百舌鳥古墳群とは、大阪府堺市に広がる古墳群である。古墳時代の最盛期である4世紀後半から5世紀後半にかけて築造された、古代日本列島の王たちの墓群で、羽曳野市・藤井寺市に広がる古市古墳群とともに、世界文化遺産「百舌鳥・古市古墳群」を構成している。百舌鳥古墳群の中心となるのが、墳丘長約486mを誇る仁徳天皇陵古墳である。仁徳天皇陵古墳は、大山古墳・大仙陵古墳とも呼ばれ、クフ王のピラミッド、秦の始皇帝陵と並ぶ世界最大級の墳墓として知られる。周辺には履中天皇陵古墳、反正天皇陵古墳、ニサンザイ古墳、御廟山古墳、いたすけ古墳などがあり、大型前方後円墳を中心に、帆立貝形墳、円墳、方墳など多様な形の古墳が密集している。これらの古墳は、単なる埋葬施設ではなく、墳丘の形、大きさ、濠、葺石、埴輪によって権力や社会秩序を示す巨大な土製モニュメントであった。現在、古墳の多くは内部に立ち入ることはできないが、外側から墳丘や濠、周辺景観を見学できる。大仙公園、堺市博物館、百舌鳥古墳群ビジターセンターとあわせて巡ることで、古墳時代の王権と堺の歴史を立体的に理解できる。
| 目的 | 古代王権の首長層の墓、権力の象徴、葬送儀礼の場、社会階層の可視化、古墳築造技術の表現、地域の歴史文化継承、世界文化遺産としての保存活用 |
|---|---|
| 特長 | 百舌鳥古墳群、百舌鳥・古市古墳群、仁徳天皇陵古墳、大山古墳、大仙陵古墳、履中天皇陵古墳、反正天皇陵古墳、ニサンザイ古墳、御廟山古墳、いたすけ古墳、長塚古墳、収塚古墳、丸保山古墳、大仙公園、堺市博物館、百舌鳥古墳群ビジターセンター、前方後円墳、帆立貝形墳、円墳、方墳、葺石、埴輪、濠、陪塚、古墳時代、世界文化遺産 |
| 他の史跡との違い | ・堺市街地の中に巨大古墳が点在し、都市と古代王墓が共存する独特の景観を持つ ・仁徳天皇陵古墳は墳丘長約486mの日本最大の前方後円墳で、百舌鳥古墳群の中心的存在である ・前方後円墳だけでなく、帆立貝形墳、円墳、方墳など、複数の古墳形式をまとめて見ることができる ・古墳の大きさや形の差から、古墳時代の政治的序列や社会構造を読み取ることができる ・古市古墳群とあわせて、古墳時代の王権形成を示す世界文化遺産として評価されている |
| 別称 | 百舌鳥エリア、百舌鳥古墳群、百舌鳥・古市古墳群百舌鳥エリア |
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| 正式名称 | 百舌鳥古墳群 |
| 所在地 | 大阪府堺市 |
| 成立 | 4世紀後半から5世紀後半にかけて築造された古墳群 |
| 時代 | 古墳時代中期を中心とする |
| 性格 | 古代日本列島の王や有力首長層の墓群 |
| 構成 | 世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」は45件49基の古墳で構成される。百舌鳥エリアには、仁徳天皇陵古墳を中心に大型前方後円墳や陪塚が密集する |
| 主な古墳形式 | 前方後円墳、帆立貝形墳、円墳、方墳 |
| 最大の古墳 | 仁徳天皇陵古墳。墳丘長約486mの日本最大の前方後円墳 |
| 主な古墳 | 仁徳天皇陵古墳、履中天皇陵古墳、反正天皇陵古墳、ニサンザイ古墳、御廟山古墳、いたすけ古墳、長塚古墳、収塚古墳、丸保山古墳、旗塚古墳、塚廻古墳、孫太夫山古墳、永山古墳 |
| 主な見どころ | 仁徳天皇陵古墳拝所、履中天皇陵古墳、いたすけ古墳、ニサンザイ古墳、大仙公園、堺市博物館、百舌鳥古墳群ビジターセンター、百舌鳥古墳群周遊路 |
| 文化財指定 | 百舌鳥古墳群の一部は国指定史跡。令和元年(2019)に「百舌鳥・古市古墳群」としてユネスコ世界文化遺産に登録 |
| 世界遺産登録名 | 百舌鳥・古市古墳群 -古代日本の墳墓群- |
| 英語登録名 | Mozu-Furuichi Kofun Group: Mounded Tombs of Ancient Japan |
| 登録年 | 令和元年(2019) |
| 住所 | 仁徳天皇陵古墳は大阪府堺市堺区大仙町周辺。百舌鳥古墳群は堺市堺区・北区・西区周辺に点在する |
| 問い合わせ | 百舌鳥古墳群ビジターセンター 072-245-6682 |
| 見学時間 | 古墳外周の見学は原則自由。ただし古墳内部や陵墓内は立入不可。百舌鳥古墳群ビジターセンターは9時~18時 |
| 休館日 | 古墳外周の見学はなし。百舌鳥古墳群ビジターセンターは年末年始休館 |
| 見学料 | 古墳外周の見学は無料。百舌鳥古墳群ビジターセンターも入館無料。堺市博物館は別途観覧料が必要 |
| アクセス | 仁徳天皇陵古墳拝所へは、JR阪和線「百舌鳥駅」から徒歩約8分。百舌鳥古墳群ビジターセンターへは、JR阪和線「百舌鳥駅」から西へ約350m |
