- 丸岡藩本多家と有馬家が治める
- 丸岡藩は、本多家と有馬家の2つによって幕末まで修められました。丸岡藩とはどのような藩だったのか、その歴史を紐解いていきましょう。 本多家が丸岡藩を成立させるまで 丸岡城は、柴田勝家の姉の息子(甥)であ
丸岡城とは、福井県坂井市にある安土桃山時代に築かれた城である。天正4年(1576)に、織田信長の命を受けた柴田勝家が、甥の柴田勝豊に築かせたとされる。別名を霞ヶ城といい、現存12天守のひとつで、北陸地方に残る唯一の現存天守として知られる。昭和23年(1948)の福井地震で天守は倒壊したが、元の部材をできる限り用いて修復され、現在も古式の天守の姿を伝えている。
| 目的 | 越前北部の支配拠点、一向一揆への備え、丸岡藩の政庁 |
|---|---|
| 特長 | 現存天守、北陸唯一の現存天守、野面積の石垣、石瓦、霞ヶ城 |
| 他の城との違い | ・現存12天守のひとつである ・北陸地方で唯一の現存天守を持つ ・福井地震で倒壊した後、元の部材を再利用して修復された |
| 石垣 | 現存 |
|---|---|
| 種類 | 野面積、算木積みなど |
| 石材 | 自然石 |
| 特長 | 丸岡城の天守台には、自然石をほとんど加工せずに積み上げた野面積の石垣が残る。古式の天守と荒々しい石垣が一体となり、安土桃山時代から近世初期の城郭らしい姿を伝えている。天守は石垣の上に建つ独立式望楼型の建物で、屋根には寒冷地に適した石瓦が用いられている点も大きな特徴である。 |
| 別称 | 霞ヶ城 |
|---|---|
| 所在地 | 福井県坂井市 |
| 築城 | 1576年 |
| 築城者 | 柴田勝豊 |
| 住所 | 福井県坂井市丸岡町霞町1-59 |
| 電話番号 | 0776-66-0303 |
| 開館時間 | 8時30分~17時。最終入場は16時30分まで |
| 休館日 | 年中無休 |
| 入城料 | 大人450円、小中学生150円 |
| 備考 | 丸岡城は北陸地方で唯一の現存天守で、日本100名城にも選定されている。入城券は、丸岡城、一筆啓上日本一短い手紙の館などの共通入場券として案内されている。 |
丸岡城は福井県坂井市丸岡町霞にある平山城です。別名を「霞城」といいます。現在は天守のみ存在し、北陸唯一の現存天守として重要文化財に指定されています。 江戸時代には丸岡藩の藩庁として機能しました。そんな丸岡城の歴史を紐解いていきましょう。
| 1576年 | 柴田勝家が甥の柴田勝豊に命じ、丸岡城を築かせたとされる |
|---|---|
| 安土桃山時代 | 越前北部の支配拠点、一向一揆への備えとして機能する |
| 江戸時代 | 本多氏や有馬氏が城主となり、丸岡藩の藩庁として機能する |
| 1871年 | 廃藩置県により丸岡藩が廃止される |
| 1934年 | 丸岡城天守が国宝に指定される |
| 1948年 | 福井地震により天守が石垣とともに倒壊する |
| 1950年 | 文化財保護法により丸岡城天守が重要文化財に指定される |
| 1955年 | 元の部材をできる限り用いて天守が修復される |
| 2006年 | 日本100名城に選定される |
| 藩庁 | 丸岡城 |
|---|---|
| 旧地域 | 越前国坂井郡 |
| 石高 | 4万石 |
| 譜代・外様 | 譜代 |
| 主な藩主 | 本多家・有馬家 |
| 推定人口 | 2万3000人(明治元年) |
福井藩の丸岡城代であった本多成重4万6000石を得て入封。続いて有馬清純が入封。有馬家が8代続く。
福井県坂井市の丸岡城は北陸に残された唯一の現存天守です。周辺には石垣が少し残る程度で見どころはほぼ天守のみ。合戦時に大蛇が現れて霞を吹き、城を隠して守ったという伝説から「霞ヶ城」とも呼ばれています。桜の名所で毎年3月下旬~4中旬には「丸岡城桜まつり」が開催され、約400本のソメイヨシノが城を美しく彩ります。