高崎城群馬県高崎市

秋の高崎城1 秋の高崎城2 秋の高崎城3 秋の高崎城4 秋の高崎城5 秋の高崎城6
冬の高崎城1 冬の高崎城2 冬の高崎城3 冬の高崎城4 冬の高崎城5
  • 井伊直政が築いた高崎藩の城
  • 中山道と三国街道を押さえる交通の要衝
  • 乾櫓・東門・三の丸外囲の土居と堀が残る

高崎城とは、群馬県高崎市にあった江戸時代の城である。徳川家康の命を受けた井伊直政によって築かれ、中山道と三国街道を押さえる交通の要衝として重視された。江戸時代には高崎藩の藩庁となり、城下町高崎の中心として発展した。現在は高崎城址公園として整備され、三の丸外囲の土居と堀、移築復元された乾櫓と東門が城跡の面影を伝えている。

高崎城の特長
目的 高崎藩の藩庁、交通の要衝の防衛、城下町形成の拠点
特長 平城、土居と堀、乾櫓、東門、広大な郭内を持つ城郭
他の城との違い ・井伊直政が箕輪城から移って築いた城である
・現在は市街地の中心に城跡が残る
・乾櫓は群馬県内に現存する唯一の城郭建築である
高崎城の石垣・土塁
石垣 一部あり
土塁 現存
種類 土居、土塁、水堀、平城、櫓、城門
石材 不明
特長 高崎城は石垣を主体とする城ではなく、土居と堀を中心に構成された平城である。現在は三の丸外囲の土居と堀が残り、高崎城址公園周辺で城の輪郭を感じることができる。乾櫓と東門は明治維新後に払い下げられていたものを、現在地へ移築復元したものである。
高崎城DATA
別称 和田城
所在地 群馬県高崎市
築城 1598年
築城者 井伊直政
住所 群馬県高崎市高松町 城址公園内
電話番号 027-321-1257
開園時間 見学自由
休園日 なし
入園料 無料
備考 現在は高崎城址公園として整備されている。三の丸外囲の土居と堀、乾櫓、東門が残る。乾櫓は群馬県指定重要文化財、東門は高崎市指定重要文化財である。
高崎城への交通アクセス
JR高崎線・高崎駅から徒歩約15分。

HISTORY 高崎城について

高崎城の歴史
1590年 豊臣秀吉の小田原攻めにより、前身となる和田城が落城する
1598年 徳川家康の命を受けた井伊直政により、高崎城が築かれる
江戸時代 高崎藩の藩庁として機能し、譜代大名が城主を務める
17世紀末頃 乾櫓が改築されたと推定される
1871年 廃藩置県により高崎藩が廃止される
明治時代 城内の建物が払い下げられ、乾櫓や東門も移築される
1977年 乾櫓が現在地へ復元移築される
1980年 東門が現在地へ復元移築される

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高崎城を藩庁とする、高崎藩の歴史

橘

井伊家の家紋「橘」

高崎藩DATA
藩庁 高崎城
旧地域 上野国群馬郡
石高 5万2000石
譜代・外様 譜代
主な藩主 井伊家・酒井家・戸田松平家・藤井松平家・安藤家・間部家・大河内松平家
推定人口 9万8000人(明治元年)

井伊直政が12万石を得て立藩。酒井家・戸田松平家・藤井松平家・安藤家・間部家・大河内松平家など譜代大名が入れ代わった。