| 備考 | 百舌鳥古墳群は、古墳そのものの内部を見学する史跡ではなく、墳丘、濠、外周、拝所、周辺施設を巡りながら理解する古墳群である。仁徳天皇陵古墳は宮内庁が仁徳天皇陵として管理しており、内部は非公開である。外周を歩くとその巨大さを体感できるが、地上からは前方後円墳の全体形状は把握しにくいため、百舌鳥古墳群ビジターセンターの8K空撮映像や堺市博物館の展示と組み合わせると理解しやすい。大仙公園内には堺市博物館、日本庭園、平和塔などがあり、古墳群散策の拠点となる。周辺には履中天皇陵古墳、いたすけ古墳、収塚古墳、旗塚古墳などが点在し、徒歩やレンタサイクルで巡るのに向いている。 |
| 3世紀後半 | 日本列島で前方後円墳を中心とする古墳文化が成立し、各地に大規模な墳墓が築かれるようになる |
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| 4世紀後半 | 大阪平野南部に大型古墳が築かれ始め、百舌鳥・古市地域が古墳築造の重要な舞台となる |
| 4世紀後半~5世紀前半 | 百舌鳥古墳群で大型前方後円墳の築造が進み、古代王権の力を示す巨大な墳墓群が形成されていく |
| 5世紀前半 | 履中天皇陵古墳、ミサンザイ古墳が築造されたと考えられる。墳丘長約365mを誇る百舌鳥古墳群有数の大型前方後円墳である |
| 5世紀中頃 | 仁徳天皇陵古墳、大山古墳・大仙陵古墳が築造されたと推定される。墳丘長約486mを誇る日本最大の前方後円墳である |
| 5世紀中頃 | 仁徳天皇陵古墳の周囲には、陪塚と考えられる中小古墳が築かれ、王墓を中心とする古墳群の構成が整えられる |
| 5世紀後半 | ニサンザイ古墳など大型前方後円墳が築かれ、百舌鳥古墳群の築造は引き続き進む |
| 5世紀後半 | 反正天皇陵古墳、田出井山古墳などが築かれ、百舌鳥耳原三陵と呼ばれる古墳群の骨格が形成される |
| 古墳時代中期 | 墳丘には葺石が施され、テラスや堤には円筒埴輪、形象埴輪などが並べられた |
| 古墳時代中期 | 前方後円墳、帆立貝形墳、円墳、方墳という古墳形式が標準化され、古墳の形と規模が社会的な序列を表すようになる |
| 6世紀 | 古墳築造の中心は次第に変化し、巨大前方後円墳の時代は終息へ向かう |
| 古代以降 | 大型古墳の一部は陵墓として認識され、歴代天皇陵や皇族墓と結びつけて伝えられるようになる |
| 中世 | 堺周辺は港湾都市として発展し、百舌鳥古墳群の周辺にも集落や街道が形成される |
| 近世 | 仁徳天皇陵古墳などの大型古墳は、地域の景観の中で巨大な森や濠として存在し続ける |
| 1872年 | 明治5年、仁徳天皇陵古墳の前方部で竪穴式石室に収められた長持形石棺が露出し、刀剣、甲冑、ガラス製品などが確認されたと伝わる |
| 明治時代 | 仁徳天皇陵古墳、履中天皇陵古墳、反正天皇陵古墳などは宮内庁管理の陵墓として位置づけられる |
| 20世紀前半 | 都市化が進む中で、百舌鳥古墳群の一部は破壊や改変を受ける一方、保存の必要性が認識されるようになる |
| 1956年 | いたすけ古墳が国の史跡に指定され、百舌鳥古墳群の保存運動を象徴する古墳となる |
| 昭和時代後期 | 大仙公園や堺市博物館が整備され、百舌鳥古墳群を学ぶ拠点づくりが進む |
| 1980年 | 堺市博物館が大仙公園内に開館し、百舌鳥古墳群や堺の歴史文化を紹介する施設となる |
| 2000年代 | 大阪府、堺市、羽曳野市、藤井寺市が連携し、百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産登録に向けた取り組みを進める |
| 2007年 | 大阪府・堺市・羽曳野市・藤井寺市が、世界遺産暫定一覧表記載資産候補として「百舌鳥・古市古墳群」を文化庁に提案する |
| 2010年 | 百舌鳥・古市古墳群が世界遺産暫定一覧表に記載される |
| 2017年 | 文化審議会世界遺産部会で、百舌鳥・古市古墳群が世界文化遺産の推薦候補となる |
| 2018年 | ユネスコへ推薦書が提出され、ICOMOSによる現地調査が行われる |
| 2019年 | 令和元年、第43回ユネスコ世界遺産委員会で「百舌鳥・古市古墳群」の世界文化遺産登録が決定する |
| 2021年 | 百舌鳥古墳群ビジターセンターが仁徳天皇陵拝所東に開館し、8K空撮映像などで古墳群の価値を伝える拠点となる |
| 現代 | 百舌鳥古墳群では、古墳の保存、周遊マップの整備、ガイド、ビジターセンター、堺市博物館などを通じて、世界文化遺産としての価値発信が進められている |
| 現在 | 百舌鳥古墳群は、仁徳天皇陵古墳を中心とする古代王墓群、都市の中に残る巨大古墳群、世界文化遺産「百舌鳥・古市古墳群」の百舌鳥エリアとして、多くの来訪者を迎えている |