仙台藩(2/2)伊達家が治め続けた

伊達家の家紋「竹に雀」

記事カテゴリ
藩史
藩名
仙台藩(1601年〜1871年)
所属
宮城県
関連する城

仙台城

涌谷城

関係する城

伊達綱宗が21才で隠居したことにより、跡を継いで四代目藩主となったのは僅か2才の伊達綱村です。この年齢では政務が行えるはずがなく、藩の実権は大伯父にあたる伊達宗勝が後見人のような立場となり、藩の実権を握りました。しかしそれが家臣達の対立を招き、ついに伊達綱村自身が毒殺されかける事態も起こります。それがきっかけとなり、幕府が仙台藩の重臣、柴田朝意や古内義如らを呼び出して審問が行なわれました。これに関する詳細は省きますが、審問の席で家臣や宗勝専横を江戸幕府に訴えた、伊達宗重という人物が伊達宗勝を指示する家老のひとり、原田宗輔に切られるという事件が起こります。
これが後の世に「寛文伊達騒動」と呼ばれることになりました。

伊達宗重はこのときの傷が元で死亡、原田宗輔も柴田朝意や古内義如に斬られて殺されます。
これがきっかけとなり、伊達家は取り潰しの瀬戸際まで追い詰められますが、藩主伊達綱村が幼少のこともあり、お取り潰しは免れました。しかし、伊達宗重が藩主を務めていた一関藩は改易となります。

この騒動を経て、伊達綱村は13才から自身が政務を執るようになりますが、防風林の設置、運河の開発、自社の修理など資金のかかる工事を次々に行ったことにより、藩の財政は急速に悪化していきます。伊達綱村は藩札を発行して事態を打開しようとしますが、かえって物価が高騰し、財政の悪化は止まりませんでした。
そのため、強制隠居の声が上がりますが結局それは実現せず、綱村は34才で従兄弟の伊達吉村に藩主の座を譲って隠居しました。

綱村の藩主就任から隠居までに起こった数々の騒動を、現在はまとめて「伊達騒動」と呼んでいます。この伊達騒動は数々の小説や演劇の題材になりました。特に有名なのは歌舞伎の「伽羅先代萩」です。歌舞伎では伊達綱村の父、伊達綱宗が吉原の高尾太夫を殺害したことになっていますが、これはフィクションです。

五代目藩主となった伊達吉村は、40年以上も治世を敷いた人物です。彼が藩主になった頃、仙台藩の財政は完全に破綻状態でした。そのため、伊達吉村は役職を整理して家臣のリストラを断行し、仙台藩から出た銅を使うことを条件に、石巻で寛永通宝を製造し、仙台藩内に流通させます。また、買米制度を強化し、農民から半ば強制的に米を買い上げました。この頃、享保の飢饉が起こりましたが、仙台は幸豊作であったため、買米が高値で売れたこともあり、ようやく仙台藩は財政危機を脱します。
このように善政を敷いた伊達吉村ですが、検知の途中停止など失敗した政策もありました。

幕末までの仙台藩

七代目仙台藩主となった伊達重村の時代、仙台藩は飢饉と財政の再悪化で再び藩内が不穏になります。伊達重村は政策を巡って家臣と対立し、宝暦疑獄や安政疑獄など二つの大きな疑獄事件が発生しました。また、重村自身、薩摩藩主島津重豪に対抗しようと猟官運動を行い、乏しくなった藩の資財を使い込み、ますます財政は悪化します。

八代目の藩主、伊達斉村はわずか23才で病没、嫡子の伊達周宗が生後数か月で九代目藩主となりました。伊達周宗は14歳の時に疱瘡(天然痘)にかかり、そのまま回復することなく17歳で隠居を願い出ます。伊達周宗は歴代藩主の中で一度も将軍にお目見えせず、もちろん嫡子もいませんでした。そのため、嫡子なしとして一時はお家断絶の危機となりましたが、11代将軍、徳川家斉の娘を妻としていたため特例として異母弟伊達斉宗が十代目藩主となりました。しかし、彼も22歳で病没します。
十一代目藩主伊達斉義も29歳、十二代目伊達斉邦も25歳で病没とこの時期伊達家の藩主達は短命が続き、何度もお家断絶の危機にさらされます。しかし、その度に江戸幕府は「特例」として末期養子を許可し、伊達家は存続されていきました。

十三代目藩主となった伊達慶邦は、奥羽越列藩同盟の盟主として明治政府と戦いました。結果は大敗。本来なら伊達慶邦は資財になる予定でしたが蟄居と石高を28万石に厳封されることを条件に、家督相続を許されました。

明治以降の伊達家

一二代目伊達藩主の嫡子であった伊達宗基はまだ幼少であったため、十三代目の藩主の座に就いたとき、明治政府は藩知事の座を伊達慶邦養子の伊達宗敦に任じます。伊達宗敦は藩知事を明治四年の廃藩置県によって辞した後、イギリスに留学し、帰国後は終身華族となり、伊達男爵家を起こしました。本人は貴族院の議員となり4期務めます。
また、本家の伊達家は伯爵家となり、伊達宗基は伯爵となっています。

まとめ

仙台藩は開藩から明治の廃藩置県まで一貫して伊達家によって治められました。東北は飢饉が多く財政が厳しい藩が多かった中、仙台藩は買上米という制度で現金収入を早くから得られたことで、比較的裕福でした。しかし、伊達騒動を初めとする内紛が絶えず、さらに八代目以降は短命の藩主が続いたことで、最後は家を存続させることで手一杯となってしまった感があります。また、3代以降財政も逼迫し、他藩同様幕末にはかなり内情が苦しかったようです。なお、伊達家は現在も存続しており、今は伊達泰宗氏が当主を務めています。伊達泰宗氏は伊達政宗を主人公とした大河ドラマ「独眼竜政宗」の監修を務めるなどしており、伊達家に関する著作も執筆しています。

仙台藩の記事を読みなおす

関係する城
執筆者 (ライター) 江戸時代を中心とした歴史大好きライターです。 趣味は史跡と寺社仏閣巡り、そして歴史小説の読書。 気になった場所があればどこにでも飛んでいきます。 最近は刀剣乱舞のヒットのおかげで刀剣の展示会が増えたことを密かに喜んでいます。