旧集成館とは、鹿児島県鹿児島市吉野町の磯地区にある、幕末薩摩藩の近代化事業を伝える史跡である。第28代薩摩藩主・島津斉彬は、欧米列強に備えるため、仙巌園周辺に反射炉、溶鉱炉、ガラス工場、蒸気機関の研究施設などを整備し、これらの工場群を「集成館」と名づけた。ここでは大砲鋳造、造船、蒸気機関、ガラス製造、紡績など、当時の日本では先進的な産業技術の導入が試みられた。現在は反射炉跡、旧集成館機械工場、旧鹿児島紡績所技師館などが残り、旧集成館機械工場は尚古集成館として利用されている。西洋の技術書を手がかりにしながら、薩摩の在来技術も用いて近代化に挑んだ点に、旧集成館の大きな意味がある。
| 目的 | 海防強化、富国強兵、殖産興業、大砲鋳造、造船、蒸気機関研究、ガラス製造、紡績、薩摩藩の近代化 |
|---|---|
| 特長 | 旧集成館、集成館事業、島津斉彬、仙巌園、磯地区、反射炉跡、旧集成館機械工場、尚古集成館、旧鹿児島紡績所技師館、異人館、薩摩藩、近代化産業遺産、明治日本の産業革命遺産 |
| 他の産業遺産との違い | ・薩摩藩が藩主導で進めた大規模な近代化事業の跡である ・反射炉、機械工場、紡績所関連施設が一体となり、複数の産業技術の導入を伝えている ・西洋技術をそのまま移植しただけでなく、薩摩在来の石組みや建築技術も用いられている ・旧集成館機械工場は現存する日本最古級の洋式工場建築として知られる ・世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」の中でも、日本の近代化が地方藩から始まったことを示す場所である |
| 別称 | 集成館、旧集成館反射炉跡、旧集成館機械工場 |
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| 正式名称 | 旧集成館 |
| 所在地 | 鹿児島県鹿児島市吉野町、仙巌園周辺 |
| 創設 | 嘉永4年(1851)頃、島津斉彬により集成館事業が始まる |
| 主な構成 | 反射炉跡、旧集成館機械工場、旧鹿児島紡績所技師館 |
| 関係人物 | 島津斉彬、島津久光、島津忠義 |
| 主な見どころ | 反射炉跡の石組み、旧集成館機械工場、尚古集成館の展示、旧鹿児島紡績所技師館、仙巌園から望む桜島 |
| 文化財指定 | 国指定史跡。旧集成館機械工場は国指定重要文化財 |
| 世界遺産 | 世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産 |
| 見学時間 | 施設により異なるため、仙巌園・尚古集成館の公式情報を確認 |
| 入館料 | 有料。仙巌園・尚古集成館の入場券が必要 |
| アクセス | JR鹿児島中央駅から車で約20分。鹿児島市周遊バス「仙巌園前」下車すぐ |
| 備考 | 旧集成館は、単独の工場跡ではなく、反射炉、機械工場、紡績関連施設などが集まった近代化事業の跡として理解すると分かりやすい。仙巌園や尚古集成館とあわせて見学することで、薩摩藩が幕末に進めた産業化の流れをつかみやすい。 |
| 嘉永4年(1851) | 島津斉彬が薩摩藩主となり、磯の仙巌園周辺で反射炉の建設に着手する。集成館事業の基盤が整えられる。 |
|---|---|
| 安政4年(1857) | 反射炉の2号炉が建設される。現在は、大砲鋳造のために築かれた反射炉の下部構造が残る。 |
| 安政5年(1858) | 島津斉彬が死去し、集成館事業は一時的に縮小される。 |
| 文久3年(1863) | 薩英戦争により、斉彬期の工場群は大きな被害を受ける。薩摩藩は近代化の必要性を改めて認識する。 |
| 元治元年(1864) | 島津忠義と島津久光のもとで第二期集成館事業が進められ、旧集成館機械工場の建設が始まる。 |
| 慶応元年(1865) | 旧集成館機械工場が竣工する。洋式機械や蒸気機関を用い、船舶装備用部品などを製造する工場として使われる。 |
| 慶応3年(1867) | 鹿児島紡績所が設けられ、英国人技師の宿舎として旧鹿児島紡績所技師館が建てられる。 |
| 昭和37年(1962) | 旧集成館機械工場が国の重要文化財に指定される。 |
| 平成27年(2015) | 「明治日本の産業革命遺産」の構成資産として、旧集成館が世界文化遺産に登録される。 |
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