太宰府天満宮とは、福岡県太宰府市宰府にある、菅原道真公を御祭神とする神社である。昌泰4年(901)に大宰府へ左遷された道真公は、延喜3年(903)にこの地で亡くなり、その遺骸を運ぶ牛が伏して動かなくなった場所に葬られたと伝わる。延喜5年(905)に墓所の上へ祀廟が建てられ、延喜19年(919)には勅命により御社殿が造営された。現在の御本殿は天正19年(1591)に筑前国主・小早川隆景が再建したもので、道真公の御墓所の上に建つことから「菅聖庿」とも称される。境内には、道真公を慕って京都から飛んできたと伝わる御神木「飛梅」や、心字池に架かる太鼓橋、楼門などがあり、学問だけでなく文化芸術や厄除けの神として広く信仰されている。
| 目的 | 菅原道真公の祭祀、学業成就、受験合格、文化芸術上達、厄除け、家内安全、国家安泰、人生の節目における祈願 |
|---|---|
| 特長 | 太宰府天満宮、菅原道真、天神さま、天神信仰、総本宮、菅聖庿、学問の神、文化芸術の神、厄除け、飛梅、太鼓橋、心字池、楼門、御本殿、小早川隆景、梅 |
| 他の天満宮との違い | ・御祭神である菅原道真公の御墓所そのものに御本殿が建てられている ・天神信仰の聖地として、全国の天満宮の総本宮と位置づけられている ・道真公が大宰府で亡くなった歴史と、神社の成立が直接結びついている ・現在の御本殿は天正19年(1591)に小早川隆景が再建した安土桃山時代の建築である ・飛梅伝説や太鼓橋など、菅原道真公の生涯や信仰と結びついた境内景観が形成されている |
| 正式名称 | 太宰府天満宮 |
|---|---|
| 所在地 | 福岡県太宰府市宰府4丁目7-1 |
| 創建 | 延喜5年(905)に菅原道真公の御墓所に祀廟を建立。延喜19年(919)に勅命により御社殿を造営 |
| 御祭神 | 菅原道真公 |
| 別称 | 天神さま、菅聖庿 |
| 御神徳 | 学問、文化芸術、厄除けなど |
| 主な見どころ | 御本殿、飛梅、楼門、太鼓橋、心字池、御神牛、宝物殿、天開稲荷社など |
| 文化財指定 | 御本殿、末社志賀社本殿などが国指定重要文化財。所蔵する「翰苑巻第卅」は国宝 |
| 参拝時間 | 春分の日から6:00開門、秋分の日から6:30開門。閉門は4~5月・9~11月19:00、6~8月19:30、12~3月18:30 |
| 参拝料 | 境内参拝無料。宝物殿など一部施設は別途料金が必要 |
| アクセス | 西鉄太宰府線「太宰府駅」から徒歩約5分 |
| 備考 | 御本殿は令和5年(2023)から124年ぶりとなる大改修が行われ、令和8年(2026)9月19日から約3年半ぶりに御本殿正面での参拝が再開された。改修期間中に設けられた藤本壮介設計の仮殿は役割を終え、解体が進められている。 |
| 昌泰4年(901) | 右大臣であった菅原道真が藤原時平らの策謀によって大宰権帥に左遷され、京都から大宰府へ下る。 |
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| 延喜3年(903) | 菅原道真が大宰府政庁の南館で死去する。遺言により大宰府に葬られることとなり、遺骸を運ぶ牛が伏して動かなくなった場所を墓所としたと伝わる。 |
| 延喜5年(905) | 門弟の味酒安行が菅原道真の御墓所に祀廟を建てる。これが太宰府天満宮の起源とされる。 |
| 延喜19年(919) | 醍醐天皇の勅命により、御墓所の上に御社殿が造営される。その後、朝廷からも厚い崇敬を受けるようになる。 |
| 延長元年(923) | 菅原道真の官位が右大臣に復される。のちに正一位左大臣、太政大臣が追贈され、「天満大自在天神」として信仰されるようになる。 |
| 中世 | 天神信仰が広がり、太宰府天満宮は九州を代表する信仰拠点として発展する。一方で戦乱による社殿の焼失や荒廃も経験した。 |
| 天正19年(1591) | 筑前国主・小早川隆景によって御本殿が再建される。五間社流造、檜皮葺の豪壮華麗な社殿で、現在まで残る御本殿となる。 |
| 江戸時代 | 太宰府天満宮への「さいふまいり」が盛んになり、全国から多くの参拝者が訪れる。大宰府政庁跡や観世音寺など周辺の名所を巡る旅も楽しまれた。 |
| 明治40年(1907) | 御本殿と末社志賀社本殿が国の文化財に指定される。現在はいずれも国指定重要文化財となっている。 |
| 令和5年(2023) | 令和9年(2027)の菅原道真公1125年式年大祭に向け、御本殿の124年ぶりとなる大改修が始まる。改修期間中の参拝場所として、建築家・藤本壮介が設計した仮殿が設けられる。 |
| 令和8年(2026) | 9月19日から約3年半ぶりに御本殿正面での参拝が再開される。御神霊を迎えた仮殿は役割を終え、解体が進められる。 |