米子城鳥取県米子市

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米子城DATA
別称 久米城、湊山金城
築城 1470年
住所 鳥取県米子市久米町
米子城への交通アクセス
JR米子駅より徒歩20分。

HISTORY 現在は絶景スポットとして知られる米子城

米子城は天正19(1591)年に築城が始まり、慶長6(1601)年に完成し、短期間存在した米子藩の居城となった城です。かつては、山陰一の名城と名高く、現在は米子市を一望できる絶景スポットとして知られています。そんな米子城の歴史を紐解いていきましょう。

米子城の築城まで
米子城は、戦国時代に飯山の上に築かれていた砦を前進とした城で、江戸時代初期に湊山を中心に近世城郭が改めて築かれました。 戦国期の米子城は、飯山の頂上に、南北約85メートル、東西約35メートルの郭を構えており、東と北に野面積みで高さ2メートル前後の石垣を各2段設設けていたことがわかっています。また、門が3か所、建物もあったことがわかっていますが、現在は僅かに石垣の痕跡が残るのみです。
江戸初期に新たに築かれた米子城は湊山の山頂に本丸、北側の中腹に二ノ丸を築き、その下に三ノ丸を置く構造でした。そして、飯山の上にあった砦は出丸となったと記録に残っています。
大天守と呼ばれる四重の天守と四重櫓を持ち、30棟の櫓と20棟の門が建てられており、築城当時は山陰一の名城と呼ばれました。 なお、米子城は吉川広家と中村一忠はという2人の武将によって築かれましたが、吉川広家は慶長5年(1600年)の関ヶ原の合戦で主君の毛利輝元が西軍の大将になったことが原因で、米子から岩国に移封されてしまいます。
その後を豊臣秀吉の三中老であった中村一氏の嫡子、中村一忠に任された形です。 なお、中村一氏も豊臣秀吉の忠臣でしたが、関ヶ原の戦いの直前に駿府城下内膳屋敷で徳川家康と会談し、東軍徳川方に加わりました。この功績によって、中村一忠に米子の地が与えられたといわれています。中村一忠このときまだ11才の幼少でありましたが、家臣の助けを経て米子城だけでなく、米子の城下町の整備にも力を入れ、江戸時代に商都として栄えた米子市の基礎を造りました。
中村一忠の急死と米子城のその後
慶長14年(1609年)中村一忠は急死しましたが、後継がいなかったために家系断絶のため、中村家は改易されました。その後、加藤貞泰が伯耆の内で2郡6万石を配して米子藩を任されましたが、元和3年(1617年)に大洲藩へ移封になったのをきっかけに米子藩は廃藩になったのです。
その後、米子は鳥取藩の池田光政の所領となり、米子は家老の池田由成が城代として駐在しました。なお、米子城が一時期鳥取藩の藩庁になる意見もありましたが、結局は実現せず、米子城は明治維新まで家老の荒尾但馬家が城代を勤め、廃城になりました。
明治以降の米子城
明治維新を迎えると、米子城は明治12年(1879年)当時の金30円で古物商山本新助に売り払われ、めぼしい建物はすべて取り壊されて石垣のみになります。 その後、昭和26年(1951年)当時は錦公園と呼ばれていた米子公園に湊山を合わせて現在の湊山公園となりました。 昭和63年(1988年)~平成元年(1989年)かけて改めて米子城の発掘調査がおこなわれ、平成3年(1991年)に船入り石垣の遺構が発見されます。 平成18年(2006年)国の史跡に指定され、平成29年(2017年)には続日本100名城に選定されました。 現在の米子城は石垣以外めぼしい建物は何も残っていませんが、米子市を一望できる絶景スポットとして隠れた名所となっています。
まとめ
米子城は山陰随一の名城と言われながら、中村家断絶の後は藩庁になることもなく、支城の一つとして明治維新を迎えた後で、石垣以外は取り壊されました。 現在も建物の復元はおこなわれていませんが、城址は整備され、絶景スポットとして隠れた名所となっています。

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鳥取城の戦い史上最悪の籠城戦による「渇え殺し」
戦国時代、数々の籠城戦がおこなわれましたが、山陰地方で有名な籠城戦といえば、天正9年(1581年)に豊臣秀吉が鳥取城(現鳥取県鳥取市)を攻めた「鳥取城の渇え(かつえ)殺し」でしょう。備中高松城(岡山県

米子城を藩庁とする、米子藩の歴史

米子藩江戸初期にのみ存在
米子の地は、戦国時代に尼子氏と毛利氏が所有権を巡って争い続けた戦略上重要な場所でした。豊臣氏の時代米子は毛利氏の所有になり、一族の出である吉川広家が治めていました。その支配が大きく変わったのが、慶長5
米子藩DATA
藩庁 米子城
旧地域 伯耆国会見郡
石高 6万石
譜代・外様 外様
主な藩主 中村家・加藤家

