京極家の家紋「平四つ目結」
高松城とは、香川県高松市にある安土桃山時代から近世にかけての城跡である。天正15年(1587)に豊臣秀吉から讃岐一国を与えられた生駒親正が、翌天正16年(1588)から築城を始めた。瀬戸内海に面した場所に築かれ、堀に海水を引き込んだ海城として知られる。生駒氏4代の後、寛永19年(1642)に徳川家康の孫にあたる松平頼重が東讃12万石で入封し、以後、松平氏11代の居城となった。現在は史跡高松城跡・玉藻公園として整備され、月見櫓、水手御門、艮櫓、披雲閣、天守台、石垣、海水堀などが城の姿を伝えている。
| 目的 | 讃岐国支配の拠点、高松藩の政庁、瀬戸内海交通の監視、港町・城下町形成の中心 |
|---|---|
| 特長 | 海城、海水堀、生駒親正、松平頼重、月見櫓、水手御門、艮櫓、披雲閣、天守台、玉藻公園 |
| 他の城との違い | ・瀬戸内海に直接面し、堀に海水を引き込んだ海城である ・月見櫓、水手御門、艮櫓が重要文化財として残る ・海側に船の出入り口を持ち、城と港が一体となった構造を持つ |
| 石垣 | 現存・復元整備 |
|---|---|
| 土塁 | 一部あり |
| 種類 | 野面積、打込接、石垣、天守台、海水堀、水手御門、海城、平城 |
| 石材 | 花崗岩など |
| 特長 | 高松城の石垣は、瀬戸内海に面した海城として、海水をたたえる堀と一体で築かれている。現在の玉藻公園では、天守台、内堀沿い、月見櫓・水手御門周辺などに石垣が残る。天守台は解体修理を経て整備され、かつて三層五階の天守が建っていた場所として見学できる。高松城の本質は、石垣の高さだけではなく、海水堀、水手御門、月見櫓、船の出入りを想定した水辺の構造にある。海城としての姿を見るには、堀と櫓、石垣を一体で見るのが自然である。 |
| 別称 | 玉藻城 |
|---|---|
| 所在地 | 香川県高松市 |
| 築城 | 1588年 |
| 築城者 | 生駒親正 |
| 住所 | 香川県高松市玉藻町2-1 |
| 電話番号 | 087-851-1521 |
| 開園時間 | 玉藻公園は季節・門により異なる。西門は4月~5月が5時30分~18時30分、6月~8月が5時30分~19時、9月が5時30分~18時30分、10月が6時~17時30分、11月が6時30分~17時、12月~1月が7時~17時、2月が7時~17時30分、3月が6時30分~18時。東門は4月~9月が7時~18時、10月~3月が8時30分~17時 |
| 休園日 | 12月29日~12月31日 |
| 入園料 | 大人300円、小人100円。20名以上の団体は大人240円、小人80円 |
| 備考 | 高松城跡は国指定史跡で、日本100名城にも選定されている。月見櫓、水手御門、渡櫓、旧東之丸艮櫓は国の重要文化財である。披雲閣は松平家の政庁・迎賓施設として使われた近代和風建築で、国の重要文化財に指定されている。現在の玉藻公園は、往時の高松城全体の一部である。 |
| 1587年 | 生駒親正が豊臣秀吉から讃岐一国を与えられる |
|---|---|
| 1588年 | 生駒親正が高松城の築城を始め、「野原」の地名を「高松」と改める |
| 安土桃山時代 | 瀬戸内海に面した海城として、高松城と城下町が整備される |
| 1640年 | 生駒騒動により生駒氏が出羽国矢島へ転封される |
| 1642年 | 松平頼重が東讃12万石を与えられ、高松城主となる |
| 1644年 | 松平頼重が城内の改修を始める |
| 1670年 | 松平頼重により天守の改築が完成する |
| 1671年以降 | 東ノ丸・北ノ丸が新造され、2代藩主松平頼常の時代に月見櫓や艮櫓などが建てられる |
| 江戸時代 | 松平氏11代の居城として、高松藩の政庁となる |
| 1868年 | 鳥羽・伏見の戦い後、官軍により高松城が包囲され、戦わずに開城する |
| 明治時代 | 外堀が埋め立てられ、城郭建物の多くが破却される |
| 1884年 | 老朽化により天守が解体される |
| 1955年 | 高松城跡が国の史跡に指定される |
| 2006年 | 日本100名城に選定される |
京極家の家紋「平四つ目結」
| 藩庁 | 高松城 |
|---|---|
| 旧地域 | 讃岐国 |
| 石高 | 12万石 |
| 譜代・外様 | 親藩 |
| 主な藩主 | 生駒家、松平家 |
| 推定人口 | 35万5000人(明治元年) |
香川県高松市にある高松城は、日本三大水城の一つに数えられた輪郭式の平城で、「玉藻城」の愛称で親しまれています。現在は月見櫓や水門、石垣などが残り、海水を引き込んだ堀と海に面した櫓は、瀬戸内の城ならではの景観を今に伝えます。