丸亀城香川県丸亀市

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  • 高さ日本一の石垣を持つ「石垣の名城」
  • 現存12天守のひとつが残る讃岐の平山城
  • 生駒氏・山崎氏・京極氏が整備した丸亀藩の城

丸亀城とは、香川県丸亀市にある江戸時代の城跡である。慶長2年(1597)に生駒親正・一正父子が築城に着手し、自然の小山である亀山を利用して築かれた。元和元年(1615)の一国一城令で一度廃城となったが、寛永20年(1643)に山崎家治が再築を進め、のちに京極氏が丸亀藩の居城として整備した。現在は亀山公園として整備され、日本一高い石垣、現存天守、大手一の門、大手二の門などが往時の姿を伝えている。

丸亀城の特長
目的 西讃岐支配の拠点、丸亀藩の政庁、瀬戸内海と丸亀平野を見渡す防衛拠点
特長 現存天守、日本一高い石垣、扇の勾配、大手一の門、大手二の門、生駒氏、山崎氏、京極氏、日本100名城
他の城との違い ・石垣の総高が約60メートルに及び、日本一高い石垣の城として知られる
・現存12天守のひとつを持つ
・野面積、打込接、切込接など、城内で複数の石垣技法を見比べられる
丸亀城の石垣・土塁
石垣 現存・復旧整備中
土塁 一部あり
種類 野面積、打込接、切込接、算木積み、高石垣、天守台、曲輪、平山城
石材 自然石、割石、加工石など
特長 丸亀城の最大の見どころは、亀山の斜面を四層に重ねるように築かれた高石垣である。内堀から天守へ向けて積み上がる石垣は総高約60メートルに及び、日本一高い石垣の城として知られる。石垣は野面積、打込接、切込接など時代や場所によって異なる技法が見られ、隅部には算木積みも確認できる。下部は緩やかに、上部へ向かうほど反り上がる美しい曲線は「扇の勾配」と呼ばれる。天守よりも石垣こそが、丸亀城を象徴する最大の遺構である。
丸亀城DATA
別称 亀山城、蓬莱城
所在地 香川県丸亀市
築城 1597年。再築は1643年以降
築城者 生駒親正・生駒一正。再築は山崎家治
住所 香川県丸亀市一番丁
電話番号 0877-22-0331
開館時間 天守は9時~16時30分。入城は16時まで
休館日 無休
観覧料 大人400円、小人、小・中学生100円
備考 丸亀城は国指定史跡で、日本100名城にも選定されている。天守、大手一の門、大手二の門は国の重要文化財である。現在も現存天守を見学できるが、城郭としては石垣の規模と美しさが最大の見どころである。城内では石垣復旧工事が行われている箇所があるため、見学時は現地案内に従う必要がある。
丸亀城への交通アクセス
JR「丸亀」駅から徒歩約10分。

HISTORY 石の城と呼ばれる石垣が美しい城「丸亀城」

丸亀城は香川県丸亀市にある平山城です。亀山の山頂に建ち、山麓から山頂まで4重に重ねられた石垣が特徴であり、石垣の頂上に鎮座する天守は現存する12天守の中で最小です。そんな丸亀城の歴史を紐解いていきましょう。

