お市の方(2/2)戦国を代表する美女

お市の方

お市の方

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人物記
名前
お市の方(1547年〜1583年)
出生地
愛知県
関連する城
一乗谷朝倉邸

一乗谷朝倉邸

関係する事件

従来の通説によると、神戸信孝の仲介によるものだとされてきましたが、勝家の書状に「秀吉と申し合わせ…主筋の者との結婚へ皆の承諾を得た」と書かれたものが残っており、勝家のお市への意向を汲んだ上で、清州会議の沙汰への勝家の不満を抑える意味も含んだものだとも言われています。

婚儀は本能寺の変の4か月後の8月20日に、信孝の居城岐阜城において行われました。同年、勝家の勧めにより、京都の妙心寺で兄・信長の百箇日法要を営んでいます。

天正11年(1583年)、羽柴秀吉とかねてから対立していた勝家が4月の賤ヶ岳の戦いで敗れてしまいます。
勝家は敗走して越前北ノ庄城に帰城。秀吉はこれを急追して城を包囲して激しく攻め立てました。北ノ庄城落城の前夜、城を枕に切腹する覚悟を決めた勝家は、お市の方に城を去り、羽柴秀吉の庇護をうけることを勧めましたが、お市の方はこれを拒んで一緒に自決すると決めます。三人の娘だけは死出の道連れにするのを憐れんで、富永新六郎という武士に預けて秀吉のもとに届けさせ、お市の方も「主筋」であるから大切にしてほしいとの書状を添えました。それから勝家とお市の方、一族、直臣、女中衆は、夜を徹して酒宴を催して今生の別れをした上で、4月24日、80名余で共に自害。享年37。北ノ庄城には火が放たれて焼け落ちました。

これを知った秀吉は、お市の方を手に入れられなかったことを悔やんだとも言われ、美女に目がなかった女好きの一面を伝える逸話ともなっています。

お市の方にゆかりの場所や伝説

・小谷寺
小谷寺は、聖武天皇の時代・神亀5年(728)、加賀白山の開祖・泰澄上人が、白山から伊吹山までの峰に修験道場を開いたことが始まりで、そのころは小谷山に建てられた坊舎のなかの1つでしかありませんでした。当時は常勝寺と呼ばれていたようですが、これが現在の小谷寺の開創だと言われています。
開山当時の常勝山は、永享元年(1429)後花園天皇より如意輪山という勅額をいただき勅願寺になります。大永4年(1524)ごろ、浅井亮政が小谷山の上に城を築きます。
この時、寺領交換が行われて六坊一山全部北谷地区跡(小谷山の東のふもと)に降りてきたようです。
浅井氏はここを祈願寺と定め、仏田を寄付して寺号を小谷寺と改めました。このころ小谷寺は浅井家の尊崇が深かったので、お市の方は幼い子どもたちを連れてたびたび詣でたかもしれません。お市の方や三姉妹にとって心のよりどころとなった場所でしたが、天正元年(1573)小谷落城の時、お寺も本尊以外はことごとく焼かれて跡形もなくなりました。
文禄二年(1593)、豊臣秀吉によって現在地に小谷寺が再建され、四十四石余りの朱印を与え保護され、その後徳川家康は寺領四十余石と定め援護したと伝わっています。
現在残っている仏像は難を逃れた仏像ばかりですが、ほとんど年代不詳で詳細はわかっていません。また、この寺にはお市の方の念持仏と伝えられている愛染明王が納められています。
・小谷城
日本五大山城の一つに数えられる小谷城は、標高約495m小谷山(伊部山)から南の尾根筋に築かれ、浅井長政とお市の方との悲劇の舞台として語られる城です。
戦国大名・浅井氏の居城でもあり、堅固な山城として知られていました。 小谷山一帯の尾根筋や谷筋をそのまま生かした南北に長い山城で、築城当時は現在の本丸跡よりさらに北に位置する大嶽城付近に本丸があったのではないかと考えられています。 久政、長政によって代々拡張が重ねられ、現在の城郭になりました。
しかし、元亀・天正の戦乱の中で4年間織田信長に攻められ、ついに落城。その後、北近江の拠点は長浜城に移ったことから廃城となりました。
落城後、長浜城の建築資材とするため小谷城は解体されてしまいましたが、山王丸付近に現存する大石垣をみる限りでは、当時としては先進的で大規模な城であったと推察されています。
現在は土塁・曲輪などのほか、先駆的に取り入れられた石垣なども遺構として残っていて、国の史跡に指定されています。
・お市の方の「のど仏」
三重県阿山郡阿山町(現在の伊賀市)下友田・浄光寺の稲増家の墓所には、浅井長政の墓碑があります。
稲増家の始祖治郎左衛門は浅井家の重臣でした。しかし、浅井家が滅亡したのち「日比」、さらに「稲増」と苗字を改めます。江戸時代の享保年間に入って、伊勢・伊賀を支配する藤堂家に仕え、伊賀忍術の皆伝を受けたと言われています。
現在地には、今も江戸時代以来の稲増屋敷が残されてますが、同家の土蔵にお市の方の「のど仏」が納められていると伝えられています。

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葉月 智世
執筆者 (ライター) 学生時代から歴史や地理が好きで、史跡や寺社仏閣巡りを楽しみ、古文書などを調べてきました。特に日本史ででは中世、世界史ではヨーロッパ史に強く、一次資料などの資料はもちろん、エンタメ歴史小説まで幅広く読んでいます。 好きな武将や城は多すぎてなかなか挙げられませんが、特に松永久秀・明智光秀、城であれば彦根城・伏見城が好き。武将の人生や城の歴史について話し始めると止まらない一面もあります。
日本の城フォトコンテスト.03