知覧城跡鹿児島県南九州市

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  • 島津氏一門・佐多氏の本拠となった中世山城
  • シラス台地の崖と深い空堀を活かした南九州特有の城
  • 知覧麓の武家屋敷群の母体となった国指定史跡

知覧城とは、鹿児島県南九州市知覧町にある中世山城跡である。知覧武家屋敷群から南へ約1キロメートルのシラス台地上に築かれ、直立する崖と深い空堀を巧みに利用した南九州を代表する城跡である。築城年代は不明だが、南北朝時代以降、島津氏一門である佐多氏の居城として知られた。城は本丸、蔵之城、今城、弓場城などの曲輪群で構成され、それぞれが深い空堀によって独立する構造を持つ。現在は国指定史跡として保存され、土塁、空堀、枡形虎口、やぐら台、横矢などを見学できる。

知覧城跡の特長
目的 佐多氏の居城、知覧地域の支配拠点、薩摩半島南部の防衛拠点、知覧麓形成の母体
特長 佐多氏、島津氏一門、シラス台地、空堀、曲輪群、本丸、蔵之城、枡形虎口、土塁、知覧武家屋敷群、続日本100名城
他の城との違い ・石垣や天守を見せる近世城郭ではなく、シラス台地の地形を利用した南九州型の中世山城である
・深い空堀により、それぞれの曲輪が独立している点が大きな特徴である
・城跡だけでなく、麓の知覧武家屋敷群と一体で見ることで、城と武士団の集住地の関係が理解しやすい
知覧城跡の石垣・土塁
石垣 なし
土塁 現存
種類 土塁、空堀、枡形虎口、やぐら台、横矢、曲輪、山城、シラス台地の城
石材 該当なし
特長 知覧城跡は、石垣を主体とする城ではなく、シラス台地の崖を利用した土の城である。本丸・蔵之城などの中心曲輪と、東ノ栫・式部殿城などの周辺曲輪が組み合わさり、曲輪と曲輪の間には深い空堀がめぐる。それぞれの曲輪が独立して守られる構造で、城内にはL字状に曲がる枡形虎口、土塁、やぐら台、横矢などの防御施設が残る。直立するシラスの崖と空堀によって守る構造は、南九州の中世城郭を理解するうえで重要である。
知覧城跡DATA
別称 知覧城
所在地 鹿児島県南九州市
築城 不明。南北朝時代以降に整備されたと考えられる
築城者 不明。佐多氏の居城として知られる
住所 鹿児島県南九州市知覧町永里周辺
電話番号 0993-83-4433
開館時間 知覧城跡は見学自由。ミュージアム知覧は9時~17時。入館は16時30分まで
休館日 知覧城跡はなし。ミュージアム知覧は水曜日、国民の祝日を除く、12月29日~31日、7月1日~3日
観覧料 知覧城跡は無料。ミュージアム知覧単独券は大人、高校生以上300円、小人、小・中学生200円
備考 知覧城跡は国指定史跡で、続日本100名城にも選定されている。南九州市公式では、全体約41ヘクタールのうち約24ヘクタールが国指定史跡となっていると案内されている。知覧城跡は知覧麓の武家屋敷群の母体ともなった城であり、城跡と知覧武家屋敷群、ミュージアム知覧をあわせて見学すると理解しやすい。
知覧城跡への交通アクセス
JR指宿枕崎線「松ヶ浦」駅 バス約30分、徒歩約18分。

HISTORY 知覧城跡について

知覧城跡の歴史
南北朝時代 知覧のシラス台地上に、地域支配の拠点となる山城が築かれ始めたと考えられる
1353年 足利尊氏により、島津忠宗の三男・佐多忠光へ知覧の領地が与えられたと記録される
室町時代 佐多氏が知覧を治め、知覧城が居城として機能する
15世紀以降 島津氏一門である佐多氏の本拠として、知覧城が整備される
戦国時代 知覧城が薩摩半島南部の地域支配と防衛の拠点となる
16世紀頃 本丸・蔵之城・今城・弓場城など、深い空堀で区切られた曲輪群が整えられる
江戸時代 知覧麓が薩摩藩の外城、麓集落として整備され、武家屋敷群の基盤となる
1993年 知覧城跡が国の史跡に指定される
1998年 保存整備に伴う発掘調査が開始され、陶磁器、石なべ、鉄くぎ、かんざし、硯、武具などが出土する
2017年 続日本100名城に選定される