丸亀城の歴史
1587年 生駒親正が讃岐国に封じられる
1597年 生駒親正・一正父子が丸亀城の築城に着手する
1602年 生駒一正が丸亀城から高松城へ移り、丸亀城には城代が置かれる
1615年 一国一城令により丸亀城が廃城となる
1640年 生駒氏が改易され、讃岐国の支配が再編される
1641年 山崎家治が西讃岐5万石余の藩主となる
1642年 山崎家治が生駒氏時代の城跡地を丸亀城の城地と定める
1643年 山崎家治が幕府の支援を受け、丸亀城の再築を始める
1658年 山崎氏が断絶する
1658年 京極高和が丸亀藩主となり、以後、京極氏が明治維新まで丸亀を治める
1660年頃 現在の天守が完成したとされる
江戸時代 京極氏の居城として、丸亀藩の政庁となる
1871年 廃藩置県により丸亀藩が廃止される
1933年 丸亀城跡が国の史跡に指定される
1950年 天守、大手一の門、大手二の門が重要文化財に指定される
2006年 日本100名城に選定される
室町時代〜丸亀城築城までの歴史
丸亀城の始まりは、室町時代初期に管領・細川頼之の重臣であった奈良元安が亀山に砦を築いたことが始まり、という説があります。
時代は下り、慶長2年(1597年)豊臣政権の三老中の1人であった生駒親正が讃岐国12万6千200石を与えられ、長男一正と共に丸亀城築城に着手します。
なおこのとき、生駒親正は高松城を本城としており、丸亀城はあくまでも支城扱いでした。
慶長7年(1602年)約6年の歳月をかけて丸亀城が完成します。
当時の丸亀城は、織田信長が築いた安土城や豊臣秀吉が築いた大阪城同様城郭だけでなく、武家屋敷・城下町も濠や土塁で防御していました。このような造りを「総構え」といいます。
丸亀城が完成したときは、すでに「天下分け目の戦い」といわれた関ヶ原の戦いは終わっていましたが、生駒親正は西軍、嫡男の生駒一正は東軍につき、家の存続を図ったため徳川幕府に警戒心を抱いていたかもしれません。
また、生駒親正は、慶長6年(1601年)に宇多津より家臣を移住させて城下町を形成させました。
江戸時代の丸亀城の歴史
元和元年(1615年)諸大名に対し、居城以外のすべての城の破却を命じる一国一城令が発布されました。このとき、生駒家は高松城を本城としていたため、丸亀城は破却の危機にさらされます。
しかし、このときに藩主であった生駒正俊は丸亀城を破却から守る為に、城を樹木で覆い隠すなどして、立ち入りを厳しく制限するなどして破却を防ぎます。
そのお陰で丸亀城は現在まで残ることになりました。なお、この時期丸亀城はいったん廃城となります。
寛永17年(1640年)、生駒家にお家騒動(生駒騒動)が起き、生駒家は改易となり出羽国矢島に転封となりました。
これにより、生駒家が治めていた高松藩は幕府直轄地となり、翌寛永18年(1841年)に山崎家治が肥後国富岡(現熊本県天草郡)から5万石で移封され、丸亀藩が成立しました。
このとき、山崎家治が丸亀城の改築に着手します。一説によると、幕府は瀬戸内の島々に住むキリシタンが一斉に蜂起することを警戒し、備えとして丸亀城を整備させたと言われています。
実際、幕府はわざわざ山崎家治に300貫もの資金を援助し、参勤交代を免除してまで城の改築を急がせています。
この改築により、現在まで伝わる「扇の勾配」と呼ばれる独特の反りを持つ石垣が完成しました。この石垣は野面積みと算木積みで土台を造り、頂は垂直になるよう独特の反りを持たせています。
なお、丸亀城の石垣は全ての高さを合わせると66m、になり「総高」では日本一です。
万治元年(1658年)山崎氏が3代で後継ぎなく途絶えるとお家断絶となり、播磨国龍野(現兵庫県たつの市)より京極高和が6万石で移封し、明治まで丸亀藩を治めました。
なお、丸亀城は万治3年(1660年)に京極高和が城の裏口にある海側の搦め手門を大手門に改築し、現存する3層3階の御三階櫓を建築します。
このような改修が完了し現在の丸亀城の姿になったのは、延宝元年(1673年)の事です。
以後、丸亀城は明治維新まで丸亀藩の藩庁になりました。
明治以降の丸亀城
明治になると、廃城令が明治政府より発布されて日本中の城が壊されますが、丸亀城は明治2年(1869年)- 主御殿と三の丸の戌亥櫓が火災により焼失してしまいます。
そのため、一度は焼け残った建物が競売にかけられましたが、兵部省管轄になり、競売は注視されました。
また、明治9年(1876年)から翌年にかけて現存の建物以外の櫓・城壁などが解体されます。その後、大正8年(1919年)に丸亀市が山上部を借地し、亀山公園として市民に開放します。
昭和8年(1933年)には城下にあった丸亀藩主京極家の別邸延寿館を三の丸に移築します(1985年に本邸は解体、現在は別邸のみ残る)。
昭和18年(1943年)には、天守が国宝保存法に基づき旧国宝に指定されますが、昭和25年(1950年)には、文化財保護法施行により天守は重要文化財に改めて指定され直します。
その後、昭和28年(1953年)国の史跡に指定されたことをきっかけに、昭和32年(1957年) 大手一の門・大手二の門が重要文化財に指定されました。
平成18年(2006年)には日本100名城に指定され、丸亀市を代表する観光名所として、国内外から多くの人が訪れています。
現在の丸亀城
現在の丸亀城は、基本的に年中無休で公開されています。丸亀の山頂にあるため、城までの道のりは勾配がきついですが、ロープウエーなどの設備はありません。
天守のほか、大手一の門・大手二の門・藩主玄関先御門・番所・御籠部屋・長屋が現存しているほか、江戸時代に城を改築する際に幕府に提出されたという「丸亀城木図」という木型の立体模型が現存しており、隣接する丸亀市立資料館で見学することが可能です。
丸亀お城祭や丸亀城桜祭りの際は、県内外から多くの人が訪れます。
また、藩主京極家の宝刀として伝わる「ニッカリ青江」という刀がブラウザゲーム「刀剣乱舞」に取り上げられたことによって知名度が高まり、現在は毎年公開が行われています。

