鶴岡八幡宮神奈川県鎌倉市

春の鶴岡八幡宮1 春の鶴岡八幡宮2 春の鶴岡八幡宮3 春の鶴岡八幡宮4 春の鶴岡八幡宮5
  • 康平6年(1063)に源頼義が石清水八幡宮を勧請したことに始まる源氏ゆかりの八幡宮
  • 治承4年(1180)に源頼朝が現在地へ遷し、鎌倉幕府の精神的中心となった神社
  • 若宮大路、段葛、源平池、流鏑馬、大銀杏で知られる鎌倉を代表する名社

鶴岡八幡宮とは、神奈川県鎌倉市雪ノ下にある神社である。康平6年(1063)、源頼義が京都の石清水八幡宮を勧請し、由比ヶ浜辺に祀った鶴岡宮を起源とする。その後、治承4年(1180)に鎌倉入りした源頼朝が、先祖ゆかりの八幡宮を現在地へ遷し、鎌倉幕府と東国武士の守護神として篤く崇敬した。建久2年(1191)の火災後には、頼朝が背後の山腹を切り開いて改めて社殿を整え、現在につながる上宮・下宮の構成が形成された。鶴岡八幡宮は、単なる神社ではなく、鎌倉の都市づくりの中心でもあった。由比ヶ浜から鶴岡八幡宮へまっすぐ延びる若宮大路と段葛は、頼朝が妻・北条政子の安産を祈願して造営したと伝わる参道で、鎌倉の都市軸となった。境内には本宮、若宮、舞殿、白旗神社、旗上弁財天社、源平池、流鏑馬馬場などがあり、源氏、鎌倉幕府、武家文化の記憶を今に伝えている。

鶴岡八幡宮の特長
目的 源氏の氏神である八幡神への信仰、鎌倉幕府の守護神、東国社会の精神的中心、武運長久、勝運、家内安全、厄除、安産祈願、交通安全、鎌倉の都市形成の中心
特長 鶴岡八幡宮、鎌倉、源頼義、源頼朝、北条政子、応神天皇、比売神、神功皇后、八幡神、石清水八幡宮、由比若宮、若宮大路、段葛、源平池、舞殿、白旗神社、旗上弁財天社、流鏑馬、放生会、大銀杏、鎌倉幕府、武家文化、国指定史跡、国指定重要文化財
他の神社との違い ・源氏の氏神である八幡神を祀り、鎌倉幕府の成立とともに東国武士の精神的中心となった神社である
・神社そのものだけでなく、若宮大路や段葛を含めて鎌倉の都市計画の中心軸を形成した
・境内で流鏑馬、放生会、舞楽、相撲などが行われ、武家文化と祭礼文化が結びついた場所である
・源頼朝、北条政子、静御前、公暁など、鎌倉時代の重要人物に関わる伝承や史跡が重なる
・鎌倉駅、小町通り、若宮大路、宝戒寺、荏柄天神社、鎌倉国宝館などとあわせて巡ると、鎌倉幕府と都市鎌倉の成り立ちを理解しやすい
鶴岡八幡宮DATA
別称 鎌倉八幡宮、鶴岡八幡、鶴岡宮
所在地 神奈川県鎌倉市
創建 康平6年(1063)。源頼義が京都の石清水八幡宮を勧請し、由比ヶ浜辺に祀った鶴岡宮に始まる
現在地への遷座 治承4年(1180)。源頼朝が鎌倉入りにあたり、先祖ゆかりの八幡宮を現在地へ遷した
主な造営者 源頼義、源頼朝
祭神 応神天皇、比売神、神功皇后
主な見どころ 本宮、若宮、舞殿、白旗神社、旗上弁財天社、源平池、流鏑馬馬場、親銀杏と子銀杏、大石段、若宮大路、段葛
文化財指定 国指定史跡、国指定重要文化財、神奈川県指定史跡、鎌倉市指定天然記念物、鎌倉市指定有形文化財
住所 神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目1-31
電話番号 0467-22-0315
参拝時間 開門・閉門時間は通年6時~20時
施設利用時間 宝物殿は9時~16時。鎌倉文華館 鶴岡ミュージアムは10時~16時30分。施設により定休日や展示替え期間あり
休館日 境内参拝はなし。各施設は休館日や展示替え期間あり
参拝料 境内参拝無料。宝物殿、鎌倉文華館 鶴岡ミュージアムなどは別途料金が必要な場合あり
備考 鶴岡八幡宮は、源頼義による由比若宮の創建、源頼朝による現在地への遷座を経て、鎌倉幕府の守護神となった神社である。若宮大路と段葛は、由比ヶ浜から鶴岡八幡宮へ向かう鎌倉の都市軸であり、頼朝の鎌倉づくりを象徴する参道である。本宮、若宮、丸山稲荷社は重要文化財で、境内には舞殿、白旗神社、旗上弁財天社、源平池、流鏑馬馬場、大銀杏ゆかりの親銀杏と子銀杏などがある。毎年9月の例大祭では流鏑馬神事が行われ、鎌倉武士の文化を今に伝えている。鎌倉駅から若宮大路や小町通りを通って参拝しやすく、鎌倉観光の中心となる神社である。
鶴岡八幡宮への交通アクセス
JR横須賀線「鎌倉」駅下車、徒歩約11分

