飫肥藩島津氏との長い領地争いの結果、伊東氏のものに

伊東家の家紋「庵木瓜」

記事カテゴリ
藩史
藩名
飫肥藩(1617年〜1871年)
所属
宮崎県
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飫肥藩は江戸時代を通じて日向伊東氏14代にわたってが治めた藩です。藩庁である飫肥城は、室町時代末期から豊臣秀吉の九州平定まで100年近く島津氏と伊東氏が所有を巡って争いました。
1つの領地(城)がこれほどまでの長期間、2つの氏族の間で争われたのは日本史史上例をみません。
そんな飫肥藩の歴史を紐解いていきましょう。

室町末期から江戸時代までの伊東氏の歴史

伊東氏は、伊豆の御家人であった工藤祐経の子ども伊東祐時が鎌倉幕府より日向の地頭職を与えられて下向したことが始まりです。

室町時代になると伊東氏は勢力を伸ばし、領地を広げようと動き始めます。
室町末期から戦国時代にかけ、伊東氏は薩摩の守護で九州征服を目指していた薩摩の島津氏との間で、何度も衝突を繰り広げます。
特に、後に藩庁となる飫肥城を含む飫肥の地を巡って、日向伊東氏11代目当主となる伊東義祐は、飫肥役という名の長い戦役を繰り広げました。

この戦は、13代目将軍である足利義輝より和睦命令が出されたり、直轄地に仕様と試みたりするなど幕府を巻きこむ大騒動になります。
島津氏も伊東氏も一歩引きませんでした。

善戦のかいあって最終的に伊東氏は飫肥の地を手に入れ、伊東四十八城と呼ばれるたくさんの砦や城を築くなど守りを固めましたが、「木崎原の戦い」と呼ばれる戦で再び島津氏に領地を奪い返されます。

飫肥藩の初代藩主となる伊東祐兵は、伊東義祐の三男で島津氏に敗れてから日向を追われ、織田氏に仕えます。
その後、伊東祐兵は羽柴秀吉の与力となり、九州平定に力を尽した功績により失った領地を再び与えられます。
その後、慶長4年(1600年)に関ヶ原の戦いのときには、九州の大名の中では珍しく東軍にこっそりと味方し、戦後に所領を安堵されました。

元和3年(1617年)、2代将軍・徳川秀忠より飫肥藩5万7千石の所領安堵の朱印状を授かったことで、正式に飫肥藩が成立します。

なお、初代藩主の伊東祐兵は、関ヶ原の戦い当時、すでに高齢で病がちであり、2代目藩主の伊東祐慶が実質上の初代藩主です。
伊東祐兵は、領内にスギ(飫肥杉)の植林事業を興します。
これが幕末まで飫肥藩の財政を支える礎となりました。

江戸時代の飫肥藩

飫肥藩は2代藩主伊東祐兵が、杉の植林をはじめたことで江戸時代初期から林業が盛んになりました。
5代目藩主伊東祐実の代、寛文2年(1662年)に大地震・大津波が領内を襲ったことで、翳りが見えていた財政が一気に悪化します。

それでも、伊東祐実は植林事業の奨励、甘藷の食糧自給化、郷士制度の確立などを行い、藩政を建て直そうとします。

さらにこの時代、島津氏が納める薩摩藩との領土の境界をめぐって争いが勃発しましたが、牛の峠境界論争には勝訴し、藩の境界を確定するなど領内の安定と発展に力を尽しました。
ただ、その後も城下町で大規模な火災が起こるなど、天災が相次ぎました。

その後、9代目藩主伊東祐鐘が「杉方部一法」という山林・植林制度を確立します。
また、天明の大飢饉の際にも庶民救済を目的に大規模な植林を行い、その利益で飢えに苦しむ領民を救済しています。
この植林事業が功を奏し、11代目藩主伊東祐民の時代、ずっと危機的な状況であった藩の財政が立ち直りました。

13代目伊東祐相の時代、世は幕末を迎えます。薩摩藩が明治維新の中心になったのに対し、飫肥藩は目立った活躍を見せていません。ただし、藩内では殖産興業政策、軍制改革、海防のための砲台建設、養蚕業の奨励、飫肥藩教学の確立などを行い、領民の生活を豊かにして、人材の発掘に努めました。

その後、明治時代になると新政府軍に従い、戊辰戦争では二条城と甲府城の守備を務めています。

最後の藩主である14代目の伊東祐帰は、2人目の妻が岩倉具視の義妹に当たります。
そのため、廃藩置県によって藩知事を務めた後に東京へ移り住んだ折、岩倉具視の要請を受けて、飫肥の士族に西郷隆盛に従わないように手紙を送っています。
本人は、子爵位を拝領した後、明治27年(1894年)、東京にて40歳で死去しています。

まとめ:100年近く争ったすえに手に入れた領地を守り抜いた一族が治めた藩

飫肥藩は、九州にある藩の中では数少ない1つの家が藩の設立から明治維新まで治めた藩です。
伊東家は鎌倉時代に日向に下り、室町末期からずっと島津氏と友に飫肥を含む日向の地の所有を巡って争ってきました。

100年近く争ったすえ、ようやく手に入れた領地を守る為に、伊東氏は早くから飫肥杉の植林を始め、甘藷栽培などを行い、領地を発展させるために尽力を尽します。
藩主を務めた14人は、いずれも幕府の要職を務めた事もなく、幕末も目立った活躍はしていません。
その分、天災が多かった領地の発展と領民の幸福のための治世を行ないました。
早世の藩主も多かったのですが、その血筋は途切れることなく現代まで続いています。

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執筆者 (ライター) 江戸時代を中心とした歴史大好きライターです。 趣味は史跡と寺社仏閣巡り、そして歴史小説の読書。 気になった場所があればどこにでも飛んでいきます。 最近は刀剣乱舞のヒットのおかげで刀剣の展示会が増えたことを密かに喜んでいます。