鳥取城と吉川経家渇え殺し(かつえごろし)の城 ― 命の価値を問うた、戦国史上最も過酷な敗北
- [執筆者] 日本の旅侍編集部(メディア)
信長から中国地方の攻略を任された秀吉にとって、鳥取城は避けて通れない要衝だった。彼は犠牲を最小限に抑えつつ、確実に敵を屈服させるために、あえて『刀を抜かない地獄』を作り出したのである。


日本の名城100選にも選ばれる 鳥取城。
久松山のふもとに広がる石垣と曲輪は、いまでは静かな城跡として人々を迎えている。
だが、この城には戦国史の中でも最も過酷といわれる敗北の記憶が刻まれている。
それが、「渇え殺し(かつえごろし)」と呼ばれる戦いである。
飢餓によって敵を滅ぼす。
兵を討ち取るのではなく、食料を断ち、人の命を削っていく。
それは戦いというより、時間をかけた死刑に近い。
鳥取城は、その舞台となった城だった。
包囲された城
1581年、織田政権の中国攻めの一環として、羽柴秀吉 が鳥取城を攻める。
当時の鳥取城は毛利方の拠点であり、山陰の戦略拠点だった。
この城を守るため、毛利家から一人の武将が派遣される。
それが吉川経家である。
経家は毛利家の重臣であり、武勇だけでなく人望にも優れた人物だった。
しかし彼は、城へ入った瞬間、絶望的な事実を知ることになる。
城の備蓄米が、ほとんど残っていなかったのである。
秀吉の戦略
秀吉は、正面攻撃を選ばなかった。
代わりに彼が行ったのは、徹底的な包囲戦だった。
さらに秀吉は、城下の食料をすべて買い占めるという戦略をとる。
米、穀物、家畜、あらゆる食料が城外へ流出し、鳥取城は完全に孤立した。
兵糧攻め。
だが鳥取城の場合、それは単なる兵糧攻めではない。
「渇え殺し」と呼ばれるほどの、徹底した飢餓戦だった。
地獄の四ヶ月
城は四ヶ月にわたり包囲された。
最初に尽きたのは米だった。
次に、草や木の皮。
やがて馬や犬。
最後には、想像することさえ苦しい状況に追い込まれていく。
城内では餓死者が続出し、兵だけでなく家族や町人までもが苦しんだ。
戦国の戦いは激しい。
だが、刀や槍による戦いは一瞬で終わる。
飢餓は違う。
それは時間をかけて、人の命を奪っていく。
鳥取城は、この世の地獄と呼ばれるほどの状況に陥った。
経家の決断
城主の経家は、状況を冷静に見ていた。
援軍は来ない。
食料もない。
このままでは、城の者はすべて餓死する。
そこで彼は、一つの決断をする。
「自分一人の命と引き換えに、城兵の命を救う」
経家は秀吉に降伏を申し出た。
条件はただ一つ。
自分が切腹する代わりに、城兵と民衆の命を助けること。
秀吉はこれを受け入れた。
泰然自若
1581年10月。
吉川経家は、城外の秀吉の陣で切腹する。
その時の態度は、驚くほど落ち着いたものだったと伝えられている。
恐れることもなく、恨み言も言わない。
自らの役割を受け入れた武将の姿だった。
この態度に、秀吉は深く感服したという。
敵でありながら、その覚悟を称えた。
戦国の戦いの中で、敗者が尊敬される瞬間だった。
- 首桶に託した、最後の「兵への情」
- 降伏の際、秀吉は経家の武勇を惜しみ、助命を提案したと伝えられています。しかし経家は「自分が生き残れば、また同じ悲劇が繰り返される」とそれを拒み、あくまで自らの命と引き換えに城兵を救うことを求めました。
切腹の直前、経家は秀吉に対し、「自分の首を桶に入れる際、城内の空腹の者たちに腹一杯の飯を食わせてやってほしい」と願ったと言います。
自らの死を、ただの終わりとするのではなく、愛する者たちが生き延びるための「最後の交渉材料」としたのです。この願いを聞いた秀吉は、約束通り城兵に大量の炊き出しを振る舞いました。経家の首が入った桶は、彼が命をかけて守った者たちが久方ぶりの食事に涙する姿を、静かに見守っていたのかもしれません。
命の価値
鳥取城の戦いは、単なる軍事史の出来事ではない。
ここでは「命の価値」が問われた。
城主一人の命と、城の人々の命。
経家は迷わず、自分の命を差し出した。
それは戦国武将の美学でもあり、同時に極限の状況での人間の決断だった。
この選択がなければ、鳥取城はさらに多くの命を失っていたかもしれない。
敗北の中で、命を守るための決断があった。
それがこの城の物語である。
城を見守る像
現在の鳥取城跡には、吉川経家の銅像が立っている。
城を見守るように、静かに立つ姿だ。
その視線の先には、鳥取の街並みが広がっている。
天守台に登ると、日本海から吹く風が街を通り抜けていく。
今の鳥取は、穏やかな町だ。
だが四百年以上前、この城では人々が飢えに苦しんでいた。
同じ景色を、当時の人々はどんな思いで見ていたのだろうか。
渇え殺しの城を歩く
鳥取城跡は、石垣が美しく残る名城である。
山城と平城が一体となった構造は、戦国城郭としても評価が高い。
だが、この城を歩くとき、ただの城跡として見るだけでは足りない。
ここは、命の価値が問われた場所だった。
そして一人の武将が、敗北の中で人々を救う決断をした場所でもある。
戦国の城は、勝者の栄光だけを語るものではない。
むしろ、敗者の選択こそが、その城の意味を深くしている。
鳥取城の石垣は、静かにその記憶を伝え続けている。

崩落を防ぐために築かれた珍しい『巻石垣』。その独特なフォルムは、過酷な歴史を経てなお、この城を守り抜こうとした後世の人々の想いのようにも見える。
- 鳥取城跡
- 住所:鳥取県鳥取市東町2丁目
・JR鳥取駅から徒歩約30分
・鳥取駅からバス「西町」下車 徒歩5分
- 参考文献・参考資料
- 鳥取市公式サイト(鳥取城跡)
- 鳥取市観光コンベンション協会
- 小和田哲男『日本の城』
- 日本城郭協会
- 中村整史朗『羽柴秀吉の中国攻め』
- 執筆者 日本の旅侍編集部(メディア) 日本の旅侍は知的旅〜オトナの城旅を城写真と共に伝える情報メディアです。日本全国のお城を都道府県別にご紹介。国宝天守・現存天守・復元天守・櫓・石垣・お堀などお城の様々な要素を写真共に伝えます。お城の歴史コラムもあり。 公式HP・SNSはこちら