新田金山城群馬県太田市

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  • 関東七名城のひとつに数えられる山城
  • 石垣・石敷き・大手虎口が残る戦国の城
  • 上杉氏・武田氏・北条氏の攻撃を受けた難攻不落の城

新田金山城とは、群馬県太田市にある戦国時代の山城跡である。金山の尾根を利用して築かれた大規模な山城で、文明元年に新田氏の流れをくむ岩松家純の命によって築かれたと考えられている。のちに横瀬氏、由良氏、北条氏の支配を受け、戦国時代の北関東における重要な拠点となった。現在は国指定史跡として整備され、石垣、石敷き、大手虎口、日ノ池、月ノ池などが残る。

新田金山城の特長
目的 岩松氏・由良氏の本拠、北関東支配の拠点、防御拠点
特長 山城、石垣、石敷き、大手虎口、日ノ池、月ノ池、尾根上の曲輪群
他の城との違い ・関東では珍しく石垣や石敷きを多用した戦国山城である
・山頂付近に日ノ池・月ノ池という大きな池を持つ
・上杉謙信や武田勝頼などの攻撃を受けながら落城しなかった難攻不落の城として知られる
新田金山城の石垣・土塁
石垣 現存・復元整備
土塁 現存・復元整備
種類 石垣、石敷き、土塁、堀切、曲輪、虎口
石材 金山周辺の石材
特長 新田金山城は、関東の戦国山城としては珍しく石垣や石敷きを多用した城である。大手虎口周辺には復元整備された石垣・石敷きが広がり、城の象徴的な景観となっている。山頂部の実城を中心に、尾根上の曲輪、土塁、堀切が配置され、石の防御施設と土造りの防御施設が組み合わさった山城である。
新田金山城DATA
別称 金山城、太田金山城
所在地 群馬県太田市
築城 1469年
築城者 岩松家純
住所 群馬県太田市金山町40-98ほか
電話番号 0276-20-7090
開館時間 金山城跡は見学自由。史跡金山城跡ガイダンス施設は9時~17時。入館は16時30分まで
休館日 金山城跡はなし。史跡金山城跡ガイダンス施設は月曜日。月曜日が休日の場合は翌日。年末年始
入館料 無料
備考 新田金山城跡は国指定史跡で、日本100名城にも選定されている。史跡金山城跡ガイダンス施設では、金山城の歴史、発掘調査、出土遺物、復元模型などを見学できる。日本100名城スタンプは南曲輪休憩所に設置されている。
新田金山城への交通アクセス
東武線「太田」駅から車で約15分、徒歩約12分。

HISTORY 新田金山城について

新田金山城の歴史
1469年 岩松家純の命により金山城が築かれたと考えられる
戦国時代 岩松氏に代わり、横瀬氏が城主となる
戦国時代 横瀬氏が由良氏を称し、金山城を本拠として勢力を広げる
戦国時代 上杉氏・武田氏・北条氏などの攻撃を受けながら、難攻不落の城として知られる
1584年 由良氏が北条氏に降伏し、金山城は北条氏の支配下に入る
1590年 豊臣秀吉の小田原攻めで北条氏が敗れ、金山城は廃城となる
1934年 金山城跡が国の史跡に指定される
2002年 史跡指定範囲が追加され、史跡全体の面積が97.8ヘクタールとなる
2006年 日本100名城に選定される

新田金山城、上杉謙信も攻めあぐねた関東屈指の山城

群馬県太田市に残る新田金山城(にったかなやまじょう)は、関東七名城にも数えられる戦国時代の名城です。上杉謙信が数度攻めても落とせなかった難攻不落の城としても知られています。関東では珍しい石垣や石敷遺構が残っており、日本100名城にも選ばれています。

