大洲藩多数の有名学者を輩出した

大洲藩

脇坂家の家紋「輪違い紋」

記事カテゴリ
藩史
藩名
大洲藩(1608年〜1871年)
所属
愛媛県
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大洲藩は、愛媛県大洲市から伊予市にかけての一帯を治めた藩です。築城の名人と言われた藤堂高虎を初代藩主とし、脇坂家を経て加藤家が幕末まで藩を治めました。坂本龍馬が運用した蒸気船いろは丸を所有した藩として知られています。そんな大洲藩の歴史を紐解いていきましょう。

加藤家が治めるまでの大洲藩

大洲の地は、伊予宇都宮氏、小早川秀秋の父に当たる小早川隆景、戸田勝隆を経て藤堂高虎に与えられました。藤堂高虎は当時地蔵ヶ岳城と呼ばれていた大洲城を近代城郭に大改築します。藤堂高虎は慶長13年(1608年)伊勢国津藩に転封となりましたが、大洲は彼の領地のままでした。その後、賤ヶ岳の七本槍の1人、脇坂安治が淡路より移封され、このときに大洲藩が創立されます。なお、大洲の地はそれまで大津と呼ばれていますが脇坂家の移封じると共に大洲に改名されています。

脇坂安治はこの時点ですでにそれなりの年齢になっていたので、大阪の陣の後で家督を次男脇坂安元に譲って隠居します。跡を継いだ脇坂安元は、元和3年(1617年)、伊予大洲から信濃飯田藩5万5000石で移封なりました。脇坂家と藤堂高虎の功績は大洲城を近代城郭に改築したことです。大洲城は、江戸時代初期に大幅改築された城には珍しく昭和の時代まで図面などの記録がしっかりと伝えられており、伝統的な木造建築で天守を再建するさいの役に立ちました。

加藤家の治世

脇坂安元が信州に移転になった後、加藤貞泰が伯耆国米子藩より6万石で移封されています。結果的に、この加藤家が明治維新まで12代にわたって大洲藩を治めますが、その道のりは決して平坦ではありませんでした。

初代藩主、加藤貞泰は元和9年(1623年)に跡目を定めないまま急死します。その後、長男の泰興が2代将軍徳川秀忠に謁見し、跡目相続を認められます。その際、弟に当たる泰但は1万石の内諾を得たため、新谷藩を新たに成立させました。しかし、長男の泰興がこれを認めなかったため、寛永16年(1639年)までお家騒動が続きました。最終的に、この騒動は泰興がこの決定を認める内分分知(将軍から与えられた石高を減らさずに新しく藩を立てる形)で納得し、お家騒動は決着したのです。

3代目領主加藤泰恒以降、藩主は目立った功績は残していません。その代わり、加藤家は代々学者気質の君主が多く、家臣もその影響を強く受けていた傾向があります。

そのせいか、江戸時代初期に陽明学者「中江藤樹」、江戸時代後期には国学者「矢野玄道」など高名な学者を輩出しました。中江藤樹は健康上の理由や母への孝行のために、脱藩して近江(滋賀県)に戻ったという気概ある人物です。

矢野玄道は明治20年まで存命し、明治時代の文教行政にも深く関わりました。
また、学者だけでなくシーボルトの弟子となって医学を学んだ三瀬諸淵も大洲藩の出身です。
三瀬諸淵はシーボルトの孫娘にあたる楠本高子と結婚し、幕末から明治初期にかけて大阪大学医学部の前身にあたる大阪医学校兼病院設立に尽力しました。39歳の若さで早世しましたが、彼が日本の医学の発展のために尽した功績は大きいです。

大洲藩は、朝鮮通信使を接待する役など幕府の役職をたびたび勤めたため、財政は早くから苦しくなりましたが、天災にあわなかったことや木蝋など現金収入を得られる手段が早期に確立されていたため、大変な財政難になることもなく明治まで安定して藩を運営しています。

そのため、幕末の慶応2年(1866年)に薩摩藩が所有していたイギリスの蒸気船を買い取り、「いろは丸」と名付けています。いろは丸は坂本龍馬が属していたことでも有名な海援隊が運用していましたが、慶応3年(1867年)に紀州藩が所有していた蒸気船明光丸と衝突して沈没しました。これが、いろは丸事件です。この事故の後坂本龍馬交渉役の土佐藩士後藤象二郎らと協力して紀州藩相手に賠償金の交渉を行ない、最終的に藩に多額の賠償金を支払わせることに成功したというエピソードがあります。

その後鳥羽・伏見の戦いで大洲藩は新政府軍に協力し勤王の藩として活躍しました。その功績のためか、最後の藩主加藤泰秋は、明治天皇の東京行幸で行幸行列の前衛を勤めています。
明治になると加藤家は子爵に任ぜられ、加藤泰秋の次男加藤泰通は、外務省嘱託、式部官、侍従、宮内事務官、皇后宮事務官などを歴任しています。

まとめ

大洲藩は江戸から遠い四国にあった藩のせいか、開藩当初のお家騒動のほかは目立った事件も起きず、藩政は安定していました。短命の藩主も多かったのですが、学問に打ち込んだ藩主も少なくなかったようです。その代わり、藩からは優れた学者、医者が多く輩出され、近代日本の隆盛のきっかけを作りました。

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AYAME
執筆者 (ライター) 江戸時代を中心とした歴史大好きライターです。 趣味は史跡と寺社仏閣巡り、そして歴史小説の読書。 気になった場所があればどこにでも飛んでいきます。 最近は刀剣乱舞のヒットのおかげで刀剣の展示会が増えたことを密かに喜んでいます。
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