知覧城跡、シラス台地に築城された南九州らしい山城

鹿児島県南九州市知覧町にあった知覧城は、南北朝時代に島津氏庶流の知覧氏によって築かれた山城です。シラス台地に築かれた南九州独特の様式を持つ城でしたが、江戸時代初期には廃城となりました。現在は空堀や土塁、曲輪跡などが残っています。

知覧城跡
知覧城の歴史
知覧城が築城された時期ははっきりとしませんが、平安時代末期には同地に城が作られていたようです。鎌倉時代には知覧氏が統治しており、南北朝時代の文和2年/正平8年(1353年)に足利尊氏が島津忠宗の三男・佐多忠光に知覧を与えています。
その後、知覧城は島津家の一門である佐多氏の本拠地となりましたが、11代当主・佐多久慶の際に原因不明の火災により焼失してしまい、城はそのまま廃城となりました。
やがて知覧は種子島久時や島津氏の直轄領となりましたが、慶長15年(1610年)に再び佐多氏の統治下に置かれるようになります。ただし、この際に城が再建されることはありませんでした。
近世には佐多氏私領の外城である「麓」として、知覧城の支城だった亀甲城の山麓に「知覧麓」が置かれました。麓は薩摩藩独自の統治システム「外城制度」の構成要素で、藩内の山城近くに武家屋敷群を整備するというものです。
薩摩藩は九州平定で領地が大幅に減りましたが、武士の数は減らなかったため、武士たちの住む場所が足りませんでした。このため武士を分散させて住まわせ、各地を守らせる外城制度が発足しました。江戸時代末期には120ヶ所の麓があったとされています。
現在知覧麓は重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。さらに、「薩摩の武士が生きた町~武家屋敷群「麓」を歩く~」として、知覧城跡とともに日本遺産に登録されています。
知覧城とは?
知覧城は規模は南北800m、東西400mで、南九州独自の直立した崖をなすシラス地形を利用して作られており、約40mの崖が城を守っていました。知覧城は早くに廃城になったことから南九州内で最も保存がよく、規模が大きい城跡です。城には12を超える曲輪があり、大きな谷を空堀として活用していました。
知覧城跡の見どころ①曲輪や空堀
知覧城は大きく分けて本丸、今城、蔵之城、弓場城の4つの曲輪群(主要城郭部分)と、それらを囲む東ノ栫・式部殿城など周辺の曲輪群から形成されています。本丸は南北70m、東西70mの曲輪で、他の曲輪との出入り口には虎口が設けられていました。
現在、城跡は整備され、説明版や案内板などが建てられています。蔵之城については平成の発掘調査で柱穴跡が発見されており、現在は23基の柱穴跡上に分かりやすいように杉の角材が設置されています。
曲輪の周辺には土塁や、雨水により形成された浸食谷を活用した幅広で深さのある空堀が残っています。堀の底は道路としても利用されていました。
知覧城跡の見どころ1 知覧城跡の見どころ2 知覧城跡の見どころ3
知覧城跡の見どころ②知覧ミュージアム(南九州市立博物館)
知覧城跡を訪れる前に立ち寄ってほしいのが「知覧ミュージアム(南九州市立博物館)」です。「交錯する文化の波」をテーマに知覧を含めた南薩摩の文化を紹介する資料館で、なかでも歴史展示室では知覧城を含む知覧の歴史を知ることができます。知覧城の分かりやすいジオラマがあるので、城攻めの前に見ておくと全体像がつかみやすくなります。
また、知覧城は続日本100名城にも選ばれており、ミュージアムの受付前にスタンプが設置されています。
知覧城跡の見どころ4 知覧城跡の見どころ5 知覧城跡の見どころ6
知覧城跡の見どころ③重要伝統的建造物群保存地区の「知覧麓」
知覧麓は武家屋敷が整然と並ぶ街並みが魅力的で、薩摩の小京都と呼ばれる知覧を代表する景観が楽しめる区域です。武家屋敷にはそれぞれ防衛のための石垣や生垣、切石の目隠しが設けられています。屋敷の一角にある庭園も見どころの一つで、一般公開している7つの庭園が国の名勝となっています。
知覧城跡の見どころ7 知覧城跡の見どころ8 知覧城跡の見どころ9
知覧城跡のフォトスポット
知覧城の主要城郭部分の遺構は撮影しておきたいところ。木々に覆われた空堀や土塁の跡は押さえておきたいスポットです。知覧城の本丸跡に建つ顕彰碑も合わせて撮影しましょう。江戸時代を感じられる知覧麓も必須のスポットです。
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栗本 奈央子
執筆者 栗本 奈央子(ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。