丸亀城を藩庁とする、丸亀藩の歴史

丸亀藩3つの家が治める
丸亀藩は、生駒正親が豊臣秀吉より讃岐国12万6千200石を拝領したことから、歴史が始まります。厳密に言えば生駒家が改易となって山崎家が丸亀に封じられたときから「丸亀藩」が成立しましたが、現在では生駒家
丸亀藩DATA
藩庁 丸亀城
旧地域 讃岐国
石高 5万1000石
譜代・外様 外様
主な藩主 生駒家、山崎家、京極家
推定人口 13万5000人(明治元年)

丸亀城、日本一小さな木造天守と日本一の石垣

香川県丸亀市にある丸亀城は、本丸の周りを二の丸、その周りを三の丸が囲む輪郭式の平山城です。日本一小さな天守を持つ城として知られているほか、高さ日本一という石垣の美しさから「石垣の名城」「石の城」としても有名です。天守は現存12天守のひとつで、標高約60mの亀山にあることから「亀山城」とも呼ばれています。

丸亀城
丸亀城の歴史
丸亀城は織田信長や豊臣秀吉に仕えた讃岐国(現香川県)領主・生駒親正とその息子の一正により、高松城の支城として亀山に築かれました。亀山は古くは室町時代、細川頼之の家臣・奈良元安が砦を築いていたとされる場所で、生駒親子はこの地に慶長2年(1597年)から城を建て始めました。
慶長7年(1602年)には城郭がほぼ完成し、生駒親子は丸亀城から高松城へ移り、丸亀城は一正の息子である生駒正敏の居城となりました。ところが元和元年(1615年)の一国一城令により丸亀城は廃城になってしまいます。
その後、生駒氏は家臣たちの対立によるお家騒動により改易になり、讃岐国は隣国などにより分割統治されました。その後、寛永18年(1641年)に西讃岐国に入って丸亀藩を起こしたのが、肥後天草藩(富岡藩)の藩主だった山崎家治で、このとき丸亀城も再建されました。ちなみに残りの東讃岐国は松平氏が入り高松藩になっています。
山崎家治は天草の乱で荒廃した天草の立て直しに成功した功で丸亀藩主となりましたが、山崎氏は3代で断絶してしまいます。このため万治元年(1658年)に京極高和が石高6万67石で丸亀藩に転封されました。以後明治時代まで京極氏が丸亀藩を治めています。なお、現在の天守は万治3年(1660年)に完成したものです。
明治時代には火災により御殿が消失し、廃城令で建物が取り壊されるなどしましたが、丸亀市が山上部を国から借りる形で公園化し、天守を守りました。なお、土地はのちに市に有償で払い下げられています。昭和25年(1950年)には天守の解体修理が完成し、国の重要文化財にも指定されています。
丸亀城の見どころ①日本一の石垣
丸亀城の一番の見どころといえば、高く美しい曲線の石垣です。「石垣の名城」と言われる丸亀城ですが、なかでも内堀から本丸・二の丸・三の丸を重層的に囲む4層の高石垣は累計で約60mとなり、日本一の高さを誇ります。算木積みされた「扇の勾配」と呼ばれるそりのある美しい石垣は必見です。特に最も美しいとされる、三の丸北側の高さ約20mの高石垣は人気のスポットですよ。