新田金山城
新田金山城の歴史
新田金山城は文明元年(1469年)、新田岩松氏の一族・岩松家純によって築かれたとされています。城は標高239mの金山を中心に、尾根上を造成して曲輪を配置し、堀切や土塁を築いて守りを固めました。また、石垣や石敷通路なども導入されており、土造り中心だった関東の山城としては先進的な構造だったとされています。
当時の関東は享徳の乱以降、関東管領や古河公方らが争う不安定な時代であり、新田金山城も地域支配の重要拠点となっていきました。
享禄元年(1528年)、岩松氏の重臣だった横瀬氏(後の由良氏)が下剋上により城主となり、全盛期を築きます。由良成繁は特に有名で、上杉氏、武田氏、後北条氏といった周囲の強大勢力の間を巧みに渡り歩きながら勢力を維持しました。
新田金山城はたびたび戦禍にさらされており、上杉謙信や武田勝頼などの名だたる戦国大名から10数回に及んで攻められました。しかし一度も落城することはなく、名城として知られるようになります。
しかし、天正12年(1584年)には北条氏の謀略により、由良氏は金山城を北条氏に明け渡し、城は北条氏の持ち城となりました。その後、天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原攻めで城は前田利家らにより接収されました。
戦後由良氏は常陸国牛久へ移封され、新田金山城は廃城となりました。その際土塁や通路などは破壊されています。
江戸時代に金山は「献上松茸」の将軍御用林となりました。このため更なる破壊は免れています。昭和9年(1934年)、金山城跡は国史跡に指定。平成7年(1995年)から城跡の環境整備事業が始まり、発掘調査や史料等に基づく復元・整備が進んでいます。平成18年(2006年)には日本100名城に選ばれました。
新田金山城へのアクセス
新田金山城へは東武線「太田駅」から車で10分、レンタサイクルで15分程度で最寄りの駐車場につきます。そこからは山道なので歩きやすい恰好をしておきましょう。大手虎口までは約30分、そこから本丸にあたる実城(みじょう)まで約20分です。
新田金山城の見どころ①大手虎口
新田金山城を代表する見どころが大手虎口です。城の中核部に当たる山頂部の実城(みじょう)を守っていた一大防御拠点で、高く積まれた石垣が続いています。発掘調査などに基づき整備されており、往時をしのばせます。
大手虎口は谷地形にあるため水がたまりやすかったようで、石積みには何度も崩れ、修復が行われた跡が残っています。ここでは石垣を補強するため、石積みの一番下を15cmから20cmほど手前に据えて積む「アゴ止め石」を見ることができます。通路には石の排水路が設けられており、雨水がうまく排水できるような工夫となっています。
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新田金山城の見どころ②巨大な堀切
大手虎口の目前にある大堀切は、城内最大の深さ・幅を誇る堀切です。中央部には兵の通行を防ぐための「堀止」とみられる石積みが残されています。
ほかにも西城から実城までの間には岩盤を人工的に掘削して作った「物見台下堀切」をはじめ、3つの堀切が残っています。
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新田金山城の見どころ③日ノ池・月ノ池
城内に存在する池泉遺構も特徴です。石垣と石敷に囲まれた「日ノ池」は貯水池だったとされています。ただし、両脇に井戸跡が2ヶ所残されていたこと、池の中から祭祀用の土馬が発見されたことから、宗教的意味合いを持つ「聖地」のような役割もしていたと推察されています。
このほか、大手口手前には「月ノ池」が残っており、日ノ池とともに整備されています。
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新田金山城の見どころ④史跡金山城跡ガイダンス施設
城に向かう前に訪れたいのが金山城跡の歴史を紹介する「史跡金山城跡ガイダンス施設」。建築家の隈研吾氏設計の建物で、金山城の石垣をイメージした石板が特徴的です。
内部では金山城跡のジオラマ等が見学できるほか、全体図が分かりやすく説明されたパンフレットが配布されています。
新田金山城のフォトスポット
新田金山城の人気撮影スポットは大手虎口周辺です。石垣と土塁が連続する景観は迫力があり、戦国山城らしい雰囲気を楽しめます。物見台からの景色もおすすめ。晴れた日には日光男体山や足尾山地、上毛三山、浅間山や秩父山地に関東平野の奥深くまで見渡せます。
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栗本 奈央子
執筆者 栗本 奈央子(ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。