沼田城群馬県沼田市

秋の沼田城1 秋の沼田城2 秋の沼田城3 秋の沼田城4 秋の沼田城5 秋の沼田城6 秋の沼田城7 秋の沼田城8
  • 真田氏ゆかりの河岸段丘上の城
  • かつて五層天守を持った北関東の要衝
  • 現在は沼田公園として整備

沼田城とは、群馬県沼田市にある中世から近世にかけての城跡である。沼田顕泰によって築かれ、当初は蔵内城・倉内城と呼ばれた。戦国時代には上杉氏・武田氏・北条氏が争奪した北関東の要衝で、真田昌幸・信幸の時代に城郭として大きく整備された。現在は本丸・二の丸跡が沼田公園となり、石垣や土塁、城鐘などが城跡の面影を伝えている。

沼田城の特長
目的 沼田氏・真田氏の居城、北関東の防衛拠点、利根沼田支配の中心
特長 河岸段丘上の崖端城、真田氏ゆかりの城、五層天守を持った城跡
他の城との違い ・真田氏が5代にわたり居城とした
・慶長年間には五層の天守が建てられたとされる
・現在は沼田公園として整備され、市街地を見下ろす高台に城跡が残る
沼田城の石垣・土塁
石垣 一部現存
土塁 一部現存
種類 石垣、土塁、堀、曲輪、崖端城
石材 不明
特長 沼田城は利根川と薄根川に挟まれた河岸段丘上の地形を活かした城である。城の多くは破却や市街地化により失われたが、現在の沼田公園内には石垣の一部や土塁、堀跡などの名残が見られる。特に沼田城は、石垣だけで見せる城ではなく、段丘の急崖と曲輪配置を組み合わせた防御構造に特徴がある。
沼田城DATA
別称 蔵内城、倉内城、霞城
所在地 群馬県沼田市
築城 1532年
築城者 沼田顕泰
住所 群馬県沼田市西倉内町594
電話番号 0278-25-8555
開園時間 沼田公園は見学自由。観光案内所は3月~11月が9時~17時、12月~2月が9時~16時
休園日 沼田公園はなし。観光案内所は年末年始を除き無休
入園料 無料
備考 現在は本丸・二の丸跡が沼田公園として整備されている。園内には城鐘、真田信之と小松姫の像、旧生方家住宅、生方記念資料館などがある。旧生方家住宅・生方記念資料館は別途入館料が必要。
沼田城への交通アクセス
JR沼田駅から徒歩約12分。

HISTORY 沼田城について

沼田城の歴史
1532年 沼田顕泰が約3年をかけて沼田城を築く
1580年 真田昌幸が沼田城に入り、城の規模を広げる
1590年 真田信幸が沼田領2万7千石の城主となる
慶長年間 真田信幸により五層の天守が建てられる
1681年 真田氏5代城主・真田信利が領地を没収される
1682年 幕府の命により沼田城が破却される
江戸時代 本多氏・黒田氏・土岐氏の居館となる
1871年 版籍奉還後、城内の屋形が取り壊される
1976年 沼田城跡が沼田市指定史跡となる
2017年 続日本100名城に選定される

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沼田城を藩庁とする、沼田藩の歴史

六文銭

真田家の家紋「六文銭」

沼田藩DATA
藩庁 沼田城
旧地域 上野国利根郡
石高 3万石
譜代・外様 外様・譜代
主な藩主 真田家・本多家・黒田家・土岐家