また、三の丸の石垣は単独で31mの高さを誇り、大阪城に次いで全国で2番目に高い石垣として知られています。ところが2018年7月の豪雨で南西側の「帯曲輪」の石垣とともにその一部が崩落。寄付などを経て、6年後の2024年8月から石垣の積み直し作業が開始されており、2028年3月には完了する見通しです。
このほかにも丸亀城では野面積みや切り込みハギ、打ち込みハギといったさまざまな技術による石垣を見ることができます。
丸亀城の見どころ1 丸亀城の見どころ2 丸亀城の見どころ3
丸亀城の見どころ②日本一小さい天守
京極氏の時代に完成した天守は3層3階の層塔式で、高さは約15m。現存天守のなかで最も小さく、床面積ベースでは日本で最も小さいのだとか。四国内のお城としては最古のもので、外観は唐破風、千鳥破風などで装飾されています。
北側には石落しや狭間、四方の壁には大砲狭間が設けられています。北側の守りが厚いのは、かつて天守の北側が三の丸から二の丸に上る裏口通路であったことからだと考えられています。
丸亀城の見どころ4 丸亀城の見どころ5 丸亀城の見どころ6
丸亀城の見どころ③大手一の門
丸亀城の門でぜひ見てほしいのが、正面入り口にある重要文化財の「大手一の門」。寛文10年(1670年)頃のもので、当時は櫓上に太鼓を置いて時刻を知らせていました。2006年からは九つ刻(正午)を告げる「時太鼓」が復活しており、太鼓の打ち鳴らし体験もできますよ。内部は一般公開しており、石落とし等が見学できます。
丸亀城の見どころ7 丸亀城の見どころ8 丸亀城の見どころ9
丸亀城に泊まる「城泊」にも注目
丸亀城では「城泊」が可能なお城です。ただし、泊まるのは天守ではなく、昭和8年(1933年)に三の丸に移築された京極家の屋敷の一部である「延寿閣別館」。丸亀京極藩6代目藩主・京極高朗の隠居所でした。天守としては、閉館後に貸切でガイドを受けられるほか、夜の天守をナイトラウンジとして利用できます。特別な体験は一生の思い出になりますよ。
おすすめ撮影スポット
丸亀城のおすすめ撮影スポットは、大手一の門・二の門付近。門と石垣、天守を一枚の写真に収めることが可能で、現存天守と現存大手門を一枚で撮影できるのは丸亀城と高知城だけです。石垣は見返り坂を上ったところにある美しい三の丸の石垣が撮影スポットとして人気です。
また、丸亀城は天守や石垣などを中心にさまざまなライトアップイベントを開催中。毎年秋に開催される「丸亀キャッスルロード」は、大手門から天守までをさまざまな灯りが彩ります。
丸亀城の見どころ10 丸亀城の見どころ11 丸亀城の見どころ12
栗本 奈央子
執筆者 栗本 奈央子(ライター) 元旅行業界誌の記者です。子供のころから日本史・世界史問わず歴史が大好き。普段から寺社仏閣、特に神社巡りを楽しんでおり、歴史上の人物をテーマにした「聖地巡礼」をよくしています。好きな武将は石田三成、好きなお城は熊本城、好きなお城跡は萩城。合戦城跡や城跡の石垣を見ると心がときめきます。