北条氏政(1/3)最盛期を築いた4代目

北条氏政

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人物記
名前
北条氏政(1538年〜1590年)
出生地
神奈川県
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小田原城

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戦国時代の幕開けとなったのは応仁の乱だと言われています。この時期関東へ下り、支配したのが北条氏(鎌倉時代の執権・北条氏と区別するため後北条氏とも言います)でした。
4代目を継いだ北条氏政は勢力拡大に勤しみ、一時は歴代北条氏の中でも最大の領地を有します。しかし、豊臣秀吉の小田原征伐で終焉を迎えました。今回は、繁栄と終焉を築いた北条氏政の生涯についてご紹介します。

誕生から元服まで

北条氏政は天文7年(1538)、父・3代当主の北条氏康と瑞渓院(今川氏親の娘)の間に次男として誕生しました。幼名は、松千代丸といいます。
兄の氏親が夭折したために、跡取りとして育てられることになります。元服したのがいつ頃かはっきりしていませんが、天文23年(1554)6月ごろまでには元服したと言われており、元服後は北条新九郎氏政と名乗るようになりました。

天文23年(1554)に父・氏康が甲斐の武田信玄、駿河の今川義元との間で甲相駿三国同盟を成立させ、同盟のあかしとして、氏政は信玄の娘である黄梅院を正室に迎えます。
夫婦仲も良く、2人の間には、跡取りとなる5代目の氏直も生まれました。

家督相続から父存命中の活躍

永禄2年(1559)12月23日、に父の氏康が隠居。家督を譲られて、後北条家の第4代当主となります。この時期、領国では飢饉に苦しんでおり、飢饉の対応として氏康が当主を退き、新たな当主のもとで復興にあたっていくという形を取ろうとしました。

家督を相続して氏政が最初に行なった仕事は、北条家所領役帳の作成です。北条家は代々領民を重視し、検地や徳政をおこなって代替わりすることが定番となっていました。
こうして、領地について実地で学びながら徐々に権力を父から移譲され、しっかりとした基盤を築いていきます。

永禄4年(1561)、上杉謙信が関東・南陸奥の諸大名たちと小田原城を包囲しました(小田原城の戦い)。窮地に陥りますが、同盟を結んでいた武田信玄の支援で、氏政は父主導のもとで籠城戦に参加、上杉軍を撃退します。
越後に撤退した謙信が第4次川中島の戦いで甚大な被害を受けると、信玄と呼応して北関東方面に侵攻しました。一進一退の攻防を繰り返し、上杉側に奪われた領土を奪い返していきます。
その後も、周辺の国々と戦を繰り返しながらも領土を掌握し、権力を掌握していきました。

信玄が伊豆・駿河方面に進出したことに併せて対抗しますが、蒲原城・深沢城などの駿河諸城が陥落、後見人の父・氏康も病気がちになり戦線を引退。元亀元年(1570年)には駿河で北条氏が支配していた地域は興国寺城及び駿東南部一帯だけになってしまい、事実上駿河は信玄によって併合されてしまいました。

上杉謙信・竹田信玄親子との戦い

上杉や武田とはその後も同盟を結んだり、戦ったりの繰り返しでした。
元亀2年(1571)10月に父の氏康が亡くなると、氏政は12月に武田信玄との同盟を復活させると同時に(甲相同盟)、上杉謙信との越相同盟を破棄します。

甲相同盟が復活すると、北条氏政と上杉謙信の争いも復活しました。
天正2年(1574)、謙信が上野に出てくると氏政も出陣、利根川でにらみ合います。しかし、謙信の関心は越中に向いており、決戦には至らずに済みました。
その後簗田晴助が治める関宿城を、翌天正3年(1575)には小山秀綱の下野祇園城を攻め落とすことに成功します。

さらに下総の結城晴朝が氏政に従うことになり、氏政の勢力は拡大していきました。結果的に、上杉氏の勢力を関東からほぼ一掃することに成功します。
天正5年(1577)には、上総に侵攻し、宿敵だった里見義弘との和睦も実現させました(房相一和)。この戦いでは、嫡男の氏直も初陣しています。

織田信長との対立と本能寺の変

こうして順当に関東圏を支配下に置いていった北条氏政に、新たな敵が現れます。
天正10年(1582)2月、織田信長は嫡男・織田信忠と、織田家の有力武将である滝川一益を軍監として甲州侵略を開始しました。

氏政は駿豆国境間(御殿川)あたりの情報が途絶えてしまったため、情報収集に苦戦します。そこで、五男の氏邦に上野方面から情報収集に当たらせました。
結果的に、伊勢からの船によって情報がもたらされ、信長・徳川家康が武田信玄亡きあと弱体化した甲斐侵攻を開始したことを知ります。
氏政も後れを取るまいと、駿河の武田領に侵攻していきました。3月11日、武田勝頼は天目山の戦いで正室・桂林院(氏政の姉妹)と共に自害。武田氏が滅亡しました。

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葉月 智世
執筆者 (ライター) 学生時代から歴史や地理が好きで、史跡や寺社仏閣巡りを楽しみ、古文書などを調べてきました。特に日本史ででは中世、世界史ではヨーロッパ史に強く、一次資料などの資料はもちろん、エンタメ歴史小説まで幅広く読んでいます。 好きな武将や城は多すぎてなかなか挙げられませんが、特に松永久秀・明智光秀、城であれば彦根城・伏見城が好き。武将の人生や城の歴史について話し始めると止まらない一面もあります。
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