- 山形藩数多くの譜代大名が治める
- 山形藩は、奥州の覇権を伊達政宗と争った最上義光を開祖とする藩です。しかし、最上家は最上義光の死後数々の騒動を起こして改易され、その後は鳥居氏をはじめ数々の譜代大名や親藩が藩を治めました。そんな山形藩の
山形城とは、山形県山形市にある中世から近世にかけての城跡である。南北朝時代に斯波兼頼が築いたと伝わり、戦国時代から江戸時代初期にかけて最上義光によって大きく拡張された。現在は霞城公園として整備され、復原された二ノ丸東大手門や本丸一文字門、石垣、堀などが、東北有数の規模を誇った山形城の姿を伝えている。
| 目的 | 最上氏の居城、山形藩の政庁、領国支配の拠点 |
|---|---|
| 特長 | 輪郭式平城、二ノ丸東大手門、本丸一文字門、石垣と堀が残る城跡 |
| 他の城との違い | ・三ノ丸まで含めると全国有数の規模を持つ城である ・山形市街地の中心部に広大な城跡が残る ・二ノ丸東大手門は江戸時代中期の姿をもとに復原されている |
| 石垣 | 現存・復原 |
|---|---|
| 土塁 | 一部現存・復原 |
| 種類 | 野面積、打込接、土塁、堀、枡形 |
| 石材 | 不明 |
| 特長 | 山形城は石垣と堀を備えた大規模な平城である。本丸・二ノ丸を中心に石垣や土塁、堀が残り、二ノ丸東大手門や本丸一文字門周辺では復原整備も進められている。二ノ丸東大手門は、枡形を中心に櫓門、続櫓、高麗門、土塀で構成された枡形門で、藩主の威厳を示す役割も担っていた。 |
| 別称 | 霞城、霞ヶ城、吉字城 |
|---|---|
| 所在地 | 山形県山形市 |
| 築城 | 1357年頃 |
| 築城者 | 斯波兼頼 |
| 住所 | 山形県山形市霞城町1番7号 |
| 電話番号 | 023-641-1212 |
| 開園時間 | 霞城公園は4月1日~10月31日が5時~22時、11月1日~3月31日が5時30分~22時 |
| 休園日 | 年中無休 |
| 入園料 | 無料 |
| 備考 | 現在は国指定史跡山形城跡「霞城公園」として整備されている。二ノ丸東大手門櫓は公開期間のみ見学可能で、山形城の古地図、発掘調査で出土した瓦、復原工事資料、山形城復原模型などを展示している。最上義光歴史館も隣接し、入館無料で見学できる。 |
山形城は、山形県山形市霞城町にあった平城です。別名を霞城ともいい、最上義光の居城としても有名です。現在は、国史に指定されており桜の名所としても知られています。そんな山形城の歴史を紐解いていきましょう。
| 1357年頃 | 斯波兼頼が山形城を築いたと伝わる |
|---|---|
| 戦国時代 | 最上氏の本拠として整備される |
| 1592年頃 | 最上義光により山形城が大きく拡張される |
| 1600年 | 慶長出羽合戦で、山形城が最上氏の防衛拠点となる |
| 1622年 | 最上氏が改易され、以後は鳥居氏・保科氏・堀田氏などが城主となる |
| 1871年 | 廃藩置県により山形藩が廃止される |
| 1873年 | 廃城令により山形城が廃城となる |
| 1986年 | 山形城跡が国の史跡に指定される |
| 1991年 | 二ノ丸東大手門が復原される |
| 2006年 | 日本100名城に選定される |
山形城と関連する事件を読む
| 藩庁 | 山形城 |
|---|---|
| 旧地域 | 出羽国村山郡山形 |
| 石高 | 4万石 |
| 譜代・外様 | 譜代 |
| 主な藩主 | 最上氏、鳥居氏、堀田氏、秋元氏 |
| 推定人口 | 7万人(明治元年) |
最上家がお家騒動で転封した後、鳥居家・保科家・松平家・堀田家・秋元家・水野家などが入封。
山形県山形市の「山形城」は、最上義光を代表する最上氏の居城です。日本100名城にも認定された城の別名は「霞城」。現在は「霞城公園」として整備され、二の丸東大手門等が復元されています。