福知山藩(1/2)文化人の大名を複数輩出

有馬家の家紋「有馬巴」

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藩史
藩名
福知山藩(1600年〜1871年)
所属
京都府
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福知山藩は、京都府福知山市に存在していた藩です。
室町時代末期は、本能寺の変で有名な明智光秀の所領でした。
そのため、江戸時代前期まで城主が安定せず、めまぐるしく治める家が変わっていきます。
最終的には朽木家が13代にわたって城主を務めました。
そんな福知山藩の歴史を紐解いていきましょう。

朽木家が治めるまでの福知山藩

福知山の地は、元々織田信長に丹波攻略を命じられた明智光秀が、福知山城を築いて治めていました。
本能寺の変で明智光秀が織田信長を討つと、中国攻めに出立していた羽柴秀吉が異例の速さでとって返して明智光秀を討ち取り、天下を治めました。

その後福知山藩は慶長5年(1600年)に起こった関ヶ原の戦いで西軍につく野木勝重が最終的に城主となり、細川忠興に討たれます。

その後、福知山の地を任されて最初の城主となったのは、有馬豊氏でした。
彼は6万石で福知山に入り、後に2万石を加えられて8万石の大名となります。
再興された福知山城は有馬豊氏が、明智光秀が築いた福知山城を改修したものです。
彼は、城下町の整備にも力を入れ、福知山藩の基礎を築きました。

元和6年(1620年)、有馬豊氏が久留米藩に移封となると、小堀遠州の名で知られる小堀一政が一度は伏見奉行として福知山の地を治めます。
その後、岡部長盛が移封されて城主となり、行儀三十一カ条の制定などを行ないます。
岡部長盛は治世者として大変有能な人物であり、その後も亀山や大垣などで治世の基礎を築きました。

岡部長盛が移封した後、摂津中島より稲葉紀通が移封されてきます。
この稲葉紀通は狩りで獲物が捕れないからと領民を惨殺するなど気性に問題があった人物でした。
さらに、丹後国宮津藩主京極高広に鰤をねだったことに端を発する稲葉騒動が勃発し、稲葉紀通は幕府から説明を求められた結果、福知山城内で切腹したとも鉄砲自殺したとも伝えられています。
その後、福知山藩を治めたのは、松平忠房でした。かれは24年間城主を務めた後、島原に移り、島原藩を開きました。

朽木家の治世

福知山藩は江戸時代初期、1660年代になるまで治める家がめまぐるしく変わります。
それに終止符を打ったのが、朽木稙昌です。

彼は土浦藩の初代藩主・朽木稙綱の長男として生まれ、寛文9年(1669年)に3万2千石で丹波福知山藩に加増移封されました。
彼は正室の父・岡部宣勝の影響をうけて織部流の茶人でもありました。
しかし、移封の後で福知山では天災が発生、移封の出費も重なってたちまち財政難に陥ります。
そのため、元禄4年(1691年)には家臣の知行の半知、足軽の大量解雇なども行ないました。

この財政悪化は2代目、3代目城主も苦しめられ、4代目藩主である朽木稙治は文治政治に力を尽しますが、たいした成果は上げられませんでした。

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執筆者 (ライター) 江戸時代を中心とした歴史大好きライターです。 趣味は史跡と寺社仏閣巡り、そして歴史小説の読書。 気になった場所があればどこにでも飛んでいきます。 最近は刀剣乱舞のヒットのおかげで刀剣の展示会が増えたことを密かに喜んでいます。