久留米城福岡県久留米市

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  • 有馬氏が約250年にわたり治めた久留米藩の本拠
  • 筑後川を背にした平山城
  • 現在は篠山神社、本丸石垣、内濠が残る続日本100名城

久留米城とは、福岡県久留米市篠山町にある中世から近世にかけての城跡である。古くは笹原城とも呼ばれ、筑後川を背にした小高い台地上に築かれた。戦国時代から城として使われ、天正15年(1587)には毛利秀包が城主となった。関ヶ原の戦い後は田中吉政の支城として整備され、元和7年(1621)に有馬豊氏が入城すると、久留米藩の本拠として大改修された。以後、明治維新まで有馬氏の居城となった。現在は本丸跡に篠山神社が鎮座し、石垣、内濠、有馬記念館などから久留米城の歴史をたどることができる。

久留米城の特長
目的 久留米藩の政庁、有馬氏の居城、筑後川流域の支配拠点、筑後北部の防衛拠点
特長 有馬豊氏、有馬氏、篠山神社、石垣、内濠、筑後川、有馬記念館、続日本100名城
他の城との違い ・有馬氏が明治維新まで約250年にわたり治めた久留米藩の本拠である
・筑後川を背にした平山城で、本丸跡に石垣と内濠が残る
・天守や櫓は残らないが、石垣と篠山神社、有馬記念館を通して久留米藩の歴史を学べる
久留米城の石垣・土塁
石垣 現存
土塁 一部あり
種類 野面積、打込接、石垣、櫓台、内濠、曲輪、平山城
石材 自然石、割石など
特長 久留米城は、筑後川を背にした台地上に築かれた平山城である。現在は本丸跡を中心に石垣と内濠が残り、篠山神社の境内周辺で往時の城郭構造を確認できる。石垣は自然石や割石を用いた近世城郭の石垣で、本丸の周囲に重厚な構えを見せている。建物は明治初期に解体されて残らないため、久留米城では天守や櫓ではなく、本丸石垣、内濠、筑後川に近い立地、有馬氏ゆかりの史跡を中心に見るのが自然である。
久留米城DATA
別称 笹原城、篠山城
所在地 福岡県久留米市
築城 永正年間、1504年~1521年頃とされる
築城者 不明。近世城郭としては田中氏・有馬氏により整備
住所 福岡県久留米市篠山町444
電話番号 0942-39-0759
開館時間 久留米城跡・篠山神社は見学自由。有馬記念館は10時~17時。入館は16時30分まで
休館日 久留米城跡・篠山神社はなし。有馬記念館は火曜日、祝祭日の場合は翌日、展示準備期間、年末年始12月28日~1月4日
入館料 久留米城跡・篠山神社は無料。有馬記念館は一般210円、高校生以下無料
備考 久留米城跡は福岡県指定史跡で、続日本100名城にも選定されている。現在は本丸跡に篠山神社が鎮座し、石垣と正面側の内濠が残る。有馬記念館は久留米藩主有馬家に関する資料を展示する施設で、篠山神社境内にある。JR久留米駅から徒歩約15分、西鉄バス「大学病院」下車徒歩約3分。
久留米城への交通アクセス
JR「久留米」駅 徒歩15分

HISTORY 久留米城について

久留米城の歴史
1504年~1521年頃 永正年間に城が築かれたとされる
戦国時代 筑後川流域を押さえる城として、筑後北部の支配に関わる
1587年 豊臣秀吉の九州平定後、毛利秀包が久留米城主となる
1600年 関ヶ原の戦い後、田中吉政が筑後国を与えられ、久留米城は支城として整備される
1620年 田中忠政が死去し、田中氏が無嗣改易となる
1621年 有馬豊氏が丹波福知山から筑後北半21万石の大名として入城する
江戸時代前期 有馬豊氏が荒廃していた久留米城の大改修を進める
江戸時代 有馬氏が代々久留米藩を治め、久留米城が藩政の中心となる
1871年 廃藩置県により久留米藩が廃止される
1875年 この頃までに久留米城の建物が解体される
1879年 本丸跡に旧藩主を祀る御霊社、現在の篠山神社が建立される
1983年 久留米城跡が福岡県指定史跡となる
2017年 続日本100名城に選定される

久留米城を藩庁とする、久留米藩の歴史

三つ巴

有馬家の家紋「三つ巴」

久留米藩DATA
藩庁 久留米城
旧地域 筑後国御井郡
石高 21万石
譜代・外様 外様
主な藩主 有馬家
推定人口 26万5000人(明治元年)