- 富山藩加賀藩の支藩
- 富山藩とは 富山藩とは、寛永16年(1639年)に加賀藩第3代藩主・前田利常の次男である前田利次によって、10万石で開かれた加賀藩の支藩である。 藩主は明治維新まで前田家が務め、関係する城として富山城
富山城とは、富山県富山市にあった中世から近世にかけての城である。神通川の流れを防御に活かした平城で、別名を「浮城」とも呼ばれた。戦国時代には佐々成政の居城となり、江戸時代には富山藩前田家の居城として機能した。現在は富山城址公園として整備され、天守風建物の富山市郷土博物館、石垣、堀、千歳御門などが城跡の面影を伝えている。
| 目的 | 越中支配の拠点、佐々成政の居城、富山藩前田家の政庁 |
|---|---|
| 特長 | 浮城、平城、石垣、水堀、千歳御門、富山市郷土博物館 |
| 他の城との違い | ・神通川の流れを防御に活かした水辺の城である ・佐々成政や富山藩前田家ゆかりの城として知られる ・現在の天守風建物は、昭和29年(1954)に建てられた富山市郷土博物館である |
| 石垣 | 現存・復元整備 |
|---|---|
| 土塁 | 一部あり |
| 種類 | 野面積、布積み、石垣、水堀、平城 |
| 石材 | 河川の玉石、自然石など |
| 特長 | 富山城の石垣には、自然石を用いた野面積が見られ、河川の玉石の丸みを残した石垣が特徴である。場所によっては、正方形や長方形に加工した石を積む布積みも見られる。富山城は石垣だけで見せる城ではなく、神通川の流れや水堀を防御に活かした水辺の平城であり、現在も富山城址公園内で石垣と堀、千歳御門、富山市郷土博物館をあわせて見学できる。 |
| 別称 | 浮城、安住城 |
|---|---|
| 所在地 | 富山県富山市 |
| 築城 | 1543年頃 |
| 築城者 | 神保長職と伝わる |
| 住所 | 富山県富山市本丸1-62 |
| 電話番号 | 076-432-7911 |
| 開館時間 | 富山市郷土博物館は9時~17時。入館は16時30分まで |
| 休館日 | 年末年始(12月28日~1月4日)。展示替えやメンテナンスによる臨時休館あり |
| 入館料 | 大人210円、高校生以下無料。特別展開催中は料金変更の場合あり |
| 備考 | 現在の天守風建物は1954年に建てられた富山市郷土博物館で、史実上の天守を復原したものではない。鉄筋コンクリート造4階建の城郭風建築で、2004年に国の登録有形文化財に登録されている。富山城址公園内には、石垣、堀、千歳御門、佐藤記念美術館などがある。 |
富山城は富山県富山市丸の内にあった平城です。戦国時代は上杉謙信の越中出兵の際に奪われたり、謙信亡き後は織田信長に侵攻されたりと何度も攻城戦の舞台になりました。松川を防御にしたため「浮城」の異名を持ち、難攻不落と謳われた富山城の歴史を紐解いていきましょう。
| 1543年頃 | 神保長職により富山城が築かれたと伝わる |
|---|---|
| 戦国時代 | 神保氏、上杉氏、織田氏などが越中支配をめぐって富山城を争う |
| 1581年 | 佐々成政が越中へ入り、富山城を拠点とする |
| 1585年 | 豊臣秀吉の越中攻めにより佐々成政が降伏する |
| 1605年 | 前田利長が隠居城として富山城に入る |
| 1609年 | 富山城が火災で焼失し、前田利長は高岡城を築く |
| 1639年 | 加賀藩から富山藩が分藩し、前田利次が初代富山藩主となる |
| 江戸時代 | 富山藩前田家の居城として、富山藩の政庁となる |
| 1871年 | 廃藩置県により富山藩が廃止される |
| 明治時代 | 城内の建物や堀の多くが失われ、城跡は市街地化する |
| 1954年 | 戦後復興の象徴として、現在の天守風建物が建てられる |
| 2004年 | 富山市郷土博物館、富山城が国の登録有形文化財となる |
| 2017年 | 続日本100名城に選定される |
富山城と関連する事件を読む
| 藩庁 | 富山城 |
|---|---|
| 旧地域 | 越中国新川郡富山 |
| 石高 | 10万石 |
| 譜代・外様 | 外様 |
| 主な藩主 | 前田氏 |
| 推定人口 | 12万人(明治元年) |
加賀藩の前田利常が次男の利次に富山10万石を与えたのがはじまり。2代・正甫は富山の薬売りの原型を築く。
富山県富山市にある富山城は、続日本100名城に選ばれた富山のシンボル的存在のお城です。江戸時代は富山藩前田家の居城で、現在は富山城址公園として整備されています。昭和29年(1954年)には模擬天守が建てられました。