- 因幡・但馬・播磨を結ぶ交通の要衝に築かれた山城
- 山頂部に総石垣の曲輪群が残る続日本100名城
- 一国一城令による破城の痕跡を伝える貴重な城跡
若桜鬼ヶ城とは、鳥取県八頭郡若桜町にある中世から近世初頭にかけての山城跡である。若桜宿の南東、標高452メートルの鶴尾山に築かれ、因幡・但馬・播磨を結ぶ街道を押さえる交通の要衝に位置した。正治2年(1200)に矢部十郎暉種が開城したと伝わり、矢部氏の城として続いたのち、戦国時代には尼子氏・毛利氏・織田方の争奪の舞台となった。近世初頭には木下氏・山崎氏により石垣を備えた城へ整備されたが、一国一城令により廃城となった。現在は山頂部に本丸・曲輪・石垣・虎口などが残り、破城の痕跡を確認できる。
若桜鬼ヶ城の特長
| 目的 |
因幡南東部の支配拠点、但馬・播磨方面への街道監視、若桜宿を押さえる山城 |
| 特長 |
鶴尾山、総石垣、天守台、本丸、曲輪、枡形虎口、破城跡、若桜宿、続日本100名城 |
| 他の城との違い |
・因幡・但馬・播磨を結ぶ街道の結節点に築かれた山城である
・山頂部には天守台を備えた本丸を中心に、総石垣の曲輪群が残る
・廃城時に人為的に石垣を崩した破城の痕跡が残り、一国一城令後の城の壊され方を伝えている |
若桜鬼ヶ城の石垣・土塁
| 石垣 |
現存 |
| 土塁 |
一部あり |
| 種類 |
野面積、石垣、天守台、曲輪、枡形虎口、堀切、山城、破城跡 |
| 石材 |
自然石など |
| 特長 |
若桜鬼ヶ城の山頂部には、木下氏・山崎氏の時代に整備されたとみられる石垣群が残る。天守台を備えた本丸を中心に、北側に二段、南側と西側に各一段の総石垣の曲輪が築かれ、山城でありながら近世城郭的な構造を持つ。石垣は自然石を用いた野面積を基調とし、虎口や曲輪の縁に石垣が集中する。最大の特徴は、廃城時に人為的に石垣を崩した破城の痕跡がそのまま残ることである。石垣の完成形だけでなく、壊された状態も含めて城の歴史を読める点が、若桜鬼ヶ城の大きな見どころである。 |
若桜鬼ヶ城DATA
| 別称 |
鬼ヶ城、若桜城、鶴尾山城 |
| 所在地 |
鳥取県八頭郡若桜町 |
| 築城 |
1200年と伝わる |
| 築城者 |
矢部十郎暉種と伝わる |
| 住所 |
鳥取県八頭郡若桜町若桜・三倉周辺 |
| 電話番号 |
0858-82-2237 |
| 開館時間 |
若桜鬼ヶ城跡は見学自由。若桜郷土文化の里は9時~17時 |
| 休館日 |
若桜鬼ヶ城跡はなし。若桜郷土文化の里は月曜日、年末年始。月曜日が祝日の場合は翌日 |
| 入館料 |
若桜鬼ヶ城跡は無料。若桜郷土文化の里も入場無料 |
| 備考 |
若桜鬼ヶ城跡は国指定史跡で、続日本100名城にも選定されている。林道を通って城跡付近まで車で行くこともできるが、徒歩登城コースも整備されている。山道は狭く急斜面もあるため、滑りにくい登山用の靴と服装が望ましい。若桜郷土文化の里には、若桜鬼ヶ城跡から出土した瓦などが展示されている。 |
- 若桜鬼ヶ城への交通アクセス
- 若桜鉄道「若桜」駅より徒歩60分。
HISTORY
若桜鬼ヶ城について
若桜鬼ヶ城の歴史
| 1200年 |
矢部十郎暉種が鶴尾山に若桜鬼ヶ城を開いたと伝わる |
| 中世 |
矢部氏が代々城主を務め、因幡南東部の支配拠点となる |
| 戦国時代 |
尼子氏・毛利氏・織田方が因幡支配をめぐり、若桜鬼ヶ城周辺で争う |
| 1580年 |
羽柴秀吉が鬼ヶ城を攻撃し、毛利方の在番衆が鳥取城へ退いたと伝わる |
| 1581年 |
鳥取城が落城し、因幡支配が再編される |
| 安土桃山時代 |
木下重堅が城主となり、若桜鬼ヶ城が近世城郭的に整備される |
| 1600年 |
関ヶ原の戦い後、木下重堅が敗れて自刃する |
| 江戸時代初期 |
山崎家盛が若桜鬼ヶ城の城主となる |
| 1615年 |
一国一城令が発布される |
| 1617年頃 |
山崎家治が備中成羽へ転封され、若桜鬼ヶ城は廃城・破却されたと考えられる |
| 2008年 |
若桜鬼ヶ城跡が国の史跡に指定される |
| 2017年 |
続日本100名城に選定される |