- 福岡藩黒田家が治める
- 福岡藩とは 福岡藩とは、現在の福岡県福岡市にあった大藩で、ほぼ筑前国全域を領有した藩である。 藩名は福岡藩で、1600年から1871年まで続き、福岡城を関係する城とした藩である。 関ヶ原の戦いで功績を
福岡城とは、福岡県福岡市中央区にある江戸時代初期の城跡である。関ヶ原の戦い後、筑前国へ入った黒田長政が慶長6年(1601)から築城を始め、7年をかけて完成させた。長政は当初、名島城に入ったが、城下町を広げるには地形が狭かったため、福崎の地に新たな城を築いた。城名は黒田氏ゆかりの備前国福岡に由来するとされる。現在は国史跡「福岡城跡」として保存され、舞鶴公園内に天守台、石垣、堀、多聞櫓、伝潮見櫓、下之橋御門などが残る。
| 目的 | 筑前福岡藩の政庁、黒田氏の本拠、博多湾・城下町・西国交通の支配拠点 |
|---|---|
| 特長 | 黒田長政、黒田官兵衛、舞鶴城、天守台、石垣、多聞櫓、伝潮見櫓、下之橋御門、名島門、舞鶴公園、鴻臚館跡 |
| 他の城との違い | ・黒田長政が筑前52万石の本拠として築いた大規模城郭である ・天守の存在は長く定かではないが、大・中・小の天守台が残る ・城跡内に古代外交施設である鴻臚館跡も重なり、古代から近世までの歴史を一体で見学できる |
| 石垣 | 現存 |
|---|---|
| 土塁 | 一部現存 |
| 種類 | 野面積、打込接、切込接、算木積み、天守台、櫓台、枡形虎口、水堀、平山城 |
| 石材 | 花崗岩など |
| 特長 | 福岡城は、石垣と広大な縄張りがよく残る城である。本丸、二の丸、三の丸を中心に石垣が残り、大天守台・中天守台・小天守台、櫓台、枡形虎口などから、黒田氏の本城としての規模を感じることができる。大天守台は現在展望台になっており、上面には建物を支えた礎石が残る。南丸の多聞櫓は、高く積まれた石垣上に建ち、石落や鉄砲狭間を備えた防御施設である。福岡城は建物が少ない一方で、石垣と縄張りが城の本質を伝える城跡である。 |
| 別称 | 舞鶴城、石城 |
|---|---|
| 所在地 | 福岡県福岡市 |
| 築城 | 1601年着工、1607年頃完成 |
| 築城者 | 黒田長政 |
| 住所 | 福岡県福岡市中央区城内 |
| 電話番号 | 092-732-4801 |
| 開館時間 | 福岡城跡・舞鶴公園は見学自由。福岡城むかし探訪館は9時~17時 |
| 休館日 | 福岡城跡・舞鶴公園はなし。福岡城むかし探訪館は年末年始、12月29日~1月3日 |
| 入館料 | 福岡城跡・舞鶴公園は無料。福岡城むかし探訪館も無料 |
| 備考 | 福岡城跡は国指定史跡で、日本100名城にも選定されている。多聞櫓は国指定重要文化財で、伝潮見櫓、下之橋御門、旧母里太兵衛邸長屋門は県指定有形文化財、名島門は市指定有形文化財である。大天守台は展望台として利用でき、福岡市街や博多湾を望める。城跡内には国指定史跡の鴻臚館跡もある。 |
福岡城は築城の名人といわれた黒田官兵衛とその息子、黒田長政によって築かれ、明治になるまで黒田家野居城となった九州一の城です。現在は、天守台・多聞櫓が残る城跡が公園として整備され、観光名所の一つになっています。そんな福岡城の歴史を紐解いていきましょう。
| 1600年 | 関ヶ原の戦いで黒田長政が徳川家康に味方し、戦後に筑前国ほぼ一国を与えられる |
|---|---|
| 1600年 | 黒田長政が豊前中津から筑前へ移り、まず名島城に入る |
| 1601年 | 黒田長政が福崎の地で福岡城の築城を始める |
| 1607年頃 | 約7年の工事を経て、福岡城が完成する |
| 江戸時代 | 黒田氏が代々福岡藩主となり、福岡城が藩政の中心となる |
| 江戸時代 | 本丸、二の丸、三の丸、櫓、門、石垣、堀を備えた大規模な城郭として機能する |
| 1853年 | 南丸多聞櫓の平櫓が建て替えられる |
| 1871年 | 廃藩置県により福岡藩が廃止される |
| 明治時代 | 城郭建造物の多くが失われるが、石垣・堀・一部櫓や門が残る |
| 1957年 | 福岡城跡が国の史跡に指定される |
| 1987年 | 旧平和台野球場周辺で鴻臚館跡が発見される |
| 2006年 | 日本100名城に選定される |
| 2024年 | 福岡城の天守について、「天守を建てた」と読める新史料が発見される |
| 2025年度 | 天守台周辺の発掘調査等が始まる予定とされる |
福岡城と関連する人物記を読む
| 藩庁 | 福岡城 |
|---|---|
| 旧地域 | 筑前国那珂郡 |
| 石高 | 52万3000石 |
| 譜代・外様 | 外様 |
| 主な藩主 | 黒田家 |