国分城鹿児島県霧島市

国分城DATA
別称 国分新城、国分御屋形、舞鶴城
築城 1604年
住所 鹿児島県霧島市国分中央2-4-13

国分城への交通アクセス

JR「国分」駅 徒歩約15分

国分城について

国分城と関連する事件を読む

九州平定秀吉が島津を下して九州を支配下に
織田信長の後を継ぎ、天下統一を進める豊臣秀吉。最大のライバル・徳川家康を天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いを契機に臣従させ、天正13年(1585年)に長曾我部元親を下して四国を平定した秀吉が次に目を向けたのが九州でした。こうして天正14年(1586年)7月から翌天正15年(1587年)4月まで、豊臣連合軍と島津家が争う「九州平定(九州征伐、島津征伐

国分城と関連する人物記を読む

島津義久三州の総大将
戦国時代、都があった近畿を中心に各地で戦乱が起きました。そんな中、戦乱を勝ち抜き地域を統べるものが台頭。関東の北条家、中国の毛利家、東北の伊達家、四国の長曾我部家などです。同様に九州でも地域を統一しかけた大名がいました。島津家です。島津義久は島津4兄弟を中心に結束して薩摩国から興り、九州を統一しようと試みます。今回は島津4兄弟の1人、島津義久を見ていきます。

国分城を藩庁とする、薩摩藩の歴史

薩摩藩維新の立役者
薩摩藩は、島津氏によって江戸時代を通して治められた藩です。島津氏は鎌倉時代に源頼朝によって祖である島津忠久という人物が島津荘地頭職に任じられて以来、九州全土を支配するべく戦いを続けてきた一族です。 豊臣政権下で一部の地域を除いてほぼ九州全制覇を成し遂げ、徳川氏や上杉氏、前田氏などに続いて、全国で5番目石高の多い大名にまで登り詰めました。また、幕末には明治維新
薩摩藩DATA
藩庁 国分城
旧地域 大隅国
石高 56万9000石
譜代・外様 外様
主な藩主 島津家
推定人口 62万2365人(嘉永5年)