三好長慶(2/2)三英傑に先んじた天下人

三好長慶

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人物記
名前
三好長慶(1522年〜1564年)
出生地
徳島県
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この一存の死を契機に細川晴元の次男、晴之を盟主として細川家返り咲きの挙兵が起きます。この戦いは永禄5年(1562)まで続き、この戦いですぐ下の弟三好実休も敗死してしまいました。
さらに翌永禄6年(1563)8月、唯一の実子である三好義興が22歳で早世してしまいます。三好家は十河一存の息子、長慶の甥である三好義嗣を養子に迎え三好家を継がせる形を取りました。

この時点で長慶は実子と多くの弟たちを失いました、ところが、永禄7年(1564)5月、三好長慶は唯一残った弟の安宅冬康を居城の飯盛山城に呼び出して誅殺しています。理由は松永久秀の讒言によるものや甥の三好義継が三好家の後継となる支障と考えての行動だったと言われています。ただこの時期、相次ぐ子や兄弟の死により心身に異常をきたして病となっていました。

同年6月、嗣子となっていた三好義継が家督相続のために上洛していますが、足利義輝らへの挨拶が終わるとすぐに飯盛山城に帰っています。そして7月、三好長慶は亡くなりました享年43。墓所は八尾市の真観寺、京都市の大徳寺聚光院、堺市の南宗寺などにあり、肖像は大徳寺の聚光院と南宗寺に存在します。聚光院の肖像画は重要文化財に指定されました。

三好家のその後

応仁の乱以降、管領家たる細川家が政務を司り、その細川家も30年以上内乱が続いた後に畿内を中心とした天下を掌握した三好家。その三好家を継いだのは長慶の甥である三好義継でした。しかし義継が若年だった為、親族の代表である三好長逸と長慶の股肱之臣であった松永久秀が中心となり後見役として支えます。ところが永禄8年(1565)三好義継と三好長逸などが将軍足利義輝を襲い殺害しました(永禄の変)。この行動から後見役である三好長逸と松永久秀とが対立し、3年間の内戦に突入します。また後見役である三好長逸に主導権を奪われた三好義継は宗家の主にも関わらず家を捨て松永久秀の下へ走りました。

この三好家の内戦を好機と見たのが織田信長です。殺された足利義輝の弟、足利義昭を擁立すると畿内に侵攻し三好家を四国へと駆逐しました。長逸と対立していた松永久秀と三好義継とは織田信長に降り、ここに三好政権は崩壊します。そして三好義継、松永久秀も織田信長に反旗を翻し討たれたことで大名としての三好家は無くなりました。三好家は三好康長の家系が残り、長曾我部家、山内家に仕え江戸時代を迎えます。

芥川山城(あくたがわやまじょう)

芥川山城は、大阪府高槻市にあった山城です。高槻市の三好山に建てられた城で「芥川城」と呼ばれていましたが、同じ高槻市の殿町周辺にあった城も「芥川城」と呼ばれていましたので高槻市史が二つを区別する為、三好山にあった城を「芥川山城」と呼称し定着しました。

芥川山城は永正7年(1520)に『瓦林正頼記』に記され、この頃建てられました。最初は能勢氏の城でしたが、管領細川晴元が居城とした頃より大規模な城郭に拡張していきます。
不安定な政権運営を行っていた細川晴元は要害の地である芥川山城に度々籠り指揮を執っていますが、これは芥川山城が堅固な難攻不落の城であった為です。細川晴元は三好長慶に追われましたが、長慶も居城とするほど立地、堅固さに優れた城でした。

三好長慶が亡くなると三好家から織田家に支配が移り、織田家の配下だった高山家が城主となりましたが高山家が高槻城を奪うと居城を移したため、芥川山城は廃城となりました。
令和4年芥川山城は国指定の史跡となり、城の遺構と石碑が建てられています。

飯盛山城(いいもりやまじょう)

飯盛山城は現在の大阪府大東市、及び四条畷市にある飯盛山にあった山城です。
始まりは南北朝の頃と考えられ、『太平記』に飯盛山城に立て籠った南朝方を北朝方の高師直が攻めた記述があります。この頃はまだ陣屋を強固にした程度の城と考えられています。
室町時代に入ると守護大名畠山家が家臣の木沢長政に命じて城郭を整備させ、この時から恒久的な城へと変貌しました。

木沢長政は後に三好長慶に討ち取られると、長慶は畿内に睨みを効かせる事の出来る城として永禄3年(1560)、芥川山城から飯盛山城へ居城を移しました。この三好長慶が居城としたことにより、飯盛山城は一時的にも政治の中心地であったとも見られています。

三好長慶の死後、飯盛山城は三好家の管理に置かれましたが織田信長の進出により城を奪われます。飯盛山城は織田家によって廃城とされました。現在、飯盛山はハイキングコースとされ市民に親しまれている他、令和3年(2021)に国の史跡として指定されています。

三好長慶武者行列まつり

短い期間とはいえ天下を取った三好長慶。この長慶に所縁のあるお祭りがあります。

徳島県三好市「三好長慶武者行列まつり」
三好長慶は徳島県三好市三野町芝生にあった芝生城(しぼうじょう)において誕生しました。この誕生を記念して三野町では秋に「三好長慶武者行列まつり」を行っています。祭りは町民による武者行列や、鉄砲隊を招いての実演演武など生誕地ならではの行事となっています。
大阪府大東市「三好長慶公武者行列in大東」
三好長慶の晩年の居城であり畿内を中心に大版図の中心地であった飯森山城。この飯盛山城跡は現在の大阪府大東市にありました。この飯盛山城で天下の仕置をしていた三好長慶を親しみ市では春に「三好長慶公武者行列in大東」を行っています。祭りは刀での殺陣演武や武者行列など市民が中心となり行われているお祭りです。

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葉月 智世
執筆者 (ライター) 学生時代から歴史や地理が好きで、史跡や寺社仏閣巡りを楽しみ、古文書などを調べてきました。特に日本史ででは中世、世界史ではヨーロッパ史に強く、一次資料などの資料はもちろん、エンタメ歴史小説まで幅広く読んでいます。 好きな武将や城は多すぎてなかなか挙げられませんが、特に松永久秀・明智光秀、城であれば彦根城・伏見城が好き。武将の人生や城の歴史について話し始めると止まらない一面もあります。
日本の城フォトコンテスト.03