HISTORY 鶴岡八幡宮について

鶴岡八幡宮の歴史
1063年 康平6年、源頼義が京都の石清水八幡宮を勧請し、由比ヶ浜辺に鶴岡宮を祀ったことが始まりとされる
平安時代後期 鶴岡宮は、源氏の氏神である八幡神を祀る社として信仰される
1180年 治承4年、源頼朝が鎌倉に入り、先祖ゆかりの鶴岡宮を現在地へ遷し祀る
1180年 鶴岡八幡宮は、鎌倉幕府の拠点づくりとともに、東国武士の守護神として位置づけられる
1182年 寿永元年、源頼朝が北条政子の安産を祈願して、由比ヶ浜から鶴岡八幡宮へ至る若宮大路を造営したと伝わる
1182年 若宮大路の中央に一段高い参道である段葛が築かれ、鶴岡八幡宮を中心とする鎌倉の都市軸が整えられる
1186年 文治2年、源頼朝の命により、静御前が鶴岡八幡宮の若宮廻廊で舞ったと伝わる
1187年 文治3年、源頼朝が鶴岡八幡宮で放生会を行い、流鏑馬を奉納したとされる
1191年 建久2年、火災により社殿が焼失する。源頼朝は背後の山腹を切り開き、改めて石清水八幡宮を勧請して社殿を整える
1191年 この再建により、現在につながる上宮と下宮の構成が整えられたとされる
1192年 建久3年、源頼朝が征夷大将軍となり、鎌倉幕府が本格的に整えられる。鶴岡八幡宮は幕府の重要祭祀の場となる
1199年 正治元年、源頼朝が死去する。のちに境内には頼朝を祀る白旗神社が整えられる
1219年 承久元年、三代将軍・源実朝が鶴岡八幡宮参拝の際、甥の公暁により大石段付近で暗殺される
鎌倉時代 鶴岡八幡宮では、放生会、流鏑馬、相撲、舞楽などが行われ、幕府の重要祭事と武家文化の中心となる
鎌倉時代 源氏将軍断絶後も、北条氏をはじめとする鎌倉幕府の有力者から崇敬を受ける
1333年 元弘3年、新田義貞の鎌倉攻めにより鎌倉幕府が滅亡する。鶴岡八幡宮は幕府滅亡後も鎌倉の中心的な社として存続する
室町時代 鎌倉公方や関東管領など、東国を治める武家権力から崇敬を受ける
戦国時代 後北条氏など、関東の有力武家から保護を受ける
1590年 天正18年、豊臣秀吉が小田原攻めの後に鎌倉を訪れ、鶴岡八幡宮にも関心を寄せたとされる
江戸時代初期 徳川家康が鎌倉の社寺保護を進め、鶴岡八幡宮も復興・保護の対象となる
1626年 寛永3年、徳川秀忠により若宮の社殿が造営されたとされる
江戸時代 鶴岡八幡宮は鎌倉を代表する名所として、武家だけでなく江戸庶民の参詣も集める
1828年 文政11年、江戸幕府11代将軍・徳川家斉の命により、現在の本宮が造営される
1868年以降 明治維新後の神仏分離により、鶴岡八幡宮の神社としての形が改められ、仏教施設の多くが整理される
1871年 明治4年、近代社格制度のもとで国幣中社に列する
1880年 明治13年、国幣小社から国幣中社へ昇格する
1911年 明治44年、本宮が国宝、現在の重要文化財に相当する指定を受ける
1923年 大正12年、関東大震災により社殿などが被害を受ける
1928年 昭和3年、関東大震災で被災した社殿の復旧が進められる
1951年 昭和26年、本宮、若宮、丸山稲荷社などが重要文化財に指定される
1952年 昭和27年、鶴岡八幡宮境内が国の史跡に指定される
2010年 平成22年3月10日、鎌倉の歴史を見守ってきた大銀杏が強風により倒伏する
2010年以降 倒伏した大銀杏の幹は移植され、ひこばえとともに「親」銀杏と「子」銀杏として成長が見守られている
2016年 平成28年、段葛の改修工事が完了し、若宮大路の参道景観が整えられる
現在 鶴岡八幡宮は、鎌倉幕府と武家文化の記憶を伝える神社として、また鎌倉観光の中心として多くの参拝者を集めている