高田城、制約が設計を決める4ヶ月で成立させた、土と水の要塞

日本の旅侍編集部
[執筆者] (メディア)

慶長19年(1614)、徳川家康の六男・松平忠輝の居城として築かれた高田城は、天下普請によってわずか約4ヶ月で完成した。

石垣も天守も持たないこの城は、一見すると簡素に見える。
しかしその実態は、制約を前提に最適化された設計の集合体である。

工期、資材、地盤。
すべてが限られる中で、この城は「成立する構造」を選び続けた。

高田城は、急ごしらえの城ではない。
制約条件から導き出された設計の結論である。

素材〜石垣を採らないという判断

高田城においてまず目につくのは、石垣がほとんど用いられていないという点である。

近世城郭において石垣は、防御と威圧を担う重要な要素である。
だがこの城では、それが採用されていない。

理由は明確だ。

  • 短期間(約4ヶ月)での築城
  • 周辺に大規模な石材供給基盤が乏しいこと
  • 低湿地という地盤条件

これらを前提にすると、石垣は合理的な選択ではない。

そこで採られたのが、掘削した土をそのまま防御構造に転用する方法である。

堀を掘り、その土を盛り上げ、巨大な土塁を築く。
資材の運搬を最小化し、人力を最大限に活かす。

石を使わなかったのではない。
使わない方が合理的だったのである。

高田城の防御は、石ではなく、土という“量”で成立している。

距離〜近づけさせないという防御思想

石垣を持たない城は、防御力が低いのか。
高田城は、その問いに対する明確な答えを持つ。

それは、「近づけさせない」という設計である。

高田城は、外堀・内堀をめぐらせ、広大な水面によって城域を囲っている。

これは単なる区画ではない。

敵はまず水を渡らなければならない。
その時点で進軍速度は著しく低下し、隊列は崩れる。

さらに、渡り切った先には土塁が待ち構える。

つまりこの城は、登らせないのではなくそもそも到達させないという構造を採っている。

垂直の壁を持たない代わりに、水平方向に距離を引き延ばす防御。

これが高田城の中核である。

象徴〜天守を持たない城の意思表示

高田城には天守がない。
その代わりに、本丸の隅に三重櫓が配置されている。

この配置は偶然ではない。

三重櫓は、城への主要導線である極楽橋の正面に位置し、侵入者の視線を正面から受け止める位置に置かれている。

つまりこの櫓は、監視塔としての機能と城の象徴としての役割を同時に担っている。

天守を建てる時間も資源もない。
それでも城としての威厳は必要である。

そのために選ばれたのが、最小構成で最大の効果を生む配置である。

高田城の象徴は、高さではない。
位置によって成立している。

制約が設計を研ぎ澄ます

高田城は、何かを削った城ではない。
むしろ逆で、不要な要素を排除した結果の城である。

  • 石を使わない
  • 高さに頼らない
  • 最小構成で象徴を成立させる

そこにあるのは、制約の中で最適解を導く設計思想である。

高田城は、未完成の城ではない。
条件に対して完成した城である。

高田城
住所:新潟県上越市本城町6
妙高はねうまライン高田駅から徒歩約26分
参考文献・参考資料
  • 上越市教育委員会「高田城跡(高田公園)案内板・文化財解説資料」
  • 新潟県教育委員会「文化財調査資料(高田城関連)」
  • 日本城郭大系 第7巻(新潟・富山・石川)
  • 図説 日本の城と城下町(西ヶ谷恭弘 編)
  • 日本の名城・古城辞典(平井聖 監修)
記事カテゴリ
城郭のロジック
場所
新潟県
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