松江城絶妙な立地とサイズがたまらない松江城

日本には、現存天守として12の天守が残っています。「現存天守」とは、廃城や火事で破壊されたり、太平洋戦争などの戦乱で破壊されたりした城も多くある中、江戸時代またはそれ以前に建設され、現代まで保存されている天守のことです。

松江城も現存12天守のひとつで、現在の島根県松江市に残っています。他にも彦根城や白鷺城と呼ばれる美しい姫路城もありますが、私は松江城がとても好きで「好きな城は?」と聞かれるといつも挙げている城です。
今回は、どうして松江城が好きなのかを語ってみたいと思います。

理由その1:城のサイズ

大きな城には、本丸以外にも二の丸・三の丸・庭園に櫓…たくさんの建物で構成されて、広大な敷地を持っています。大きな城は、それだけでダイナミックだし、遠くからも目立つのできっと当時は町のシンボルとしてその役割を存分に発揮したのではないかと思います。

それに比べて、松江城はそれほど大きなサイズだとは言えません。
松江城の天守は外観4重、内部5階、地下1階。天守の南に地下1階を持つ平屋の附櫓が付属しているだけです。
形式上は「望楼型天守」に分類されるお城で、二重の櫓の上に二重(3階建て)の望楼を載せた形をしています。二重目と四重目は東西棟の入母屋造で、二重目の南北面に入母屋破風の出窓をつけているのもポイントだと言えます。

附櫓も入母屋造。壁面は初重・二重目は黒塗の下見板張り、三・四重目と附櫓は上部を漆喰塗、その下を黒塗下見板張りになっています。

南北の出窓部分の壁は漆喰塗。屋根はすべて本瓦葺き、構造的には、2つの階にまたがる通し柱を多用しているところがとても好きです。建物の中央部には地階と1階、2階と3階、4階と5階をそれぞれつなぐ通し柱があって、側柱など外側部分には1階と2階、3階と4階をつなぐ通し柱が使われています。

大きな城は、見て回るのにとても時間と体力を使いますが、松江城くらいのサイズ感だと気負わず気軽に見ることができるのも好きな理由です。

理由その2:立地と形状

城には、様々な立地があります。城を建てる目的にもよりますが、難攻不落を目指して堅牢な山にある山城や、河川などの地形を利用した城など様々。

築城した当時は、きっとその立地に意味があったと思います。でも、現代において城を見学するとなると山城は体力も時間もかかる上に、気合も要求されるようで行くだけで覚悟がいるような気分になることも…。
その点、松江城は平城に近い形状です。当時の大きさそのものを残しているわけではなく、現在、北の丸には神社、三の丸には島根県庁が建っています。
松江市街の北部に位置していて、アクセスもいいうえに、南を流れる京橋川を外堀とする輪郭連郭複合式平山城となっています。

宍道湖北側湖畔の亀田山に築かれ、日本三大湖城の一つにも数えられ、城の周りを囲む堀川は宍道湖とつながっているのも好きなポイントです。
宍道湖と繋がっているので、堀は薄い塩水(汽水域)というのもなかなかない形状です。

構造は、本丸を中心に据えていて、北に北の丸、南に二の丸上段、東に二の丸下段、二の丸上段のさらに南には出城のように独立した三の丸が割とコンパクトに配されています。城の中心となる御殿は二の丸上段に置かれていたようですが、敷地が狭いこともあって三の丸にも御殿が建てられました。歴代の藩主は主にこちらで生活していたと言われています。大手門は石垣のみが残っていますが、巨大な枡形を形成しています。

松江城に残る人柱伝説

松江城は、天守台の石垣を築くことができず何度も崩れ落ちていたと言われています。
「人柱がなければ工事は完成しない」と、普請に携わった工夫たちから意見が出て、盆踊りを開催したところ、その中で最も美しく、最も踊りの上手な少女が生贄にされたと伝わります。娘は踊りの最中にさらわれ、訳も分からず埋め殺されたそうです。

結果的に石垣は見事にでき上がり、城も無事落成するも、城主の父子が急死し改易に…。人々は娘の無念の祟りであると恐れ、天守は荒れて放置されました。その後、松平氏の入城まで天守からはすすり泣きが聞こえたという城の伝説が残っています。
また「城が揺れる」との言い伝えで城下では盆踊りをしなかったことが小泉八雲の「人柱にされた娘」などに残っています。

また、天守台下の北東部石垣が何度も崩落するため困っていたところ、堀尾吉晴の旧友という虚無僧が現れ、崩落部分を掘らせると槍の刺さった髑髏が出てきたそう。虚無僧が祈祷したが、まだ危ういところがありました。虚無僧は「祈祷では無理だ」というため、どうすればいいのか尋ねると、「私の息子を仕官させてくるのであれば、私が人柱になる」というので、虚無僧に人柱になってもらい工事を再開させることができるも、堀尾家は普請の途中に2代忠晴で絶え改易になっています。

他にも、虚無僧の尺八が聞こえてきたので捕まえて人柱にしたところ、尺八の音が聞こえるようになった、というものもあるなど様々な言い伝えも残ります。
こうした言い伝えも、どこか悲しくて引かれる理由のひとつです。そんな松江城に、また近いうちに訪れたいものです。

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紹介者 葉月 智世(ライター) 学生時代から歴史や地理が好きで、史跡や寺社仏閣巡りを楽しみ、古文書などを調べてきました。特に日本史ででは中世、世界史ではヨーロッパ史に強く、一次資料などの資料はもちろん、エンタメ歴史小説まで幅広く読んでいます。 好きな武将や城は多すぎてなかなか挙げられませんが、特に松永久秀・明智光秀、城であれば彦根城・伏見城が好き。武将の人生や城の歴史について話し始めると止まらない一面もあります。
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