紀州藩(2/2)徳川御三家の一つ、紀伊徳川家が治める

紀州藩

徳川家の家紋「三つ葵」

記事カテゴリ
藩史
藩名
紀州藩(1600年〜1871年)
所属
和歌山県
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9代藩主徳川治貞は、6代藩主徳川宗直の次男に当たり、重倫の養子という形で藩主を継ぎました。非常に聡明な人柄で、熊本藩8代藩主・細川重賢と並び「紀州の麒麟、肥後の鳳凰」と賞され、麒麟をもじって紀麟公と呼ばれました。

徳川吉宗に習い、綿の服と粗食を望んで質素倹約に励み、財政を建て直しただけでなく、10万両の貯蓄まで築いて死去したと伝えられています。

10代藩主徳川治宝は、8代藩主徳川重倫の実子です、父徳川重倫が隠居したことはまだ幼少だったので、大叔父の徳川治貞の後に藩主の座に就きました。学問好きの藩主として知られており、和歌山城下には医学館を、江戸赤坂紀州藩邸には明教館を、松坂城下には学問所を作って紀州藩士の子弟の教育を義務化しました。このとき、これら藩校に集められた蔵書は、現在も紀州藩文庫に保管されています。

仁井田好古や本居大平を登用して史書を編纂させ、「紀伊続風土記」の新撰を命ずるなど文化・芸術面での功績が非常に大きく、「数寄の殿様」という別名があるほどです。
また、表千家や楽家を庇護も積極的に行いました。

しかし、文政6年(1823年)、紀ノ川流域で「こぶち騒動」と呼ばれる大規模な百姓一揆が勃発。その責任を取る形で隠居をしています。

11代藩主徳川斉順は、江戸幕府11代将軍・徳川家斉の七男で、養子縁組をして紀州藩主となります。12代将軍・徳川家慶の異母弟であり、13代将軍・徳川家定の伯父、さらに14代将軍徳川家茂の実父です。
しかし、彼は家茂が誕生する前に死去したため、父子は面識がありません。

藩主になった当時、紀州藩には重倫、治宝の2人の元藩主が隠居しており、彼らの生活費だけで莫大な出費になりました。
また先代藩主の徳川治宝が政治の実権をまだ手放さなかったため、家臣の間にも深刻な対立が生じたという記録が残っています。
なお、彼の治世は21年にも及びました。

12代目藩主の徳川斉彊は、徳川家斉の二十一男に当たります。10代目藩主であった徳川治宝は、西条藩主・松平頼学を12代目藩主にと望みましたが、紆余曲折のすえ、徳川斉彊が藩主となりました。
落雷で和歌山城の天守閣が焼失するなど数々の困難に見舞われ、30才の若さで死去します。

13代藩主徳川慶福(とくがわよしとみ)は、14代目将軍徳川家茂でもあります。
藩主であった期間は9年2か月ですが、家督を継いだのが4才であったため、藩政にはほとんど関わっていません。
13才で将軍となりました。皇女和宮と結婚し、慶応2年(1866年)、第2次長州征伐の途上、大阪城で病に倒れ、死去しました。
徳川家茂・慶喜は幕末を舞台にしたドラマや小説、映画、漫画などに頻繁に登場するので、
その生涯をご存じの方も多いことでしょう。

最後の藩主になる14代徳川茂承は、8代藩主・徳川重倫の実弟に当たります。
徳川家茂の死後、茂承を将軍に推挙する動きもありましたが、それを断って徳川慶喜を将軍に推し、自身は紀伊徳川家の当主になりました。

長州戦争では第二次征長軍の先鋒総督に任命されて出兵し、藩政においては御用取次に登用した津田出に藩政改革を行わせています。

慶応4年(1868年)、戊辰戦争が勃発したとき、徳川茂承は病で伏せっていましたが、鳥羽・伏見の戦いで敗走した幕府将兵の多くが藩内に逃げ込んでいたことと、紀州藩が御三家の一つであったことから、明治政府が討伐をしかけています。

しかし、徳川茂承は藩兵1500人を新政府軍に提供した上、軍資金15万両を献上することで、新政府に叛く意志はないということを証明したので、討伐は取りやめになりました。
なお、同時に紀州藩は勅命により京都警備の一翼を担っています。

明治2年(1869年)の版籍奉還が行われたことにより和歌山藩知事となり、2年後の明治4年(1871年)に廃藩置県が行われて藩知事の任を解かれ、東京に住居を移しました。

なお、徴兵令や秩禄処分などの新政策によって窮乏しつつある士族を見て、「武士は自立すべし」と旧紀州藩士族の共有資本として徳義社を設立します。さらに、徳義中学校を開設し、窮乏する士族の援助育成に尽力しました。
その後、徳川茂承は63才で亡くなるまで、貴族院侯爵議員を務めました。

紀州藩まとめ

紀州徳川家は、8代将軍、14代将軍という2人の将軍を輩出した名門の家です。
家系は現在までも続いており、当代当主で19代目を数えています。

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AYAME
執筆者 (ライター) 江戸時代を中心とした歴史大好きライターです。 趣味は史跡と寺社仏閣巡り、そして歴史小説の読書。 気になった場所があればどこにでも飛んでいきます。 最近は刀剣乱舞のヒットのおかげで刀剣の展示会が増えたことを密かに喜んでいます。
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