中村一忠が米子藩を立藩したものの、お家騒動で改易。その後入封した加藤氏の転封により廃藩となる。

米子城、山陰随一の名城と謳われた「絶景の城」

鳥取県米子市にある米子城は、かつては五重の天守と四重の副天守を持ち、「山陰随一の名城」として広く知られていました。現在は「湊山公園」として整備されており、天守台は米子屈指のビュースポットとして、歴史好きのみならず多くの人々から愛されています。平成29年(2017年)には「続日本100名城」にも選ばれました。

米子城
米子城の歴史
米子城は、伯耆国(現在の鳥取県西部)の湊山に築かれた近世城郭です。応仁〜文明年間(1467年〜1487年)に、日野山名氏の一族と伝わる山名宗之が湊山に隣接する飯山に砦を築いたのが始まりとされています。
天正19年(1591年)、豊臣秀吉の家臣である吉川広家が伯耆国を与えられます。広家は湊山を中心に近世城郭としての米子城の整備を開始しました。
その後、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いを経て、広家は周防・長門に転封されます。代わって伯耆国18万石に入城したのが中村一忠です。一忠は慶長6年(1601年)頃から本格的な築城を進め、翌年米子城を完成させました。
米子城は海を天然の防壁とした海城です。山頂には五重の天守と副天守にあたる四重櫓を併設した、連立天守を据えており、「山陰随一の名城」と言われています。現在見られる高石垣や天守台は、この時代の築城技術を色濃く残しています。
しかし、一忠は慶長14年(1609年)に急死し、中村家は断絶してしまいます。翌年、会見・汗入6万石の領主として加藤貞泰が入城しました。その後、貞泰の国替えにより、元和3年(1617年)に鳥取藩主池田光政の一族である池田由之が、米子城預かり3万2000石として入りました。
寛永9年(1632年)には鳥取藩主家老の荒尾成利が米子城預かり1万5千石となり、以後、明治2年(1869年)まで11代にわたり、荒尾氏が米子を統治しました。
明治2年(1869年)に米子城は士族に払い下げられます。そして明治6年(1873年)、城の建物の多くは売られ、数年後取り壊されました。明治35年(1902年)、城山本丸を整備して「弘楽園」 がオープン。昭和8年(1933年)には城跡が米子市に寄贈され、湊山公園と称されるようになります。その後、昭和26年(1951年)に公園の範囲が見直され、現在の湊山公園が完成。平成18年(2006年)に国の史跡に指定され、平成29年(2017年)4月6日、続日本100名城に選定されました。
現在は天守や櫓は残っていませんが、山陰随一と称される石垣群が良好な状態で残されています。道が整備されているので登りやすいのも特徴です。
米子城の見どころ①絶景スポットの天守台
米子城最大の特徴は、本丸にある天守台からの絶景です。米子市街地や大山、中海、日本海が一望できる見晴らしのよさで、絶景スポットとして人気を博しています。
なかでも早朝、2月20日ごろと10月22日ごろの気象条件が良い日に、大山の山頂から日が昇る「ダイヤモンド大山」は神々しいの一言。毎年観望会イベントが開催されています。
また、4月中旬から8月中旬の天気の良い日には、中海に沈む夕日が一直線の太陽の道「オレンジロード」を作り出します。
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米子城の見どころ②さまざまな石垣
米子城は石垣の城としても知られています。時代ごとに異なる積み方が楽しめるのが特徴で、例えば四重櫓の石垣は打ち込みハギですが、途中から幕末に改修されたため切込みハギの石垣に変わっています。角には「忘れ石」もありますよ。
また、鉄門跡には湊山の岩盤を削って作った、矢穴のある「残念石」があります。なぜ削り残したのかははっきりしていません。
二の丸には枡形虎口に高石垣が残されています。枡形には鏡石や、矢穴の残る築石があるので探しながら散策しましょう。
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米子城の見どころ③登り石垣
内膳丸から天守の遠見櫓まで、尾根沿いに伸びる登り石垣も見どころ。登り石垣は豊臣秀吉による朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の時に秀吉軍が朝鮮に築いた倭城に活用したもので、発掘調査により吉川広家時代に造られた可能性が高いことが分かりました。現在の高さは約2.5mですが、本来では3m以上の高さがあったと推測されています。
なお、登り石垣、三の丸、枡形、二の丸御殿、番所跡、鉄門はVRアプリを活用すると当時の姿を拝むことができます。
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米子城のおすすめ撮影スポット
米子城の天守台はフォトスポットとして有名です。天気や時間ごとに異なる絶景が楽しめます。また、天守台や小天守台を見上げる構図や、遠見櫓から登り石垣を望む構図もおすすめです。また、湊山公園は桜の名所としても知られており、春は天守台から中海とともに眺めると幻想的な光景が拝めます。
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栗本 奈央子
執筆者 栗本 奈央子(ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。