箕輪城群馬県高崎市

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  • 西上野を代表する戦国時代の巨大城郭
  • 長野氏の本拠として武田信玄の攻撃を防いだ城
  • 土塁・空堀・石垣・復元城門が残る国指定史跡

箕輪城とは、群馬県高崎市にある戦国時代の平山城である。長野氏によって築かれ、西上野支配の中心として機能した。長野業政の時代には武田信玄の攻撃をたびたび防いだ難攻不落の城として知られる。その後、武田氏、織田氏、北条氏、徳川氏へと支配が移り、井伊直政の時代に大きく整備された。現在は国指定史跡として、土塁、空堀、石垣、復元された郭馬出西虎口門などが残る。

箕輪城の特長
目的 長野氏の本拠、西上野支配の拠点、北関東の防衛拠点
特長 大規模な平山城、巨大な空堀、土塁、馬出、郭馬出西虎口門、石垣
他の城との違い ・西上野を代表する戦国時代の巨大城郭である
・本丸周囲に大規模な空堀がめぐる
・現在の城跡は、井伊直政在城当時の姿に近いと考えられている
箕輪城の石垣・土塁
石垣 現存
土塁 現存
種類 石垣、土塁、空堀、馬出、虎口、曲輪
石材 不明
特長 箕輪城は石垣だけで構成された城ではなく、土塁と巨大な空堀を主体とした戦国時代の平山城である。本丸周囲には最大幅40メートル、深さ10メートルほどの大規模な堀が残り、城内各所に土塁や曲輪が見られる。一方で、三ノ丸には城内で最も高い約4.1メートルの石垣が残り、北条氏や井伊直政の時代に整備された石垣遺構も箕輪城の重要な見どころである。
箕輪城DATA
別称 なし
所在地 群馬県高崎市
築城 15世紀末から16世紀初頭頃
築城者 長野氏
住所 群馬県高崎市箕郷町東明屋・西明屋周辺
電話番号 027-321-1292
開館時間 見学自由
休館日 なし
入館料 無料
備考 箕輪城跡は国指定史跡で、日本100名城にも選定されている。郭馬出西虎口門は発掘調査成果に基づき復元された城門で、井伊直政在城期の箕輪城を象徴する遺構である。日本100名城スタンプは高崎市箕郷支所などに設置されている。
箕輪城への交通アクセス
JR高崎駅からバス約30分、徒歩約20分。

HISTORY 箕輪城について

箕輪城の歴史
15世紀末~16世紀初頭 長野氏により箕輪城が築かれる
戦国時代 長野氏の本拠として、西上野支配の中心となる
戦国時代 長野業政が武田信玄の攻撃をたびたび防ぎ、箕輪城は難攻不落の城として知られる
1566年 武田信玄により箕輪城が落城し、武田氏の支配下に入る
1582年 武田氏滅亡後、織田氏、北条氏などの支配を受ける
1590年 徳川家康の関東入国により、井伊直政が箕輪城主となる
1598年 井伊直政が高崎城へ移り、箕輪城は廃城となる
1987年 箕輪城跡が国の史跡に指定される
2005年 日本100名城に選定される
2016年 郭馬出西虎口門が復元される

箕輪城と関連する人物記を読む

上杉憲政関東管領
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箕輪城を藩庁とする、箕輪藩の歴史

橘

井伊家の家紋「橘」

箕輪藩DATA
藩庁 箕輪城
旧地域 上野国
石高 5万2000石
譜代・外様 譜代
主な藩主 井伊家

箕輪城、長野氏が武田信玄に抵抗した難攻不落の名城

群馬県高崎市にある箕輪城は、戦国時代に西上野を代表する武将・長野業政らが本拠とした平山城です。武田信玄の西上野侵攻に対して激しく抵抗した城として知られています。現在は巨大な堀や土塁、復元された郭馬出西虎口門などが残されています。平成18年(2006年)には「日本100名城」に選定されています。

