、四国・九州の城とは異なる存在です。グスクは丘陵地などに作られた野積みの石垣を持つ石造りの城塞であると同時に、いわゆる「御嶽」と呼ばれる拝所を備えた聖域でした。なお、沖縄本島以外の島では「スク」「シュク」など別の呼び方をされています。
グスクの起源については集落説、聖域説、地元の実力者の館説などさまざまです。主に沖縄本島で北山、中山、山南の三勢力が争っていた「三山鼎立時代」だった14世紀に作られており、このころ城塞としての役割を果たすようになったと考えられています。
勝連城の歴史
勝連城は発掘調査などから先史時代後期末から古代人が生活しており、13世紀前後から木柵の砦等が築かれ、徐々に城塞としての体裁を整えていったと推察されています。発掘調査は現在も続いており、今後の発見が待たれるところです。
口伝によれば、勝連城の初代城主は英祖王統2代・大成王の五男で、その後も勝連按司は4代続き、5代目は跡継ぎがいなかったため養子縁組を実施。このため6代目は伊波按司となりました。その後は詳細は不明ですがさまざまな地方の按司(指導者・有力者)が城主として入ります。その10代目の城主が、地元の英雄として名高い阿麻和利です。
阿麻和利は酒におぼれて圧制を敷いていた9代目をクーデターで殺害し、代わって城主となりました。その後、海外貿易を進めて力を蓄えていきます。もともと勝連城は奄美諸島や本土、中国などと貿易をしていましたが、阿麻和利の時代に最盛期を迎えました。琉球王国時代の歌集『おもろさうし』では阿麻和利をたたえる歌が残されているほか、勝連城を「大和の鎌倉」にたとえています。同地の発掘調査でも当時の瓦や陶磁器などが出土しています。
阿麻和利を警戒した琉球王国第一尚氏王統の第6代国王・尚泰久(しょうたいきゅう)は、娘の百度踏揚(ももとふみあがり)を妻として送って懐柔しようとします。ところが阿麻和利は勢力を拡大し続けたため、琉球王国の忠臣・護佐丸が中城城主となり、阿麻和利をけん制します。
そんななか、1458年に「護佐丸・阿麻和利の乱」が起こります。これは阿麻和利が尚泰久に「護佐丸が謀反を企てている」と讒言し、尚泰久が阿麻和利に護佐丸追討を命じたもの。護佐丸は抵抗せずに自刃しました。その後、阿麻和利は尚泰久を討とうと首里城を攻めますが、勝連城を脱出した百度踏揚が首里城に乱を知らせたことで反撃にあいます。激戦の末阿麻和利は亡くなり勝連城は陥落しました。なお、この乱は当時の史料がないことから詳細がはっきりわかっていません。
勝連城は廃城となりましたが、17世紀頃まで周辺の住民が何らかの形で利用していたようです。後に城壁の石が工事のために持ち去られるなどしてきましたが、昭和40年(1965年)から発掘調査が行われ、昭和47年(1972年)に国の史跡に指定。2000年には「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界文化遺産に登録されました。
勝連城の見どころ① 棚田状の曲輪と石垣
勝連城は標高60mから98mの丘陵の勾配に沿って築城されており、曲輪は北西の「一の曲輪」から「四の曲輪」へと階段状に置かれ、南東側の「東の曲輪」で再び高くなっています。琉球石灰岩の石垣が緩やかな曲線を描きながら連なる姿は美しく、その姿は中国との貿易等で使われていた「進貢船」に例えられています。
一番標高が高い一の曲輪からの360度のパノラマは見事の一言。青い海の向こうには知念半島や久高島を見ることができるほか、護佐丸の居城であった中城城跡も一望できます。また、二の曲輪の様子も見学でき、按司の屋敷跡の遺構が分かりやすく確認できます。
勝連城の見どころ1 勝連城の見どころ2 勝連城の見どころ3
勝連城の見どころ②城の各地にある御嶽
勝連城にはさまざまな曲輪に拝所を備えた聖域「御嶽」(ウタキ)が置かれています。一の曲輪の「玉ノウミウヂ御嶽」は大きな岩がご神体となっている御嶽。このほか二の曲輪や三の曲輪にも御嶽が残されています。
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勝連城の見どころ③あまわりパーク
勝連城跡に隣接する複合施設「あまわりパーク」内には歴史文化施設があり、勝連城の発掘調査による出土品や、勝連城をはじめとしたうるま市の歴史を学ぶことができます。ライブシアターでは阿麻和利の物語を演じるパフォーマンスが鑑賞でき、目玉の一つとなっています。
勝連城のフォトスポット
一の曲輪は海や勝連城跡を臨めるフォトスポットとして有名ですが、勝連城を撮影するなら東の曲輪からがおすすめ。うねる石垣の様子がはっきりとわかり、城の全貌をとらえることができます。四の曲輪から見上げるように石垣を撮るのも美しいですよ。
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栗本 奈央子
執筆者 栗本 奈央子(ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。