本多忠勝(2/2)皆からの評価が高い花も実も兼ね備えた武将

本多忠勝

本多忠勝

記事カテゴリ
人物記
名前
本多忠勝(1548年〜1610年)
出生地
愛知県
関連する城
桑名城

桑名城

大多喜城

大多喜城

関係する事件

桑名は、中世より楽市制(規制が緩和されることで自由な商売を認める市場)が敷かれ、「十楽の津」と呼ばれるほど港と交易の中心地として栄えていました。
永正12年(1515年)頃の連歌師・宗長の手記では「港の広さが5、6町(約500m~700m)。寺々家々の数が数千軒、停泊する数千艘の船の明かりが川に映って、星のきらめくように見える」とあるほど、東海道筋の町としても港町としても発展していました。
忠勝は慶長6年(1601年)そのような桑名に入封し、すぐに揖斐川沿いの場所に城郭の建造を開始します。城には船着場も整備、4重6階の天守をはじめ51基の櫓、46基の多聞が立ち並んだそうです。築城開始当初には四天王の一人である井伊直正も、家臣を動員して普請の応援を行ったそうです。

また忠勝は、城郭の整備とともに城下町も整備します。商工業者が呼び集められ、城下が発展することを最重要事項としました。鋳物師や瓦師、陶工などは特に優遇。住居が与えられ、税は免除されただけでなく、苗字帯刀が許されるなどの保護特権が与えられました。
商工業者は町割りの際、同業者を集めてそのまま油町、紺屋町、鍛冶町、鍋屋町、魚町、船馬町、風呂町、伝馬町が誕生し、その町名がそのまま現在まで続いています。

これ程の街に発展した桑名。
江戸時代を通し、東海道42番目の宿場町として賑わいます。江戸時代後期の調査では、本陣(大名や旗本が泊まる宿泊所)が2軒、脇本陣(大名や旗本が多く泊まる場合、本陣だけでは足りない場合などで使用される)が4軒、旅籠屋が120軒と東海道中で2番目の規模を誇ります。

十返舎一九が書いた『東海道中膝栗毛』で弥二さん喜多さんが、焼き蛤を食べる場面があります。桑名が宿場町として賑わっている場面です。
そのほか、歌川広重(安藤広重)の浮世絵『東海道五十三次』の「桑名 七里渡口」には、桑名と隣の宿場町宮宿とを結ぶ七里の渡し、それと川に面した櫓である蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)が描かれています。
蟠龍櫓は川口に面して建てられていた桑名のシンボルともいうべき櫓で、かつては東海道を行き交う人々が必ず目にしていた櫓です。その桑名の風景を私たちも見る事ができます。
江戸時代を通じ商業都市として発展した桑名の基礎を作ったのも忠勝でした。

さて慶長14年(1609年)、忠勝は隠居して嫡男・本多忠正が第2代藩主となります。
大坂の陣では忠正は徳川方の先鋒として参戦しました。また大坂の陣の後、家康の孫娘で豊臣秀頼の正室であった千姫と忠政の嫡男であった本多忠刻が婚姻しました。そのこともあり元和3年(1617年)7月14日に忠政は西国の押さえとして播磨姫路藩15万石に加増移封され、忠刻は千姫の脂粉料として10万石を(姫路新田藩)、忠刻の実弟・本多忠朝が5万石をそれぞれ与えられて播磨に移封となり、本多家は桑名を去りました。

本多忠勝ゆかりの地

このように戦国時代を通して名前が知れた本多忠勝は、日本各地にゆかりの地があります。

愛知県岡崎市
本多忠勝生誕の地、愛知県岡崎市の岡崎公園内には本多忠勝の銅像があります。蜻蛉切りを抱え座った姿で訪れる人々を出迎えてくれます。
また公園内岡崎城本丸にある龍城神社は、徳川家康だけではなく、本多忠勝をご祭神として祀っている神社です。
千葉県夷隅郡大多喜町
徳川家康の関東移封で忠勝に与えられた旧領大多喜にも、本多忠勝ゆかりの地があります。大多喜町の忠勝が開基した良玄寺(千葉県大多喜町)。後年、このお寺には忠勝の骨が分骨されているそうです。
良玄寺の近くに掛かっている行徳橋には両端の欄干に、立っている忠勝像と座っている忠勝像があります。
その他、毎年9月に行われる「大多喜御城まつり」では本多忠勝候一行に扮した武者行列や神輿の渡御が街に繰り出します。
三重県桑名市
最後に治めた桑名城には、桑名城址の九華公園入口に本多忠勝の銅像が立っています。
また九華公園からも程近い浄土寺に忠勝のお墓があります。浄土寺にはお墓の他、「本多平八郎忠勝公本廟」の大きな石柱も。

日本全国に本多忠勝のゆかりの場所や行事があります。ぜひ訪れて、ありし日の本多忠勝に思いを馳せるのはいかがでしょうか。

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葉月 智世
執筆者 (ライター) 学生時代から歴史や地理が好きで、史跡や寺社仏閣巡りを楽しみ、古文書などを調べてきました。特に日本史ででは中世、世界史ではヨーロッパ史に強く、一次資料などの資料はもちろん、エンタメ歴史小説まで幅広く読んでいます。 好きな武将や城は多すぎてなかなか挙げられませんが、特に松永久秀・明智光秀、城であれば彦根城・伏見城が好き。武将の人生や城の歴史について話し始めると止まらない一面もあります。
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