箕輪城
箕輪城の歴史
箕輪城は1500年前後、長野氏によって築かれたと考えられています。初代城主は長野業尚とされていますが、築城年代などには不明な点も残されています。長野氏は4代にわたって箕輪城を本拠地としました。
箕輪城は榛名山東南麓の丘陵上を中心に建てられた梯郭式の平山城で、丘陵上に本丸や二の丸、御前曲輪などを配置しています。。西側には榛名白川、南側にはかつて椿名沼と呼ばれる沼地が広がっていました。城域は東西約500m、南北約1100mに及び、主要な曲輪を巨大な堀で区切って守りを固めていました。城は交通の要衝に位置していたため、数々の大名により争われました。
天文21年(1552年)、関東管領・上杉憲政が北条氏康に敗れて越後へ逃れます。その後、西上野は北条氏、武田氏、上杉氏が争う場となりました。
永禄4年(1561年)(※没年は諸説あり)、長野業政が没すると、10代前半で息子の長野業盛が跡を継ぎます。業政は自分の死を隠すよう遺言しましたが、業政の死を知った武田信玄は、これを好機と見て本格的に西上野に出兵するようになります。
長野氏は箕輪城を本拠地に決死の抵抗を試みます。後世の軍記物『箕輪軍記』などには、信玄が箕輪城を何度も攻めたものの業政に撃退されたという逸話が残されています。ただし、攻撃の回数や個々の戦いについては史料によって異なり、後世の脚色も含まれていると考えられています。
永禄9年(1566年)、武田信玄は1万5000(※2万など諸説あり)の大軍で箕輪城を包囲。城主の長野業盛は籠城しますが、武田軍の攻撃を受けて9月29日に城は落城し、業盛は御前曲輪の持仏堂で自刃したと伝えられています。こうして長野氏は滅びました。
武田信玄は箕輪城を西上野支配の重要拠点として位置づけ、城を改修しました。有力家臣の甘利昌忠、内藤昌豊などが城代に任命されました。
天正10年(1582年)織田信長らによる甲州征伐で武田氏が滅亡すると、箕輪城は信長の重臣・滝川一益の支配下に入ります。
ところが同年6月に本能寺の変が発生。信長の死後、北条氏政・氏直親子が上野国に侵攻します。一益は北条氏との戦いに敗れて上野から撤退し、箕輪城は北条氏の支配下に入ります。
天正18年(1590年)に豊臣秀吉の小田原征伐で北条氏が滅亡すると、関東に徳川家康が入ります。箕輪城12万石は家康の部下の井伊直政に与えられ、直政は城を近世城郭に改築しました。
現在残る箕輪城跡は、直政が城主だった16世紀末の姿に最も近いとされています。
慶長2年(1597年)、井伊直政は家康の命で箕輪城の南東に位置する和田の地にて、高崎城の築城を開始します。慶長3年(1598年)には高崎城に移り、箕輪城下から武士や商人、職人、寺社などを移転させ、新しい城下町を整備しました。こうして箕輪城は廃城となりました。
その後、昭和62年(1987年)には国の史跡に指定され、平成10年度(1998年度)から高崎市による発掘調査が続いています。平成18年(2006年)には「日本100名城」に選定されました。平成28年(2016年)には郭馬出西虎口門が、令和8年(2026年)には本丸西虎口門がそれぞれ木造復元されました。
箕輪城の見どころ①城内を分断する巨大な堀
箕輪城最大の見どころのひとつが、城内各所に残された巨大な堀です。本丸を巡る空堀は幅が30mから40m、深さ10mを誇る巨大なものです。
また、二の丸の南側には「大堀切」があり、城を南北に大きく分断しています。現在幅30m、深さ9mの規模ですが、発掘調査の結果掘底付近から野面積みの石垣が発見されました。石垣を含めると、本来は現在より7.5m深かったと推察できるそうです。
箕輪城の見どころ1 箕輪城の見どころ2 箕輪城の見どころ3
箕輪城の見どころ②木造復元された「郭門」と「本丸西虎口門」
箕輪城では現在2つの門が木造復元されています。平成28年(2016年)に復元された「郭馬出西虎口門」は郭馬出西側の虎口で、防衛上重要な拠点でした。
発掘調査では井伊直政時代と推定される柱の8個の礎石が発見されており、それをもとに現存する近世初期の城門などを参考に復元されました。幅5.73m、奥行3.48mを誇り、箕輪城内の城門としては最大規模を誇ります。
令和8年(2026年)4月から公開されたばかりの「本丸西虎口門」は、5年かけて復元したもの。門は高麗門で、幅2.94mと本丸にある三つの門のうち最大幅を誇り、唯一木の橋と繋がることから重要な出入り口だったと推察されています。
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箕輪城の見どころ③随所に残る石垣
箕輪城の随所には野面積みの石垣が残ります。このうち城内で最も高いのが、三の丸の石垣で、最大4.1mとなっています。
このほか、二の丸や鍛冶曲輪、御前曲輪西堀等の石垣もおすすめです。
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箕輪城のフォトスポット
箕輪城のフォトスポットといえば、郭馬出西虎口門と本丸西虎口門です。少し引きで周囲の土塁や堀とともに撮影するのがおすすすめ。戦国時代末期の箕輪城をイメージできる一枚になります。
箕輪城の大堀切は土橋の上から撮影するか、下に降りて石垣とともに撮影すると深さが実感できます。
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栗本 奈央子
執筆者 栗本 奈央子(ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。