箕輪城群馬県高崎市

秋の箕輪城1 秋の箕輪城2 秋の箕輪城3 秋の箕輪城4 秋の箕輪城5 秋の箕輪城6 秋の箕輪城7 秋の箕輪城8
  • 西上野を代表する戦国時代の巨大城郭
  • 長野氏の本拠として武田信玄の攻撃を防いだ城
  • 土塁・空堀・石垣・復元城門が残る国指定史跡

箕輪城とは、群馬県高崎市にある戦国時代の平山城である。長野氏によって築かれ、西上野支配の中心として機能した。長野業政の時代には武田信玄の攻撃をたびたび防いだ難攻不落の城として知られる。その後、武田氏、織田氏、北条氏、徳川氏へと支配が移り、井伊直政の時代に大きく整備された。現在は国指定史跡として、土塁、空堀、石垣、復元された郭馬出西虎口門などが残る。

箕輪城の特長
目的 長野氏の本拠、西上野支配の拠点、北関東の防衛拠点
特長 大規模な平山城、巨大な空堀、土塁、馬出、郭馬出西虎口門、石垣
他の城との違い ・西上野を代表する戦国時代の巨大城郭である
・本丸周囲に大規模な空堀がめぐる
・現在の城跡は、井伊直政在城当時の姿に近いと考えられている
箕輪城の石垣・土塁
石垣 現存
土塁 現存
種類 石垣、土塁、空堀、馬出、虎口、曲輪
石材 不明
特長 箕輪城は石垣だけで構成された城ではなく、土塁と巨大な空堀を主体とした戦国時代の平山城である。本丸周囲には最大幅40メートル、深さ10メートルほどの大規模な堀が残り、城内各所に土塁や曲輪が見られる。一方で、三ノ丸には城内で最も高い約4.1メートルの石垣が残り、北条氏や井伊直政の時代に整備された石垣遺構も箕輪城の重要な見どころである。
箕輪城DATA
別称 なし
所在地 群馬県高崎市
築城 15世紀末から16世紀初頭頃
築城者 長野氏
住所 群馬県高崎市箕郷町東明屋・西明屋周辺
電話番号 027-321-1292
開館時間 見学自由
休館日 なし
入館料 無料
備考 箕輪城跡は国指定史跡で、日本100名城にも選定されている。郭馬出西虎口門は発掘調査成果に基づき復元された城門で、井伊直政在城期の箕輪城を象徴する遺構である。日本100名城スタンプは高崎市箕郷支所などに設置されている。
箕輪城への交通アクセス
JR高崎駅からバス約30分、徒歩約20分。

HISTORY 箕輪城について

箕輪城の歴史
15世紀末~16世紀初頭 長野氏により箕輪城が築かれる
戦国時代 長野氏の本拠として、西上野支配の中心となる
戦国時代 長野業政が武田信玄の攻撃をたびたび防ぎ、箕輪城は難攻不落の城として知られる
1566年 武田信玄により箕輪城が落城し、武田氏の支配下に入る
1582年 武田氏滅亡後、織田氏、北条氏などの支配を受ける
1590年 徳川家康の関東入国により、井伊直政が箕輪城主となる
1598年 井伊直政が高崎城へ移り、箕輪城は廃城となる
1987年 箕輪城跡が国の史跡に指定される
2005年 日本100名城に選定される
2016年 郭馬出西虎口門が復元される

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橘

井伊家の家紋「橘」

箕輪藩DATA
藩庁 箕輪城
旧地域 上野国
石高 5万2000石
譜代・外様 譜代
主な藩主 井伊家